子ぬ方星☆彡(にぬふぁぶし)

難解な理論、難しい言葉をもてあそぶ哲学者よりも、学問の無いおばあちゃんの智恵が、はるかに価値的

肝苦り

2020-07-27 18:04:33 | 2 おきなわの黄金言葉
琉球黄金言葉(るーちゅーくがにくとぅば)・ことわざ・格言・名言など。。
 
肝苦りさ
 
沖縄には、『肝苦りさ(ちむぐりさ)』という言葉があります。
 
“かわいそう”とか“同情”とかいう風に訳されているのをよく聞いたりしますが、そうではありません。
『肝苦りさ』には“かわいそう”って言う見下ろしたような言葉でもなく、“気の毒”っていう他人事な言葉でも、“同情”や“心苦しい”って言う、ある意味いい気な、微温的なものでもありません。
 
では、『肝苦りさ』とは何か?
 
『肝苦りさ』を説明する前に、沖縄の人がよく使う、『肝心(ちむぐくる)』を少し説明します。
日本語でも肝心(かんじん)とか、肝要とか使われているように、人体にとって欠くことのできない内臓に例えて、最も重要なことをいいあらわします。
 
沖縄の『肝心(ちむぐくる)』とは、 
『心』は嬉しいとか、悲しいとかの喜怒哀楽、好嫌いや。快・不快、同情など・・・移ろいやすく、変容しやすいものです。
『肝』は誰にでもあり、肉体そのものであり、普遍のものに譬えます。
 
では、『肝苦りさ』はというと、
他者の痛み、苦しみは、自分の内蔵がかき回されているような激痛であり、苦しみを感じるというのです。
人の苦しみや悲しみは、けっして他人事ではなく、その痛み苦しみが我が事として感じる、という激しい表現なのです。人の痛みを自分のものとして胸を痛めること。
口先だけの「かわいそう」とは、全く異なる沖縄の言葉なのです。
 
人がつらい目にあっているときに、うわべだけで「かわいそう」といっても意味はない、あなたが苦しんでいると、私も本当に苦しい・・・と、ですから、“心苦しい”との表現ではなく、“肝苦しい”なのです。そうしたのが沖縄のちむぐくるなのです。
 
本土にない言葉が、なぜ沖縄にはあるのか? 
ある本土作家の先生が、
『遠い昔から異民族支配下におかれてきた沖縄の人たちが、気の遠くなるようなかなしみの果てに身につけてきたものが「肝苦りさ」の思想なのではないか、』と。思惟した結果を述べています。。