そしてまた日は昇る

もうすぐ30代の女 
その日常や思うこと感じること

半年

2005-09-11 22:29:46 | Weblog
そろそろ半年になります。

音楽を聴きながら運転していたのだけど、
直後には反応しなかった曲がなんだか刺さりまくって
涙をこぼしながら運転していた。まだ涙は枯れていないみたい。

奴もさみしかったんだ。
どうしようもなくさみしくてつらくて、その想いを確かめたくても
わたしは受け止めているようで追い詰められていて話はいつもすれ違う。
そんなとき身近に安らぎを求めて、それがその時心から欲したことなら
奴にとっては救いであり善であり自然ななりゆきであったのだろう。
その後のことなんてそのときは何も考えられないだろうし
当時のわたしや奴の背負った筋書きから逃れたかったのだ。
いままでわたしは自分の立場から悲しみや痛みを感じ、
自分の再生でせいいっぱいだったけど、
奴の苦しさはどんなものだったのかと運転しながら考えた。
単純なことだけど、弱い人だったということ。
でもその弱さをどう受け止めるか、
わたしにはまだ色んな意味で足りないものが多すぎた。
歯車がうまく回っていた時はお互いの弱さや未熟な部分を補って
共に進んでいけると思っていたけど、
それには相当の覚悟とバランス感覚が必要で
いい年した私たちはうわべの体裁を保つだけで力尽きてしまった。
そしてあるときを境にすべてが別れの方向に流れていった。

奴の安らぎは新たな苦悩のはじまりのようだけど
もうそれはわたしの人生とは離れたところでおこっていることで
わたしは奴と奴を取り巻くすべての人(もちろん女も子供も含めて)が
少しでも良い方向に導かれるよう祈るのみ。

わたしは最低1年はかかると思っている、ある程度再生するには。
とにかく1年ひとりで過ごして、去年の今頃は・・・と回想したときに
奴との思い出ではなく、ああひとりで旅に行ったなとか本を読んでいたなとか
思い出せるようになり、そしてそこからまた新たなスタートを切ると思う。
来年の桜はどんな気持ちで見上げるのだろう。
落ちてくる花弁はわたしをみとめてくれるだろうか。

あんなに好きだった人と一緒にいられない意味は、これから少しずつ判っていくだろう。
現にもう離れた時空を過ごしているけど、判ってきたことがある。
だからこのまま流されても何が起こってもいい。
留まって腐ることが一番いやだ。
水が浄化していくように、わたしも奴もゆっくりでいいから浄化していかないと。
この衝撃の意味のひとつはそこだと思う。
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オトナの階段

2005-09-09 19:57:19 | Weblog
会員になった。
おいしいお酒が適正価格で落ち着いて飲める会員制のお店だ。
酒屋さんが経営している。

お酒が飲める体質でほんとうによかった。
風呂上がりのビールも食事とともに味わうワインも
さしつさされつの日本酒も軽く酔いが回って味わうスピリッツも
どのお酒も愉しみの空間が広がっていく。
でもきれいごとばかりでもないけど。

このお酒の愉しさを一緒に共有できる人と出会いたいものだ。
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とりとめなく

2005-09-07 20:09:19 | Weblog
私は自分の状況や心情をしょっちゅうともだちに話すことはあまりない。
そして、そういう部分に気づいていなかった。
ひとりっ子なので、身近に比較対象される兄弟もいないし、
親も誰かと比べるということはほとんどなかったから、
自分に関しては自分が基準であることに
なんの疑問も抱いていなかった。

ある友人に、私は私の中で結果や答えが決まってから話をするんだから
と言われたことがある。
そのことを責めるとかではなく
わたしのそういう部分を言葉にして伝えてくれたということだ。
すこしびっくりした。そういう部分はわたしにとってあたりまえのことで、
心のなかでもやもやした感覚はまず自分で答えを出さなければならないと
無意識に意識していた。
でもそうでなくてもいいみたい、とその友人の言葉で気づいた。
それから数年が過ぎ、どうすることもできないことが起き、
感情の激しさや苦しさに飲み込まれて心が壊れそうになったとき、
私は真っ先に友人たちに話をした。
状況やそのときの自分の心情を隠さずとにかく話をし、
みんなきちんと受け止めてくれた。
私の話を聞いて泣いた友人もいる。
私があんまりわあわあ泣いていたからつられてかもしれないけど
でもその友人の涙は一生忘れない。

なにが言いたいのか自分でもわからなくなってきたけど、
とにかく私の友人達はみな賢く聡明で
一般的な女の子からはすこーしずれているけど
とても魅力のある子ばかりだと思う。
そして、類は友を呼ぶということで、私もそうなのかなと最近感じる。
たぶんいちばんずれていると思うけどね。
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夢と涙

