Pangea on the Land

創造と共に
リアルな生き方の記録

ハロウィンの夜

2015-11-03 21:08:50 | TREE
薪ストーブを部屋につけてからというもの、今度は部屋に薪棚が欲しくなった。
会社からもらってきた廃材を組み立てて、ただの棚を作るだけでは
遊び心がない。
悩んでいるタイミングに今年の営業を終えた会社の店で売れ残った植物を
大量にもらえることになり、僕のアタマの中で薪棚のイメージが
まとまり、パパっと数分で設計図ができた。



植物が雪で埋もれてしまう北海道。
部屋のなかくらい植物を楽しむことができないかと考えていたとき、
3年くらい前に東名高速足柄サービスエリアの上りで見た
ウォールプランツ、壁面緑化を思い出したのだ。
いつか北海道でやりたいと思っていたが、その「いつかは」は「いま」である。
その「いま」を実行したのはハロウィンの夜。
「薪棚とウォールプランツ」。

まずは柱である。
角材を使っても良いのだが、四角く製材されたものは避け、何も加工していない
そのままの木を使うことにした。
木肌がきれいなシラカバを柱にと思ったが、枝ゴミのなかにシャラ(夏ツバキ)の
細い幹があったので四本持って帰ってきた。
シラカバ同様、シャラの木肌も美しい。

ホームセンターでボルト、ナット、角のワッシャを4セット。
「薪棚とウォールプランツ」で、おカネを使ったのはこの部分だけ。
500円でおつりがくる。

商品化されているウォールプランツはスポンジに肥料と植物を一緒に巻き、
専用のポットに入れ、それをはめ込む為の専用の棚が必要。
水やりは棚に張り巡らされた点滴チューブから。
そんなもの、僕には必要ない。
ただ、柱に対して斜めに棚になる横木を入れて、植物ポットが落ちないための
ストッパーとして、後ろの横木を二枚重ねる。
それに、もらってきた植物を並べ、その下に薪を置き、なんとなくシロクマとポスターを
セットすれば「薪棚とウォールプランツ」の完成である。



水やりは時々、液肥を混ぜたもの与えるだけで管理は充分だろう。

楽しみをおカネで買おうとすれば、僕は楽しくなくなる。
おカネをかけないなら自分でやるしかない。
自分でやる。
遠ざかっていったものに僕は直接、手を触れる。

勝手な

2015-07-16 21:56:52 | TREE
なぜだかわからないが、イチイ(一位)という木を北海道ではオンコと呼ぶ。
遠い昔から地球上に存在する木である為に「生きた化石」などとも呼ばれるようだ。
地球上で長い時間を生き続けてきただけに、いや、長い時間地球上で生き続けることを可能にした
と言った方がただしいのか。
どちらにせよ強く葉を深く刈り込んでも芽をふく強い木である。

お客さんのお庭の管理にお邪魔して、そのイチイの刈り込みをした。
密集して植えてある庭から少し離れた「なぜここに」という場所に二本のイチイが植えてある。
正確に言うなら、周りにあった樹を撤去して、二本だけ残してある。
樹は4年以上は剪定していなく、前回の剪定でどのような樹形に刈り込まれたのかすらもわからない状態。
刈り込みをしながら、ようやく形が見えてきた。
むむ!?
なぜ離れた場所に二本の木を残してあるのかわかった気がした。

植えたときから二本の距離は狭く、葉がぶつかりあう状態で、あえて
一本だけ小さいものを選んでいる。
選んだ木はイチイ。
そして、庭から離れた場所にあえて残してある。

刈り込みを終えて右、左、グルグルと周り樹形を確認。
むむむむ!
やはり、これは「夫婦岩」ならぬ「夫婦木だ!」。
家を建てた時なのか、何年目かの結婚記念日に植えたに違いない。
という僕の勝手な妄想。
でも、そうだとしたら「なんだか良いな」などと、また勝手に思う自分がいる。
「なんだか」なのである。


