幼少期より美濃の山里尾根谷に隠れ住んでいた継体天皇が、
都へ戻ることになったとき、
世話になった村人たちとの別れを惜しまれ、記念に一本の桜の苗を植えられました。
岐阜県本巣市根尾坂所字上段995(標高204M)で
名木・淡墨桜(うすずみ さくら)は、千数百年にわたって生き続けました。
この淡墨桜は、桜の種類が300余種ある内でも名花中の上位にあたる品種で、
蕾のときは薄いピンク色、
満開に至っては白色、
散り際には特異の淡い墨を引いたような色になることから、
この名がついたと言われています。
千数百年にわたって生き続けた淡墨桜ですが、
衰えを見せ始めたのは、大正初期の大雪で太さ約四メートル一の枝が折れて、
本幹に亀裂が生じた頃からです。
その後、地元ではいろいろと保護に務めてきました。
昭和二三年頃には、遂に枯死するかと思われる状態になりました。
しかし、翌年昭和二四年三月 岐阜市の大工・中島英二氏ほか数名を率いて来村し、
二三八本の根接ぎを行い、往年の盛観を思わせるほどになったのです。
多くの人々の努力により、
今日の淡墨桜があります。
”身の代と遺す桜は薄住よ
千代に其の名を栄盛へ止むる”
この歌は継体天皇が、村人との別れを惜しまれ
桜の苗を植えられた時に詠まれたもので、
ご自分の代わりに残していく桜の薄住が、
村と共に末永く栄えるようにという意味です。
継体天皇の想いは、こうして千数百年の時を超え
毎年この時期には、この村に多くの人が訪れるまでになりました。
千五百余年もの生命、悠然たる姿には見るものすべてが魅了され
忘れかけていた自然の大いなる力を感じさせてくれます。
*今回は OLYMPUS μ にて撮影 (撮影日 2012/04/17)