気づいたこと

気づいたことや思うことなどを、生存証明および備忘録として載せています。

(第7話)傷心のまま放浪

2011年11月08日 | 日記
仙台記も、もう7話になりますか。
思えば遠くへ、もとい時間がかかり過ぎているものです。
滞在時間たったの10時間の物語を、よくぞこんなに長引かせるものです。
気を取り直しまして、本編へ。

気を取り直せず、意気消沈したまま献血ルームを後にしました。
同じビルの2階に100円ショップがありましたので、入ってみました。
夜のライヴは長丁場になる可能性が高かったので、簡易な折り畳み椅子を元々買うつもりでした。
残念ながら見つけられませんでした。
ディレクターズチェアみたいなものくらい簡単にあるものかと思っていましたが、100円ショップを数軒回りましたが見つけられませんでした。

おたま茶屋での食事からまだ2時間しか経っていません。
お腹が空いていませんので、牛タン屋さん「山梨」へは行けません。
献血ルームのビルを出たときに、途方に暮れそうになりました。
しかし、そういえば職場等へお土産を買うこと、そしてついでに夜行くライヴハウスの場所確認を思い出しました。
やる事を思い出すと人間前向きになれます。
改めて気を取り直しまして、再出発です。
(ま~だまだ続く~よ~、ど~こま~で~か~♪)

憧れの献血於仙台

2011年11月06日 | 日記
あと2回で献血回数70回達成♪というのに、諸々の事情により足踏み状態です。
9月前半のここいらで成分献血などをしませんと、今年中に70回達成が叶わなさそうです。
次月からTHE ALFEEの秋ツアーが始まります。
ライヴ前2週間は献血を念の為避けます。
献血間隔などを考慮しますと、献血ルームで成分献血が理想です。

という訳で、紆余曲折ありましたが、献血ルームが入っているビルに辿り着きました。
そのビルの最上階でライヴがあるとかで、エレベーターに関係者以外使用できない旨の張り紙がありました。
仕方がありませんので、エスカレーターで6階を目指しました。
すると4階までは上がれましたが、そこから先はロープが張られていました。
その階では、イベント後の片付け&搬出のようなことが行われていました。
見咎められるかと思いきや、全く気にされませんでしたので、エレベーターで上がりました。

6階、献血ルームにようやく着きました。
受付ロビーの辺りは、閉まっているのかと思うくらい静かでした。
しかしまだ時間は大丈夫の筈、自信を持ち直して入りました。
後で分かった事ですが、こちらのルームは結構な広さがあるようで、入口と出口にそれぞれロビーがありました。

さて、受付は全国共通の手順です。
身分証明書を提示しなかったことが、東京と違うところでしょうか。
慣れた受付でも、質問の文章は毎回きちんと読みます。

受付の次は医師の問診です。
海外滞在のルールは変わっていませんし、最近は猫による生傷もありません。
延々歩いてきたのが良かったのか、普段ほど血圧も低くありませんでした。
(昔、血圧が低くてできなかったことがありました。)
無事に済みました。

お次は看護師さんによる採血です。
最近の不摂生が血に現れなければ良いのですが。
高速バスの中で割と寝ましたし、おたま茶屋でしっかりと食事もとりましたので大丈夫!と自分を励ましました。(禿げ増してはいません)
血液検査の結果は大丈夫でした。

上の階からのドカドカした音が聞こえてきました。
看護師さんが「今日は上でライヴがあるから」といったようなことを言われ、すまなそうな顔をされました。
その看護師さんのせいではありませんし、私は別段気になりませんでした。
(もっとうるさいのを聴いていますから、AとかBとか。)
ふと、看護師さんが「この後、ジャズフェスをご覧になられますか」みたいなことを聴かれました。
ストリートのには行きませんが夜にライヴを見ますとか何とか答えたと思います。
仙台に1泊かと尋ねられたので、夜バスで帰りますと答えました。
すると看護師さんが微妙な顔をされました。
そして
「ドクター」
「聞こえた」
という不穏な会話が交わされ、先ほど血圧と問診をしてくださった医師が小部屋から出てこられました。
要するに高速バスだと、急変時に対応ができないからダメだとのことです。
献血の後はライヴまで時間があるのでゆっくり過ごすし、そんな激しいライヴではないと言ってみましたが、無理でした。orz
正直に答えなければよかった。(←イケマセンヨ)

と言うわけで、献血はできませんでした。(>_<)