こんにちは、司法書士・ペット相続士の金城です。
以前、牛飼い 吉沢正巳(まさみ)さんのことはブログで取り上げたことがあります。
東日本大震災から14年を迎えるに当たり、NHKで吉沢さんの活動を再放映していましたので、ブログで再度紹介させていただきます。
2011年3月11日に起こった東日本大震災では、津波に襲われた福島第一原発の事故により【避難区域】が設定され、区域内の住民が避難を余儀なくされました。
住民避難に際し、ペットである犬・猫は避難区域外へ連れ出すことが認められました。
しかし、牛・豚・ニワトリについては、汚染物を市場に流通させないとの名目で、避難区域外への移動を禁止されます。
避難区域では多くの牛・豚・ニワトリなどの家畜が飼われていましたが、それらの家畜がペットとともに置き去りにされたことを記憶されている方も多いでしょう。
福島県は、震災の約1か月後の4月24日、衛生面などの問題を考慮して、避難区域内で生き残っていた家畜をすべて殺処分する方針を決定します。
当時、置き去りにされた家畜やペットがどうなったのか、テレビニュースなどで表立って大々的に報じられることはありませんでした。
世界的に有名なアルピニストの野口健さんは2011年7月に避難区域に入り、自身のホームページで家畜の惨状をリポートしています。
避難区域では地獄絵図そのものが展開されていました。
空腹のあまり排泄した糞尿を食べ、ついには共食いする犬・猫。
餌を与えられる時に首を固定され、そのままの状態で人が避難したため、身動きが取れないまま餓死していった牛たち。
また、餓死した豚の屍の山。
そして死体に群がるおびただしい数のウジ。
調査結果では、福島第一原発から半径 20km圏の警戒区域には、震災前には牛3,488頭、豚30,510頭、ニワトリ441,000羽が飼養されていました。
しかし、事故後2カ月で、ニワトリ全て、牛2,200頭、豚29,800頭が餓死しています。
ところで、避難区域から避難する際、飼っている家畜を繋留状態から解放して避難した畜産家の人たちがいました。
辛うじて生き残っていた牛や豚たちは、牛舎や豚舎を離れ、野生状態で生きていたものです。
しかし、家畜については殺処分する方針が決定されたことから、生き残りの牛や豚は捕獲され、殺処分される運命を辿ることになります。
このような惨状の中、必死に生きようとしている家畜たちを守るために立ち上がった畜産家がいました。【エム牧場浪江農場】の吉沢正巳さんです。
現在では改称し【希望の牧場】と呼ばれています。
エム牧場浪江農場は福島第一原発から14km離れた浪江町にありました。
原発から20km圏内が避難区域に指定されたため、エム牧場浪江農場も避難区域に当たります。
しかし吉沢さんは、浪江町の町中の人たちが避難した後もエム牧場に残り、牛の面倒を見続けます。
避難区域内の家畜は被爆している可能性があるため、もはや食肉として売ることはできません。
それでも吉沢さんは、自身の牧場の牛たちのみならず、避難する畜産農家からも牛 約100頭を託されて飼育します。
福島第一原発事故以降の13年間で、避難する周辺の畜産農家から託された牛も含め、吉沢さんは300頭以上の被爆牛を看取ってきたとのことです。
2024年時点で、吉沢さんは180頭以上の被爆牛を世話しています。
家畜としての価値がまったく無くなった牛を、13年以上も飼育しているわけです。
ちなみに、180頭以上の牛を飼うためのエサ代は月額30万円に上り、東京電力から支払われた賠償金と自身の年金でエサ代をまかなっているとのことです。
吉沢さんが被爆牛を世話し続けている根底には、家畜としての経済価値はゼロになっても、人間も動物も「命」の重さは等しい、という考えがあります。
経済価値がゼロになった被爆牛を世話し続ける吉沢さんの姿は、命を、「生きる意味のある命」と「生きる意味のない命」とに選別する社会の在り方に対して、静かに疑問を投げかけています。
そのNHK番組の中で、吉沢さんは「あと10年ほどで被爆牛たちはすべて寿命を迎えるだろうから、私は牛たちの命が尽きるまで世話をする」という趣旨のことを語っておられました。
被爆牛たちを守るために、まさに命を張って活動している人物が存在することを知っていただければと思います。
【希望の牧場】のホームページアドレスは次のとおりです。