2005-09-03 17:42:46 | Weblog
夜中の1:30頃泣いて目覚めた。
夢で奴に泣きながら話していてそのまま目覚めたみたい。
目覚めてからもまわらない頭の中はとにかく悲しい気持ちがいっぱいで
しばらくぼろぼろ泣いていた。
そしてまた寝た。

9月、気分も新たにと思っていたけど、浄化にはまだまだ時間が必要なのかな。
そんなに日常生活は苦しくなくなってきたから
深い意識レベルでの浄化が進んでいるのかな。
専門家ではないからよくはわからないけど、この夢そして涙もひとつの節目としてとらえていきたい。

なにげなく毎日を過ごしていても、物事は動いているし
おさまるべきところにおさまるということを身をもって体験している。
どうすることもできない流れにまかせていると、そういうことがよく見えてくる。
これからわたしはどこに流れていくのか。
どうおさまっていくのか。
どういう状況になっても自分の立ち位置を見失わないよ、もう昔とはちがうから。
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つながり

2005-08-29 23:28:09 | Weblog
なんとなくそのひとのことを考えると
しばらくするとその人から連絡が来たりすることがたまにある。

以前いた会社で青森の子と仲が良くて、お互いその会社を辞めても
たまに連絡取り合ったりしていたけど、ここしばらくは連絡は取っていなかった。
そう、たぶん数日前の出勤の時、いつものようにチャリをこいで
交差点で信号待ちをしていてやけに空が澄んで気持ちの良い青空だった時に
彼女のことをふと思い出していた。

そしたら、今日メールが来た。

思うこと、念までいかなくても思い描くことは、どこかで通じているんだね。
そして、その不思議なタイミングでメールなり何なりつながるということは
そのひとと縁があるから、そういうことになるのだね。

つながっているんだなあ。
コメント (2)
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今週末の出来事

2005-08-28 20:33:05 | Weblog
土曜日、店長と飲んだ。
店長は自作の靴やジョージクレバリーでオーダーした靴などいろいろ持ってきてくれた。
ちなみに店長はロンドンのジョンロブでオーダーした靴も持っている。
べっこう色のこっくりとした艶は店長でないと出せない磨きだ。

いまわたしはベグリンの赤い財布を使っている。
縫いの一部がほつれてしまい、直しに出そうと思っていたのだけど
店長に直してもらえそう。うれしい。
店長、一生ついていきます。


今日の日曜日はブライダルフェアでの印刷物受付のバイトだった。
決定ゼロ!あーなんだか気が重いです。
しかも最後のほうにGM(総支配人)に結婚についてありがたいお話をいろいろ聞かせてもらい
わたしの猶予はあと1年だそうだ。
旬は1年!世の中のものの見かたってそんなもんなのかね。かー!

あと2ヶ月で30歳。
迷走と瞑想はまだまだ続きそうだよ、とほほのほ。
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生傷

2005-08-24 19:35:09 | Weblog
思い出は予期せぬところからやってくる。
もう元気になったと思っていても、思い出の風にさらされひりひりした感触に
こころはまだ生傷なのだと気がつく。
風に吹かれるままあのころに思いをはせると、こんなことになるなんて知る由もなく
ただただ目の前の幸せをむさぼっていたわたしの目線で景色は広がっていく。

もう決して行くことはない場所
ただの駅だけど、そこにはそのころ幸福や希望や夢がいっぱいつまっていた。
その駅前のちいさな洋菓子店をいつも上からのぞいて
あれやこれやたわいのない会話をしながらのんびり歩いた帰り道。
坂の上にはきれいな空が広がっていて、そのときそこには小さな愛がたしかにあった。

ユーミンの歌でたくさんの思い出がよみがえるけど
ユーミンが紹介していた洋菓子店でまだ痛む思い出がよみがえるとは。

まだ生傷なんだね、4ヶ月はまだ生傷か。
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いやはや

2005-08-23 20:15:31 | Weblog
昨日から仕事が始まりました。
9日ぶりなので、体がついていかない。

夏休み中は、昼ごはんの後はもちろん昼寝をがっちりしていたから、
その習慣もそのまま体はもちろん覚えており、14時ぐらいから激烈に眠かった。。。
毎日気ままに過ごしていただけだから、しゃきっとお仕事できるかと思っていたら大間違い。
いやはや、なまったからだになってしまった。

もう早く家に帰ってビール飲んで(これははずせない)一刻も早く横になりたくて、
からだの要求どおり実行。
19:30には横になり20時には寝てしまった。
起きたのは翌朝6時。
10時間も寝てしまったよ。。。子供でもこんなに寝ないよね。
でも朝の目覚めは良くスッキリした感じだったので、よしよし。
仕事も今日はだいぶ楽になりました。

睡眠は万能薬だね。

そう、今日ヤツからメールが届いた。
私の幸せを祈ってくれてるそうだ。
過去、一緒に幸せになりたかったひとから幸せを祈られるこの現実を
わたしはたくましくしなやかに生きていくよ。
心底すきだったひと、心底キライにはなれない。
わたしもあなたの幸せを毎日祈ります。

