大津バプテスト教会blog

大津バプテスト教会のブログです。

主が来られた目的

2018-12-10 21:27:40 | 日々のこと
すべてのものには、目的があるという。

たとえばコップは、液体を入れるためのもの。

ネジの1本にしても、「何かを留めるため」に作られた。

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あなたを創造された主はこう言われる。・・・「・・・あなたはわたしのものだ。」イザヤ43:1

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わたしは、何年前の何月何日に生まれた・・それぞれが誕生日を持っている。

生まれるその日は神さましか知らない。創造主なる神さまは、私たちについても、目的をもっておられる。

それは、神の素晴らしさをあらわすため。そして、互いに愛し合うため。

目的に沿って生きることが、的を得ている生き方だというのです。そのために私たちは、造られた。


クリスマス。神さまは、御子イエスさまを、この世に贈ってくださいました。

その30年の後、イエスさまは、ご自分がこの世に来た目的をお話になった。

イエスさまがレビという取税人の家で、仲間の取税人や大勢の人々と一緒に食卓についていた時のこと。それを見たパリサイ人やその律法学者たちが、イエスの弟子たちに「どうしてあなたがたは、取税人や罪人などと飲食を共にするのか」と、つぶやいた。そのときイエスさまは答えました。

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「・・・わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(ルカ5:32)

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また、「悔い改める」とは「方向転換する」という意味でもある。自己中心的な思いを、神さまの目的に目を向ける生き方に、転換する。イエスさまは、そのためにこの世に来られ、十字架の上で苦しみぬかれたのでした。


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神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を軽しめられません。(詩編51:17)

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苦しくても、その砕けた心を神さまは喜んでくださる。

砕けた心で何かを書いていければ、と思った。(カッコつけずに)

現実と物語

2018-12-03 14:26:39 | 日々のこと

【今週のみ言葉】
「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(マタイ1:23)

教会にツリー。昨日からアドベント(イエスキリストのご降誕を待ち望む期間の事)に入りました。

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イエスキリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。(ルカ1:18)
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このようなお話は、本当にあったことなのだろうか?

事実としてイマイチ受け入れられない、ということもあるかと思うが、

もうひとつのものの見方として、

「聖霊によって身ごもった」というみことばを、そのまま受け取ってみることもできます。

別の言い方をすると、

聖霊によって身ごもったことが事実であると仮定して、ストーリーを追ってみるのです。

マリヤだってヨセフだって、「聖霊によって身ごもりました」と言われたときは、やはり信じられない瞬間はあった。それぞれに思い悩んだのです。

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「この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつは何のことであろうかと、思いめぐらしていた。」(ルカ1:29)

「彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った。」(マタイ1:20)

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2人はそれぞれに、神様に祈り、応答しつづけたのでした。

厳しい世の中にあって、主イエスを産み、育てるという現実を、彼らは受け入れました。

少しずつ、主イエスの誕生が現実のものとなっていくプロセスの中で、

ヨセフとマリヤそれぞれが、「神はわたしと共にいます」というゆるぎない力で支えられながら歩んでいくのです。夫婦ふたりだけど、ひとり。ひとりだけど、ひとりじゃない。「神はわたしと共にいます」という、霊的な現実。

今でも、神様は「わたしたちと共に歩みたい」と願っておられます。
現実と、物語のはざまで・・・
一緒に旅路を歩んでいこうではありませんか!

お昼ご飯、その後のひととき

2018-11-26 11:12:27 | お昼ご飯


教会のお昼ご飯は、キノコとお豆がたっぷり入った「秋のカレー」でした。
クリームの乗ったバウムクーヘンのおやつも付いていました。どちらも美味しかったです♪



お昼ご飯のあと、おやつの家づくりが始まりました!接着はお砂糖のアイシングです。土台は慎重に押さえて・・^^ 



子どもたちは、テンションが上がりっぱなしでした。完成♪



あなたに対しているものにまなざしを正しく向けよ

2018-11-19 15:52:33 | 日々のこと

青い空と紅葉がきれい。

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彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であるとわかったからです。」(ヨハネ4:42)

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サマリヤの女の話(ヨハネ4:1-42)は、町の人の言ったこの言葉で終わっている。

わたしは何年か前に、この最後の言葉に引っかかった。

(これって、町の人の、サマリヤの女に対するいじわるではないのか。)

