学校に普通に通えるのなら それが
いちばん良いのだと 誰もが思うで
しょう。 同級生達と 同じ教室で
同じペースで 同じ時間を共有し
同じ思い出を 心に刻み 学校を卒業
していく…。 普通に…ふつうに…
フツウ二…。
その〖ふつう〗って事は やんなきゃ
ダメなのだろうか……。
自分の子供が 不登校を経験すると
いわゆる〖ふつう〗では 無い時間を
過ごす事になる 私たち親は
❪ふつうなんて無いんだ❫と 思考を
変える努力を することになります。
…朝、決まった時間になると、登校
する子供達の声、鞄に付いている鈴
の音、走る足音 、話し声 、自宅が
中学校の隣に位置するため よく聞こ
えてきます。 当時 不登校だった
息子には とても 刺激的な音…。
学校が隣にある以上、この音は 当た
り前の音。でも 息子はもちろん 親
の私にも この音は 当時、とても辛
い音でした…。 この音を いかに
ふつうに 当たり前の音として 受け
止めるか。 実際の息子は この朝の
時間、布団の中で丸まり カーテンを
閉め じっと耐えていました。時には
泣きながら 自分の頭を殴り、声を
押し殺し、苦しんでいました。私は
この状況は 良くない…と思い、
思いきって 学校は休んで良いんだ
という事を 私と息子の中の❪ふつう❫
に 変えました。普通に学校に 通え
ている子達には無い 我が家のふつう
を 作りました。そして その音も
平気になりました。
❪普通=当たり前❫では無く、それぞれ
の個性で生きる、不登校であろうが
無かろうが、別にみんなと同じじゃ
無くても ぜんぜん大丈夫なんだよ…
って、そういう思考でいけたら 逆に
不登校なんて 無くなるんじゃないか
なと、私なんかは 思うわけです。
不登校になる子って 誰よりも
真面目で、思いやりがあって
気づかいがあって、繊細で、
デリケートで、敏感で、、、、。
誰よりも 誰よりも、普通にしなきゃ
って 努力してきて、真面目が故に
理不尽な事が 許せなくて、
だけど やさしいから
他者のせいには出来なくて
悪くもないのに 自分を責めて
自分だけが耐えて
優しすぎるから、
学校に行けない、
自分だけを責め続けて、
苦しんで……。
…学校に行けないことを 絶対に
責めては ダメなんです。だって
自分を 責めて 責めて 責めて きた
結果が 不登校として 現れたから。
やっと 不登校という形で
自分の気持ちを 表現してくれたんだ
から……。
私は 息子が『学校休みたい…』って
言ってきた時、何故だか ホッとした
のを 覚えています
今現在 不登校で 悩んでいる人は
たくさんいると 思います。
子も 親も、不安で いっぱいだと
思います。 でも、考えてても
疲れてしまうので、少し考えるのを
やめて、具体的に言うと
学校に行かなきゃ…って考えを
少し辞めて、親子で たくさん
コミュニケーションとって、
なんでも 話せる親子になって
楽しんでから 先の事、考えても
遅くないんじゃないかと 私の
考えですが、思うわけです
❪ふつうなんて無い❫んですから(笑)