我が家のゴールデン・楽しい毎日の生活

ママの心の中にいる花子・優しすぎるプースキンスカヤ・破天荒な百恵

被災地から、無事帰ってきました

2011-04-06 22:20:32 | Weblog
4月3日(日)午後10時ごろ、パパが無事家に帰ってきました


       お疲れ様でした    by  ママ&プー&もも


                       (翌日からは、通常勤務で~す








パパの体調を心配しすぎて鼻水たらり~んのプー姉ちゃん



大好きなパパとモード





(↓  パパの、現地レポートで~す




富山県の医療支援チームです。 





3月29日(火)午前9時富山から出発しました。


       午後8時半に、約11時間半かけてようやく到着しました。



釜石市弓道場で、寝泊まりします。 (凄く綺麗ですが、夜は物凄く冷え込みました)





到着早々すぐに医薬品、食糧などの荷物をおろし・・・


前のチームリーダーから医療業務の引き継ぎ、被災地の情報を聞きミーティング(今後の活動について)


など、夜10時ぐらいやっと一息つけました



この板の間でこれから寝袋をひいて5日間寝ます。





釜石中心地15キロぐらい離れた所にある小さな漁師町である尾崎地区の避難所から

医療支援の始まりです。







奥に見える白い建物が避難所になっている尾崎小学校です。







鳥居だけ残るのが不思議です。





自衛隊による仮設風呂です。


 「さ~、これで風呂に入れるぞ~」     皆さん大変喜んでました。











ここはリアス式海岸の山を越えた小さな港町なので被災当時、孤立していたと思われる所です。



毎日少しずつ瓦礫撤去など自分たちの手で行われていました。







上の写真の奥に見えるのが1200億円かけて作った釜石が誇る防潮堤の跡 



地元の人に聞いたところ、津波の第一波は防いだそうですが第二波で壊れたそうです。


その他の情報では、この防潮堤で約6分津波の到達を遅らせたそうです。


その6分でたくさんの人が避難して助かっていればと願わずにはいられません。









平田地区  



ここでは自衛隊の方達が重機、ダンプで瓦礫を撤去していました。






たくさんの自衛隊の方達が被災地に入り、黙々と給水活動や瓦礫撤去、


遺体の捜索活動やお風呂の設置作業を実際に目の当たりにし頭の下がる思いとともに


日本を守る最後の盾となる自衛隊に、日本人として感謝するとともに誇りに思いました。




自衛隊の方々におかれては、十分健康に留意して活動されることを祈念します。



今回の活動でそんな大した事もできない自分が、3日目ぐらいから体調を崩し


薬剤師さんから薬を処方して貰い、やっとやっとの活動でしたので・・・(情けない)





実際、医師・看護師の方々も体調を崩しながらですが被災者の方達にはそんな素振りも


見せずに、一生懸命医療活動をしいる姿を見てこちらの方も流石だな~と思いました。












支援最後の夜、今回の医療支援チームにささやかな御褒美がありました



後日、アップしますのでまた見てくださいね



              (今回のブログは、パパのレポートで~す






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