エッセイと虚構と+α

日記やエッセイや小説などをたまに更新しています。随時リニューアルしています。拙文ですが暇つぶしになれば幸いです。

半信半疑

2015-02-27 23:12:05 | 日記
人間不信のような状態に陥ってから10ヶ月にはなる。ところで、サッカー日本代表が、アジア杯のpk戦でUAEに負けてからもう何週間も経つ。準々決勝敗退という結果にはサッカーファンとしては落胆した。
震災以降の世の中に、次々と制定されていく強制力の高い法律を調べる度、自己責任と社会状況の狭間で、ぼくは苦しむ・・・。
そしてこのblogを改めて読み直し自分の文章力の無さに落胆する。

以前よく会っていた友人たちとも、あまり連絡が取れなくなってしまい悲しい。しかし現在の自分には、「書くこと」は有って孤独であることが決して苦にはならない。1日のうち、ふさぎ込むような時間があるのだけれど、原稿用紙にボールペンで文字を記す度、リラックスする。
ほんの僅かな時間であり、ことなのだけれど、趣味の少ないぼくにとっては貴重なことだ。練馬区の片隅に生息するとある110kg 176cm 33歳の無職の男(イニシャル M・F)による日記

温故知新

2014-05-29 02:37:22 | 日記
戦意喪失。しばらくひきこもるかな・・・。6月のはじめくらいまで。
でも揺らぎやすいぼくは明日になったらまた小説エッセイを書いて傷つくのかもしれない。

ぼくはまた性懲りもなく16歳の少年を主人公に1人称の小説を書いています。
原稿用紙100枚を目標で現在20枚目を書いています。95%以上のフィクションとその当時のぼくのリアリティーを織り交ぜていて、表現や文体や固有名詞や描写といったことに気を付けています。
会話を書くことが苦手かもしれないということにやっと気が付いて地文で枚数を稼いでいる感じです。
人称は俺や私が合わないので消去法でぼくというセンチメントな主語になってナルシズムに陥ることが多く、その度に森鴎外の文体を思い出して参考にして書いています。明治の文豪はやはりかっこいい。文章のきれと強さを森鴎外には感じて学匠文人だった超エリートの凄みが明治・大正という華やかな時代の音色にのって伝わります。『ヴィタ・セクシャル』という小説は読みやすく漱石をうまく読み込めない男性脳のぼくにはやはり鴎外だなと確信めいた文学でのお手本の存在を知ることができた作品です。
鴎外はなんでも将棋をやらなかったそうでその意味でも好感がもてます(ぼくは将棋が弱い・・・)まだメディアもそこまで発達していなかった背景が漱石や鴎外が古来稀な文豪であることを支えてもいるようです。現代では吉本隆明さんいわく秘密を保つのが難しい時代になり大家が生まれにくいそうで、一方でTwitterやweblogといった便利なツールがあり、それらを使って書籍の販売部数を伸ばすといった利得もあるわけでやはり複雑ですね。

世界中で起きている
争いなどが収束していけば会社
組織
などにも平和が波及してゆくかもしれないとキリスト教のエッセイを読みながら思いました。ぼくはきょうもNETサーフィンをして

検索

したり動画を視聴したりして静かな幸せを噛み締めたいと思っています。

久しぶりにweblogの行間を開けたら不自然になってしまった・・・。お許しを

読書日記

2014-05-04 16:15:40 | 日記
ミシェル・フーコーの精神疾患とパーソナリティを読んだ。難しくて苦労したけどなんとか読み通せた。良い読書体験でありでも少し疲れた。だけれどまた難しい本もたまには読んでみたいな。
とにかくシャワーを浴びたらすっきりしてなんだかリラックスしてます(´・_・`)