ある人が、この世(人間界)から去る時、多少とも縁ある人々に、丁寧なお別れの挨拶できるできることは少ないと思う。残された人々が、この世でのケジメ(来世での再会)を考えるしかない。そんな思いだけで訃報をアップしてきました。
しかし、最近故人の家族の方々の中で縁を遮断する傾向が増えていることを認めざるを得ないとして訃報を停止しました。
慙愧に堪えません。
ある人が、この世(人間界)から去る時、多少とも縁ある人々に、丁寧なお別れの挨拶できるできることは少ないと思う。残された人々が、この世でのケジメ(来世での再会)を考えるしかない。そんな思いだけで訃報をアップしてきました。
しかし、最近故人の家族の方々の中で縁を遮断する傾向が増えていることを認めざるを得ないとして訃報を停止しました。
慙愧に堪えません。
約2年の間投稿を中止しておりました。ブログ開始以来4082日になるそうです。
仕事柄(?)昔から近隣の地域情報取得は早かったと思います。近所の先輩から「訃報情報が耳に入ったら教えてほしい。欠礼することが無いようにしたいので。」と言われました。年長者に頼られることにある種の喜びを覚え、また、亡くなられた故人に対して、最後のお別れする機会のお知らせを提供できる喜びを思い了解しました。
そのうち訃報情報が入るたびに、連絡しなければならない人が6~7人になりました。そして岡田掲示板を立ち上げました。 『わしゃPCもスマホも扱えん。』と言われましたが、『子供さんかお孫さんに手伝ってもらって!』と、拝み倒して10年が経ちました。
3年ほど前から<家族葬>との言葉を度々聞くようになりました。最初の頃は、『そっとしておいて欲しい。』との意味合いを持つのだと思っていましたが、『講中の世話にならない。親族と葬祭ホールで完結する。自宅での受付は、準備する。』との意味を持つ場合もかなりの割合であることに気付きました。立て看板も観ることが少なくなりました。
私の役目は終ったのです。
訃報は凍結します。
新町 粕谷ツズミさん(享年92歳)が亡くなられました。
告別式は6月20日(日)家族葬で執り行われるそうです。
喪主 粕谷邦洋さん
ご冥福をお祈りいたします。
新町 糸島貫生さんの長男健司さん(享年42歳)が5月7日死亡されました。
尚、葬儀告別式は後日家族葬として執り行われるそうです。
ご冥福をお祈り申し上げます。