東日本大震災 ぷらんぷらんの支援活動報告
未曾有の被害をもたらした東日本大震災に、ぷらんぷらんとしても支援を行っていこうと考えております。
私たちは本当の復興まで関心を持ち続けていくことが必要と考え、支援活動のご報告などを更新していきます。
※2011年6月5日~11日 大槌町での活動(今泉)
** ボランティアシステム **
6月5日~11日の7日間、(社)日本社会福祉士会を通じて岩手県大槌町の地域包括支援センターでボランティア活動を行って参りました。
社会福祉士会では会員に被災地で活動したい志願者を募り、被災地と会員をコーディネートします。活動期間のマネージメントや活動拠点の用意、一日3000円の活動費を支給します。活動費は社会福祉士会への募金で賄われています。
** 準備 **
被災地に赴くにあたり、ご利用の皆様には快くご協力いただきましたことを、改めてお礼申し上げます。皆様が被災地のことを思ってらっしゃることが伝わり、皆様のお気持ちも背負って赴きました。
今回の活動はボランティアですので、現地へのアクセスや現地での滞在にかかるものはすべて自分で準備しました。私は昔リュックを背負っていろんな国を旅していました。この頃を思い出して、リュックにシュラフ、身の回りのものをすべてつめこみました。
* 岩手県大槌町 **
社会福祉士会からは岩手県大槌町の地域包括支援センターに派遣されました。
大槌町は15000人くらいの小さな町の1割の方が津波の犠牲になられました。しかも、町役場が津波にのみ込まれたため、1/4の行政職がいなくなり、町長以下主な管理職がいません。町の大事なデータもすべて流されてしまい、行政機能を失っていました。
私はその福祉課で高齢者のデータベースを再構築する活動を行うことになりました。
** 活動内容 **
地域包括支援センターは高齢者をよく把握されていた職員の方が犠牲になり、自身も家族を失った新人職員の方々とともに再出発していました。
驚いたことに、まだ町は「今誰が町内にいるのか」ということすら把握できていませんでした。戸籍制度始まって以来の出来事でしょう。
住基ネットはありますが、「行方不明」の方が多いため戸籍に反映されていないこと、住民票を移さず町外に避難されている方が多いことなどが原因です。地域包括支援センターは少ない職員、災害対応の業務のため、通常の仕事が行えない状態でした。
私たち社会福祉士会から派遣されたボランティアは、職員の方が本来の仕事がなるべくできるように雑用を肩代わりしたり、高齢者の調査を行ってそのデータを整理したりと、地味ですが意味ある活動をさせていただいたと思います。
入力作業など、誰にでもできることもありましたが、個人情報のアセスメントシートを読み解き、住基ネットにアクセスしてデータを整理することは、守秘義務を持ち、身元が保証されている、社会福祉士会の会員だから許されているわけですから、気を引き締めて活動しました。
戸籍や調査票からも被害の様子がうかがわれ、あの日を思いながら作業をしました。 避難所や仮設住宅を訪問し、高齢者の被災状況、心身の状態などを調査したときは、当日の恐ろしい体験、家族や近しい方を失った悲しみ、将来に対する不安などを伺うことになり、心が痛みました。
** 被災地の様子 **
大槌町の中心地は壊滅状態で、まだ寝泊まりする状況ではなく、寝泊まりし事務作業をする活動拠点は大槌町の隣、釜石市の被災を免れた地区にありました。
被災を免れたところは全くの日常風景でした。しかし、拠点から車で釜石市街に入ると突然、壊滅状態でした。リアス式のため、大槌町までの道のりは壊滅、日常が繰り返され、生死を分けた境目がはっきりとわかりました。
「津波想定区域」という看板があちこちにありましたが、想定を超えた地域もあったようです。 まだまだ瓦礫の撤去は進んでおらず、乗り上げた船、逆立ちした車、転がった家などがまだたくさん残っていました。
大槌町の場合は見つかってない方の方が多かったようです。「○○さんは津波にさらわれちまったんだ」という柔らかい東北弁を何度も聞きました。また、被災地のみなさんが「あれー生きてたんかー!」と喜び合う場面もよく見ました。避難所が違うと知り合い同士でも会う機会も減り、生死が確認できない状態のようでした。
** 私たちにできる支援 **
私たちができる支援は、現地ボランティアと義援金の寄付だと感じました。
岩手はアクセスが悪いためボランティアが少ないようです。岩手県に限らずボランティアの派遣を上手に行っているのは、県や市町村の社会福祉協議会です。岩手の場合は遠野市で県外からのボランティアを受け入れて派遣していると、現地で会った瓦礫撤去のボランティアさんが仰っていました。
被災地では、食品、身の回り品などの支援物資はあふれかえり、消費が大変な状態でした。役場のロッカーにはカップラーメンや非常用ご飯、清潔用品があふれかえっていました。流通は普通になっています。
このように被災地の様子は刻々と変わります。 これから被災者のみなさんは、避難所での支給される生活から、仮設住宅での自律的生活に移行します。義援金は支援金と違って個人が使える自由度の高いお金ですから、まだまだ必要です。
貰った物では選択の余地がありませんが、自分で買えば自分のお気に入りを手に入れられます。福岡で物資を買って送れば、福岡の経済が潤いますが、義援金で買えば、被災地の経済が潤います。このように考えると、義援金を募金することはとても意義ある活動です。
社会福祉士とは違う別のルートで被災地支援に入った方の話によりますと、被災地に激励の作品などが日々届き、対応に困っているとのことでした。私も避難所で所狭しと、メッセージや作品が飾られているのを見ました。思いを届けるのであれば、被災地にとって本当に必要なことを考えてから行動することも大事だと思います。
今回、私の活動のために、ご利用の皆様やスタッフ、家族に多大な迷惑をかけました。近しい方が被災地に行かれて、多少負担を感じられた方は多いのではないでしょうか。このように、活動している人だけでなく、被災地を思って我慢する、負担するようなことも、立派な支援活動だと思います。
今後もぷらんぷらんでは様々な形で被災地支援を行っていく予定です。
平成23年6月19日(日) 今泉報告
ONE HEART JAPANさんに寄稿した記事に加筆修正しました。 http://oneheartjapan.com/archives/1315