と、思えたからである。

前にも書いたことありますが・・後日、友達とこの話をした。この言葉に関する私の感想を伝えたときのこと。

私:「最後のこのセリフ、いると思う?なんか、いじわるな気がするんだけど。何でわざわざ、こんな言葉が残っているのかな。」

友:「そうねぇ。でも、きっとそれが聖書なのよ。そうでなければ、他の物語・・・例えば『北斗の拳』を読んでいるのと変わらないと思うわ。」

私は、まさか『北斗の拳※』が例えに出てくると思わなかったのでびっくりした。(※昔の少年少女がハマった漫画。これはこれですごい話ですが割愛)

そーか。そうだよね。

聖書のお話のこと。誰かと話すと、色んな気づきが与えられる。

正しいとか、間違っているとかではなく、やり取りの中で、自分の心の中に気づきが起こる。


イエスは・・・「サマリヤを通らねばならなかった(4)」。

人目を避けて暮らすサマリヤの女に会うために。

サマリヤの女は、イエスに出会い、救われた。

井戸のそばで・・・渇かない、生ける水をくださる方に会えたのである。

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女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。

「さあ、見に来てください。私が行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシヤかもしれません。」

人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。(28-30)

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女は、人々のところに自ら赴いて、救い主のことを知らせた。

人目を避けて暮らしていたのに。救い主に出会って、変えられたのである。

お話の最後に、女は人々に「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であるとわかったからです。」(42)

と言われたが、別に最後が「いじわる」だと思うこともないのだった。イエスによって変えられたサマリヤの女は・・・どうなったかは書いてはいないけれど、おそらくその後の人生は、イエスが共におられる人生であり、彼女は平和に日々を過ごしたかもしれない。
人々の最後のセリフにも、もしかしたら、
「よかったじゃ~ん♪」と喜んでいたかもしれない!


わたしも、

「最後のセリフ(42)っていじわるやん!!」って、思ってたことに気づけてよかった。

イエスは、「いやいや、そうでもないで。もうちょいまっすぐ見てごらん」

と私に言ってくれている気がした。

【今週のみ言葉】
「目をまっすぐ前に注げ。あなたに対しているものに、まなざしを正しく向けよ。どう足を進めるかをよく計るなら、あなたの道は常に確かなものとなろう。」(箴言4:25,26)

涙の預言者エレミヤ

2018-11-12 14:53:31 | 日々のこと


メッセージの中で屋台骨という言葉が出てきた。屋台骨って何?一家を支える働き手。または、組織などをささえる中心となるもの。メンバーの数だけ、一人ひとりが屋台骨であり、それぞれに担うべきことがあり、立つべき所があるという。そう、ちょうどそれは、昨日学校のイベントで見かけた、あの白い屋根のパイプテントに似ていた。
テントの骨組みは20本。取り付ける場所によって形が違っていて、どの一本が欠けてもテントを作ることはできない。作る前にバラバラの骨組みを見ると弱々しく思えるが、5~6人が協力して正しい順序で組み立てると、骨組みは一本一本しっかりと繋がり、重くて白いほろにも耐える立派な日よけとして、地面に固定されるのです。

メッセージは涙の預言者と呼ばれたエレミヤのお話でした。

エレミヤが神様からの召命を受けてから、ユダヤの国は北のバビロニアに攻め落とされ、同胞からもいじめられます。穴に閉じ込められたこともあった。それでも、主のことばに信頼して、エレミヤは預言者として主に仕えました。

神様がエレミヤに臨まれた時の事。

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次のような主のことばが私にあった。

「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」

そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」

すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。・・・」(エレミヤ1:4-8)

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「あ~、わたし、若いですし、経験が浅いからその仕事は無理です。ノウハウも分かってないですし・・」と言いわけをすること、あると思います。いくつになっても、初めてトライすることばっかりです。御心がある道を行くときも、過去のいじめられた経験や、孤独に陥った経験がよみがえることもあるかもしれない。

でも神様は、私たち一人一人に立つべきところを用意されています。私たちのことを、生まれる前から知っておられるうえで、用意されているんです。そして、神様は、私たちとともにいてくれるというのです。恐れなくてもいいと。やさしいですね。

神様を、自分を、仲間を信じつつ、それぞれの立つところに、立たせていただきましょう。