肆月組

ガテン系を目指すデザイナーズブログ

暗い夜空に

2006-04-24 | Weblog
貧乏人はろうそく使うのもケチる。だから爪を長くする。研ぐ。他人のものだったら垢でもほしい
何もしなくとも伸びてきたところで使いようの無い。しかし貧しさはその無価値物に対しても貧乏根性を働かせて捨てない。貯める。これは貧乏人の子だくさん、と同じような話なのかもしれない。使いようも無いのに増やす、貯める。どうしょうもなくなって燃やしてしまう。もしくは処理することすらめんどくさがる物臭が貧しさの素なのか。切るはさみも無いのか他にも夜に爪を切ると貧乏になるとかもあるし、ともかく爪の長さは貧しさ、という以上に忌み嫌われる表象の関係があるみたいですね。おじさんの小指なんかまさに、汚いものとして見られますし(鼻や耳をほじるために伸ばすみたいですが、うちの父の場合、短指症を隠すために伸ばしたというコンプレックスからの理由もあるのです。汚いことには変わりないが)
爪の長さへの蔑みは不潔だからか、手の作業に支障をきたす(ように見える)からか、確かなことはわからないがどちらの場合も、髪を整えるのと同じように爪を整えるのは文明人の基礎的な身だしなみ、あるべき身体なんでしょう。そういえば悪魔って爪が長いですね。メフィストフェレス、ベルゼブブ。それぞれグリフォンとハエ、もしくは豹に例えられたりするわけだから、爪が長いというのは人に非ず、獣のイメージだというわけだ。そりゃそうか。先に気づくべきだった。人は手、獣は爪という道具性の差が表れているわけですなぁ。人であるための線引きとしての爪であると。
でもそれがどうしてそこまで貧乏のイメージとくっついているのかがわからない



なんて特に爪の話がしたいわけではなくて今僕が貧しいという話が、増える当てなく出る一方なのさ。それでも伸びてくる爪を見ると、こんな無駄なことは無い、何のために食べているのかわからなくなる。貧しさで子供を絞め殺す親って案外似たようなことを考えるのかもしれません
おしまい

2006-04-02 | Weblog


帝國解体、格下げ。時代の流れを汲んでと見越したその名は、手に余ることこの上なし。我が季節の到来とともに、基礎から再出発です。

組。泥臭さと悪さと幼さの混入、汗とバイオレンスと萌えの融合。工業幼稚園での抗争物語なんて、新しい。

そんな話を一つ


私が幼児の頃、二つ下の妹に自転車が買い与えられた。ピンク色の自転車。二輪。私だって既に宇宙刑事もののイラストがついたお子様自転車を乗り回していたがしかし、年長にして補助輪無しでは乗れなかった。四輪。私は妹の少し大人びたマシーンに羨望の眼差しを送っていた。「二輪になれば、僕だって…」傍から見ればたいして代わりは無いのだろうが、幼児にとって補助輪のあるか無しかはその佇まいから大きな差を見て取るのだった。幼き私は目を盗んではピンクの自転車を運び出し、小さな坂で二輪の練習をした。こぎだすことはできなかったが、気分は大人。二輪の風を全身に浴びた。しかしその時、突如パンッと何かが破れるような音がした。車輪に画鋲が刺さったのである。前輪に、小さな穴が開いた。おもむろに、今度は自ら画鋲を踏みつけた。突き刺さる音が気持ちいい。もう一度、もう一度。後輪にも同じように何度も何度も、私は多くの穴を開けた。気づいてみれば、車輪はべこべこになっている。もう音が鳴らない、どころかまずいことをしたことにようやく気づいた。妹の自転車を走れなくしてしまった、壊してしまった。あせった私は、自転車を裏のドブ川に捨てた。とりあえず不安な物は消したから、よしとして家に帰った。
その後、ドブ川で車輪が穴だらけのかごやらハンドルやらがひしゃげた自転車が引き上げられることになるが、もういいや。

幼くて、悪くて、泥臭い話