前回の記事では「うつ状態」にはまっていったことを書いたが、今回は少しずつ立ち直り、少々の目標をもったことを記したい。
高校生活後半から、このままでは本格的に廃人(病院行きもしくは再起不能)になってしまうと感じていたので、なにか新しいこと(趣味とか)をはじめようと思った。だけど、すり減った精神で趣味などみつかるわけもなく、心から楽しめるものなどなかった。(私は年齢イコール彼女なし。彼女をつくっていれば、鬱にならなかったかもしれない。いない人は作ることをおすすめする)。
趣味探しが苦痛になったので、自分の過去を振り返ってみた。実は、私の家は中学中盤までインターネットが無く、スマホや携帯もない(持たせてもらえなかった?)。中学といえば友人関係や恋人を意識し始めるようになる年頃であり、みんなはケータイで密かに(私の見えないところで)友人関係を構築していた。結果、自分はインターネットがないので上辺だけの友人となり、深い関係はできなかった(本当に信頼できる人は片手ほど)。インターネットが無くても15年間(15歳までは)、は生活できたのは事実だ。良くも悪くも、ややこしい人間関係とは無縁だったし、反抗期も特になかった(ネットがなかったおかげかも)。
ネットなしの幼少を思い出したとき、「本(紙の本)」をよく読んでいたのを思いだした。
なにしろ、学校の宿題でもなんでも「本」「人づて」「テレビ」が私の情報源なので、面白かった。
だから、鬱状態の高校後半から、昔を懐かしむつもりで本を読んでみたら、かなり面白かった(一日十数時間のスマホ生活だったからなおさらだが)。ネットは情報を見て、自分の頭にコピーペーストするだけだが、本は嫌でも頭で考えて、紙を触ってページをめくるわけだから、しゃきっとする。(なぜかお通じも良くなる)。ちょうど、授業でプレゼンをやっていて(みんなは趣味や行きつけのスイーツ店のことばかり)、時事好きな私はアカデミックな内容に仕上げるため、新聞も読んだがこれも正解だった(私の年代なんて誰も新聞など読まない)。今思えば、なぜスマホに固執していたのかは不明で、なぜスマホに逃避していたのかもわからないが、精神的疲弊というのは、得てしてなにが起こるかわからないということだ。
大学受験の時期になると、みんながソワソワする。話題は「成績」「偏差値」「指定校推薦」「センター試験」等であり、それをサポートする人たちも大忙しだったとおもう。でも、鬱でろくに勉強できなかった(理解者は母親、弟、その他数人だった)から、成績は下の下だったので、ある程度勉強してれば受かるような指定校も条件を満たせず、大学受験すらできるかわからなかった。(結果的に、頭がいいとは言えないが大学に受かった上に、人生の中でもっとも大事にしたいと思える恩師、友人たちに出会えた)。
ここまで、書いてきたが少ない期間ながら、過去の人生にも問題解決の糸口は結構あると気付かされた中高生時代。悩みは尽きない反面、やりたいことを自分で見つけられてないだけかもしれないと悟った学生時代だった。