訳ありの薪割り

2015-07-09 21:14:28 | TREE
お客さんのお庭にお邪魔したときのことだ。
樹を伐採、抜根して、新たな樹を植えて欲しいとのこと。
伐採する樹は、すす病であるが樹高は5メートル、株立ちのシャラの木。
販売価格にして3万円以上はするものである。
価格はともかく、立派な樹がかわいそうである。
できることなら家にもって帰りたいくらいだが、機械も入れず、時間もない。

泣く泣くのこぎりで伐りながら、どうにかこの木が無駄にならない方法はないかと考えていると、
以前から憧れの「薪生活」を思い出す。
アパートの大家に電話するとあっさりO.Kの返事。
「薪生活」決定。
どこまでもゆるい大家。
といっても、まだ一日分の薪にもならないので、社長に処分代がかかる枝ゴミをもらう
交渉をすると、これもまたあっさり許可がでた。

仕事終わりに同僚に笑われながら枝ゴミの山から太いものを掘り起こし、コツコツと
集めに集めて、ようやく薪にして4立米ほど。
畑の前の空き地で、集めた木をチェーンソーで30センチほどにして、近所の野菜仲間である
バアちゃんから借りた斧を振り下ろす。


またチェーンソーでカットしようとすると声が聴こえた。
「うるさいです~」
アパートの隣の家の住人だ。
昼間とはいえ、確かにチャーンソーのエンジン音はうるさい。
だから、軽トラの荷台に木を乗せ、離れた場所でカットするということになってしまったが、
せっかくの「北海道」。
憧れの「薪生活」。
やっときた「夏」。
多少の努力は惜しむべきではないだろう。
野菜、挿し木、薪割りも週に一度の休日の大事な仕事である。

ところで、薪の材料で少し気になっているのが「ナナカマド」という木である。
北海道に来て僕ははじめて取り扱った木なのだが、名前が「7回カマドに入れてももえない」ことから
由来しているのだけれど、果たして1シーズン乾燥させただけで燃えてくれるものなのだろうか。
「なんでも試してみればいい」、という楽観的な僕の興味をそそる樹である。

Borderline

2015-06-14 21:16:10 | TREE
せっかくの休日だというのに朝早くに目が覚めてしまった。
眠りながらも今日の休日を楽しみにしていたからだろう。

午前中に手に入れたツツジ、カエデ、モミジ、ナナカマド、枝垂れヤナギの枝を
さっそく挿し木する。
挿し床には鹿沼土、ピートモス、パーライト、バーミキュライトの同量混合土を準備。



挿し木の本を読みながら見よう見まねで作業をする。
切り口を斜めに切り、発根剤をつけて挿していく。

寒冷地に特有のナナカマドは本のなかでは紹介されていないので、何となくのイメージで作業する。
何となくのイメージ。
いや、何となくの「理屈」で。
説明の言葉は間違っているだろうが、木が地中から葉まで水を吸上げられるのは水の引き合う性質を利用している。
根から葉までのあいだ水分が通過する管が真空状態になっているために、葉から水を蒸散した分の水分が根から引き上げられる。
ということは、根のない状態である挿し木では、水を吸上げる以上に葉から水が蒸散する為、葉を減らす必要が
あると考え、葉を減らした状態で挿し木をした。

ゴミとして処分されるはずの僕が持ち帰ってきたコニファーまで今日は手が付けられなかったのは残念だが、また次の休みまでの楽しみにしておく。



例えば、食べたリンゴがおいしいと感じ、そのリンゴの種を育て、育てた樹からリンゴを収穫したとしても
おなじ味のリンゴを収穫することはできない。
もし、同じリンゴを食べたいと思うのなら、リンゴの枝を「挿し木(リンゴはできない)」、「つぎ木」で育てなければ同じものは収穫できない。
挿し木という方法は同じ性質の「クローン」をつくり出すことだ。
「クローン牛」などの「クローン」はギリシャ語で、もともとは「挿し木」であって、木に関する言葉だ。

