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拒否とまではいかないが…
(
風我
)
2013-08-25 02:28:05
メールは少なくとも読むタイミングを選べる自由を残してくれる手段ですよね。
電話は相手の都合を考慮しないコミュニケーションを強制する意味でより暴力的に感じます。
でも・・・
(
raidaisuki
)
2013-08-25 07:02:14
風我さま
メールを電話と比べることは、わたしはなぜか予期していませんでした。
コミュニケーションというのは、相手の顔を見ながら、相手の声を聞きながらというのが本来の姿だというのが趣旨のつもりなので・・・これには同意してくださると思います。
風我さんのおっしゃるのはまったくそのとおりです。 わたしも電話というのは大の苦手です。相手の都合のよさそうなタイミングを一日、ときには数日待って電話しないと、と考えると結局かえって変なタイミングでかけてしまって、落ち込むということをわたしは繰り返しました・・・ 所詮、他人のスケジュール、時間の使い方なんてわからないものです。(このへん、フランス人の方がかえって割とわかりやすいような気もします。日本人は人によって時間の使い方がめちゃくちゃに違います・・・)
でも、メールは、相手の反応をリアルタイムで追うことなしに、言いたいことをどーんと言いっぱなしにできてしまうという(これが「コミュニケーションを拒否するためのコミュニケーション手段、ということだと思います)点で、たいへん困ったメディアです。電話は少なくとも相手の声、相手の承諾を聞かなければコミュニケーションが成立していないというのがかけた側にも自然に納得されますが、メールは、書いている方の顔もみえなければ声も聞こえません。
答えにくいメールを受け取った側は、どう答えたものが思案しているうちに時が経ち、送信した方は「あいつはメールに返信もしない」と一方的に自分を正当化できるし、返信できなかった方は「わたしはコミュニケーションを成立させられない、だめな人間かも」と多かれ少なかれ落ち込むことになってしまうんじゃないかな、と思うのです。
世の中に多い「メールを返さない人」というのは、そういう屈辱体験を重ねて、そうなっちゃったんじゃないか、という気がするんですが・・・
確かに…
(
風我
)
2013-08-26 00:47:52
顔を見ながら直接やり取りをするのがベストと、私も思います(そしてアポを確認するための電話なら便利であることに異存はありません)。
メールは仕事以外であまり使わないので、今まであまり考えたこともなかったのですが、直筆でないだけに「機械的になる」のが難点かも知れませんね。
そもそも一昔前なら、手紙を書いて送ったら、返事は早くても国内で一週間後が当たり前に思えたのに、即答しなければおかしいという感覚こそおかしいような気がします。少なくとも「自分がダメ人間」だと落ち込む必要はないのでは?
はっきり言いますと
(
raidaisuki
)
2013-08-28 12:55:45
社会との関わり方が確定しているオトナにとっては、コミュニケーションというのはかなり「自明」のものになると思いますが
問題は、自分が社会とこれからどう関わっていくかという形を手探りで作っていかなければならなず、コミュニケーションとはそもそもどういうものかというのを自分なりに理解して実践する態勢を作っていかねばならない途中段階の若者だと思うのです。
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電話は相手の都合を考慮しないコミュニケーションを強制する意味でより暴力的に感じます。
メールを電話と比べることは、わたしはなぜか予期していませんでした。
コミュニケーションというのは、相手の顔を見ながら、相手の声を聞きながらというのが本来の姿だというのが趣旨のつもりなので・・・これには同意してくださると思います。
風我さんのおっしゃるのはまったくそのとおりです。 わたしも電話というのは大の苦手です。相手の都合のよさそうなタイミングを一日、ときには数日待って電話しないと、と考えると結局かえって変なタイミングでかけてしまって、落ち込むということをわたしは繰り返しました・・・ 所詮、他人のスケジュール、時間の使い方なんてわからないものです。(このへん、フランス人の方がかえって割とわかりやすいような気もします。日本人は人によって時間の使い方がめちゃくちゃに違います・・・)
でも、メールは、相手の反応をリアルタイムで追うことなしに、言いたいことをどーんと言いっぱなしにできてしまうという(これが「コミュニケーションを拒否するためのコミュニケーション手段、ということだと思います)点で、たいへん困ったメディアです。電話は少なくとも相手の声、相手の承諾を聞かなければコミュニケーションが成立していないというのがかけた側にも自然に納得されますが、メールは、書いている方の顔もみえなければ声も聞こえません。
答えにくいメールを受け取った側は、どう答えたものが思案しているうちに時が経ち、送信した方は「あいつはメールに返信もしない」と一方的に自分を正当化できるし、返信できなかった方は「わたしはコミュニケーションを成立させられない、だめな人間かも」と多かれ少なかれ落ち込むことになってしまうんじゃないかな、と思うのです。
世の中に多い「メールを返さない人」というのは、そういう屈辱体験を重ねて、そうなっちゃったんじゃないか、という気がするんですが・・・
メールは仕事以外であまり使わないので、今まであまり考えたこともなかったのですが、直筆でないだけに「機械的になる」のが難点かも知れませんね。
そもそも一昔前なら、手紙を書いて送ったら、返事は早くても国内で一週間後が当たり前に思えたのに、即答しなければおかしいという感覚こそおかしいような気がします。少なくとも「自分がダメ人間」だと落ち込む必要はないのでは?
社会との関わり方が確定しているオトナにとっては、コミュニケーションというのはかなり「自明」のものになると思いますが
問題は、自分が社会とこれからどう関わっていくかという形を手探りで作っていかなければならなず、コミュニケーションとはそもそもどういうものかというのを自分なりに理解して実践する態勢を作っていかねばならない途中段階の若者だと思うのです。