丁度38年前の1985年(昭和60年)8月12日の日航機墜落事故には納得感は殆どない!
ガキの頃からの飛行機好きの私は、この時の事故にかなりの興味を持ち、政府の事故調査委員会の報告や、その後のこの事故に関する色んな本を読んだ。政府事故調の調査結果や「JAL123便墜落事故 自衛隊&米軍陰謀説の真相」杉江 弘2017/12/8とJAL123便は自衛隊が撃墜した (御巣鷹山ファイル) 池田 昌昭 | 1998/9/1の2書だ。この2書を読んで増々この事故は海上自衛隊の誤射による墜落ではなかったのかと言う事がどうしてもぬぐい切れないと思っている。
その理由には色々あるが、駿河湾に落下した日航機の方向舵を引き上げての原因究明がなされなかった事である。仮にも540人の命を奪った原因の究明には欠かす事が出来ない調査の筈であるし、しかも当時の日本の最高責任者である中曽根首相の聞き取りも実行してないのは、民主主義国家日本国の最大の汚点である。私は上記の出版書を始め、数書をむさぼり読んだが、圧力隔壁の破壊と言うより、当時同時刻に駿河湾で訓練してた海上自衛隊の訓練と言うのが常に引っかかって消えないのである。これは私的な願いと言うか、調査と言うか、是非やるべき事ではと思っている事がある。それは事故が起きた後の海上自衛隊の人事記録と言うか海上自衛隊の人事の移動か当時の幹部の動向の調査である。もし誤射の可能性が少しでもあれば、その時の自衛隊の幹部の動向に自殺者や変遷が無かったかと言う事である。どんな図太い人間でもこれだけの犠牲者を出せば尋常ではない筈である。まずそれらを調べればそれなりの間接的な原因究明がなされるのではと今でも思っている。