同じ「クローン」という言葉で、「木」と「牛」とを比較した場合、それが同じクローンであると言えるのだろうか。
木には、挿し木できるもの、できないものがあるが、少なくとも「樹」にも「牛」にも生きようとする「意志」がある。
確かに僕は今日の午後、枝を斜めに切り、発根剤をつけて「挿し木」したのだが、「意志」を持っているのは
木であって僕ではない。
それと、「クローン牛」を比較してみる。
僕には「クローン牛」がどのような技術で誕生するのかはわからないが、仮に牛の肉片を牧草のなかに放置して
みても「クローン牛」は誕生しない。

僕が言いたいのは「クローン牛」に対する否定的な意見などではなく、僕の考える「創造されたもの」は、どこに境界線が存在するのかということだ。
問題は、樹の枝にも、きっと動物の細胞のどちらにも、生きようとする「意志」がある。
それらはおなじ「意志」なのだろうか。
僕が「クローン牛」を育てたいかと言えば、答えはNoである。
けれど、ふたつの明確な違いが言葉にできない自分の未熟な考えに「挿し木」をしながら気づかされた今日だった。

Tree

2015-06-12 21:36:51 | TREE
僕は「庭師」である。
といっても、まだまだ半人前どころか四分の一人前くらいだ。

造園に関わる人は学歴が低い方が多く、重労働にも関わらず、賃金が安い為なのか、
庭師の自分をどこか人生の敗北者のように考えている人がたくさんいるように感じる。
人生の勝敗はさておき、これまで色んな仕事を経験してみてこんなに面白い職業は
なかなかないと僕は思うのである。
最低限の道具さえあれば、経験から身に付いている知識と技術があればやれることは
たくさんある。
多分、僕は「最低限」であることが好きなのだろう。
技術あっての道具なのだ。
実際に軽トラック、脚立、ハサミだけで会社から独立して生活している人を僕は何人も知っている。

雪が融けて雪囲いを外し、気温が上昇すると樹々が芽吹く。
それと同時に北海道の造園業は一気に繁忙期を迎え、仕事におわれる日々である。

僕の勤めている会社では木の販売もしている。
そのため、背丈が大きな木の場合、販売と一緒に木の配達(植栽)がセットとなる。
いざ、トラックに乗り、携帯からながれる陽気な音楽を聴き、いざ配達先に着くと
お客さんから「いまある木を抜いた場所に植えて欲しい」という依頼である。
抜く木は樹形が悪かったりもするが、枯れているわけではない。

他にも、植えた木のうち4本が枯れたなどと言われて出掛けていけば、枝葉の一部が
変色しただけの枯れていないものまで取り替える作業をするのだ。
もちろん仕事を与えてくれるお客さんに文句はないし、お客さんの満足を得るのが
仕事であるのだから、当然のことだ。

しかし、トラックに積んで持って帰ってきた木を、ただ、そのままゴミとして処分するのは
もったいない気がしてならない。
なんとも心苦しい。
だから会社のトラックから自分の軽トラックに積み替えて持ち帰り、僕はアパートの畑の片隅に
植えるのだ。

これまでにシャラ(夏ツバキ)、コニファー(エメラルド)、ツツジを持ちかえり、今日も
シャクナゲを持って帰ってきた。
ツツジは強い種ではあるけれど、僕が持って帰ってきたものは抜かれてから数日たって土も
カラカラに乾いていたが、畑に植えるとちゃんと花を咲かせた。


この持ってきた樹形の悪い木から、枝をとり挿し木にして育てたいと考えている。
そして、その木を、いつ実現するかわからないが自分の庭をつくる際に植えるのと、
何年もかけて自分で育てたものを販売したいというのが僕の考えである。

一般的に挿し木に適しているのは6月、7月。
まさに今なのである。
挿し木に必要な土などの材料はすでに手に入れてあるので、休日が早くやってくるのを待っているのだ。

そんな感じで僕は庭師という職業を楽しんでいるのである。
空の下、木のそばで。