【関西のニュース】終戦から73年。 太平洋戦争では子どもたちも被害者でした。 戦争で親を失い、いわゆる戦災孤児となった子どもは12万人余りにのぼったとされています。 かつて大阪・島本町にこうした孤児たちを… www3.nhk.or.jp/kansai-news/20… #nhk_bknews
— NHK大阪 報道部 (@nhk_bknews) 2018年8月15日 - 18:52
「日中戦争は何であったか」藤原彰
— urokosmile (@urokosmile) 2018年8月10日 - 20:24
季刊中帰連
4号 1998・3(10、11ページ)
“加害の問題がひろく取り上げられ、国民的関心をひくようになったのは、1990年代に入ってからである。そのきっかけは外国人からの問題提起、すなわち戦争犠牲者の補償要求の裁判の提訴であった”
— urokosmile (@urokosmile) 2018年8月15日 - 18:12
季刊中帰連
9号1999・6(3〜5ページ)
藤原彰さん
— urokosmile (@urokosmile) 2018年8月15日 - 17:14
“今から17年も前のことになるが私は1982年9月18日、つまり「満州事変」開始の51年目の記念日に、朝日新聞の文化欄への寄稿で戦争の記念日について述べたことがある。その趣旨は、日本人の戦争の犠牲者を弔う8月15日を記… twitter.com/i/web/status/1…
”そんなことを言う奴が国立大学の教授でいるのは怪しからんから、即刻首にせいというようなものであった。日本人の戦争認識の一面を知らされた思いを抱いたことがある“
— urokosmile (@urokosmile) 2018年8月15日 - 17:20
”ところでこの50年代から1960年の安保闘争にいたる日本国内の反戦平和の運動の特徴は、もう戦争はいやだという国民の被害者意識に基礎を置いたものだったということができる。戦死者、原爆、空襲の犠牲者、引揚者をはじめ、ほとんどの国民は… twitter.com/i/web/status/1…
— urokosmile (@urokosmile) 2018年8月15日 - 17:36