このなんともいえない気持ち、ひさしぶりだなぁ。
というか、日ごろ胸の奥にしまっている感情があふれてきたのかな。

こうして夏は過ぎていくのか。
よしもとばななさんの「デッドエンドの思い出」に思いをはせながら。
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ガンダム

2005-08-20 10:41:09 | Weblog
9時間半のガンダム特集ぜんぶ見た。
きっと今日は脳内がガンダム一色のひとが日本全国津々浦々。
あのセリフ、あのシーン、ああ!余韻にひたっていることでしょう。
わたしもずぶはまりのひとりです。
午前五時ちょっと前、大泣きしていました。

久しぶりにファースト3部作をみたけど、
色あせないストーリー、キャラクター、MSに吸い込まれて時間を忘れる。
シャアが大好きだけど、でもホワイトベースの人間模様やそれぞれの男女関係も
同じくらい大好きだ。
それぞれが背負ったものの大きさや重さ、それに否応なしに巻き込まれ
悩み壊れそうになってもでも背負って進んでいくしかない芯の強さ。
死にとなり合わせの戦場ではぐくむ愛、
一瞬先の未来だってなにひとつ確実なものはないのに
それでもそれを信じようとする人間たち。
そしてどうしようもない出会いにとまどいながらも魂を感じあう瞬間に
すべての感情が交錯する悲劇。

こころがいっぱいになるね。

安彦先生の金髪ふわふわシャアは永遠にわたしのこころに鎮座しています。
中学生のころ、シャアとわたしが舞踏会でワルツみたいなのを踊る夢をみたのは
いまだにひそかな自慢(だれに言うわけでもないけど)
あの夢はシャアとガルマの夜の社交シーンが深層心理にあったのかな。
とにかく、夢のような夢でアホよばわりされようといいのです。
すきなものはすきだから。

見終わるのがこわくて見ていないZのDVDを見るときはくるのだろうか。
わたしのこころに受け入れる余裕はちょっとまだないかも。
だってZは本当にあまりにも悲しすぎるから。

そんなこんなで夏休みもあと二日。
恋人のいない夏は、シャアとガンダムとよしもとばななと村上春樹が
恋人のようです。
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歴史的再会

2005-08-18 16:50:54 | Weblog
ゆるい夏休みがゆるゆるとすぎてゆく。
朝晩は空気がひんやりしてきて、夏もおわりねなんてちょっとさみしくなったりしている。

高校時代の友人とその子供(1さいちょい)に6.7年ぶりぐらいに会った。
高校時代からけんかしたりしてしばらく疎遠になることが多かったけど
ここまで疎遠になると、もう一生会わないだろうと思っていた。
でも、もう一人の友人はその子とつながっていて、歴史的再会ができた。
体が小さい彼女がきちんと子供を産んで育てていて、
そして子供がのびのび生きているのをみると、とっても幸せな気持ちになる。
子は地球の宝だね、ほんとに。
そして、子供はみんなのびのび幸せに生きる権利があって、それを親は侵害してはいけない。
強く思う。

私に起こった出来事を彼女に話なんかしたりして彼女が大興奮していた最中ぐらっときた。
最初はMAXでも通ったか(アパート近くに新幹線が通ってて通過するとけっこうゆれる)
と思っていたら、なんかちがう。地震だよ、しかもあれーでかいじゃん!
ガラスのコップが落ちて割れた。
私は出口確保で玄関を開けて、シャレですまない揺れになってきたからみんなで
アパートの外に逃げた。
アパートが崩れるんじゃないかってくらい揺れた気がしたけど、
揺れがおさまってあたりを見回すと外に逃げているのは私たちぐらい。
あれーと思いつつお互いを見ると、友人は裸足だ。
そして子供は地震なんか気づかなかったようににこにこしていてほっとした。

怖かったねーどきどきしたねーまだ震えてるよーなんて言いながら部屋に戻ると
ガラスの破片とじゃり銭が飛び散り、本や雑誌は崩れ、テーブルの上のお茶はこぼれて
白いテーブルクロスがお茶色に染まってた。
いやはやなんだってこんな久しぶりにうちら会ったから変なエネルギーが集まって
地震になっちゃったのかなーなんて話しながら片付けつつNHKをつけると
「仙台放送局はかなりの揺れを感じましたが、コップとかは落ちなかった」
みたいなニュアンスを繰り返し放送している。
あれーここはこんなにコップが落ちて割れているんですけど。。。
まあ大惨事にはならず、女3人だから後片付けもはかどったからいいけどね。
今日の歴史的再会は一生忘れないね、あの時地震がきてさーなんてずーっと思い出に残るね
なんて話しながら、日は暮れていきました。

しかし、高校時代の友人は深いね、
こんなに間があいてるのに多くを語らずとも通じるから感動する。
たまに会えて話ができる友情を復活できた、なんて幸せなことだろう。
友情は人生の宝。
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