ねがいはひとすじの歩み

去年の11月30日に28週と0日980gの王子が産まれました。少しずつ成長している様子を読んでいただけたらと思います♪

毒は入っていませんか?

2005-12-28 01:35:06 | 日常
 今日仕事の帰りに乗り換えの駅のホームで電車が来るのを待っていると、私と同じ乗り場(車両)に一人のおじさんがやってきた。

 見た感じどこにでもいそうなおじさんで、手には手帳と財布を裸で持っていた。すると

 「おねえちゃんおねえちゃん」

 と声をかけられていた。ちょうど私の左側に立っていたため、初めは聞こえなく無視しているかの状態になっていた。

 私が気づいて振り向くと

 「お姉ちゃんこれあげるわ」

 とヤクルトを2本渡してきた。どこから出てきたんだか、私が「え?」という顔をすると

 「パチンコの景品やから。重たいし邪魔やしな。」

 と言って私の袋の中にポイ!と入れてられてしまって。



 う~ん。ヤクルト2本じゃ重たくないと思うんだけど…。




 完璧、どう考えても怪しいおじさんです。行動がね。でも私はバカだから

 「ありがとうございます。」

 と一言言ってしまった…。


 決してうれしくはないけどね。というよりもどうしたらいいのか分からずに、家に帰って眺めていた私。

 毒は入っていないかしら。最近物騒な世の中になってきているのに私ってば何をしているのかしらん!

 でも不思議なことに、警戒心の強い私があのおじさんは悪い人だとは思わなかったのね~。ってそうやって人はだまされていくんだよ(笑)



 みなさんも十分ご注意を!



 ってまず自分だね。

うひょー!!

2005-12-27 20:59:41 | 日常
 今日の朝、ちょっとした交通事故があった。

 仕事場の最寄の駅を降りて少し歩くと、車が1台くらいしか通れない細い道がある。

 私は電車の中で寝ていたため、半分寝たまま道を歩いていた。すると

 「バキッ!!」

 という音が…。例えて言うなら何かの棒が折れたような音。私はその瞬間目が覚めたくらい。




 通り過ぎた車がバックして戻ってきて、あわてて車から人が降りてきた。そしてそこには手を押さえて痛がっているおじいさんが…。私はその現場を見ていないからどうなったのかは分からないけれど、車がスピードを出しすぎておじいさんの手にあたったらしい。車を運転していた人が

 「大丈夫ですか?」

 と声をかけると、おじいさんは

 「痛くて手が動かへんわ。」

 と言っていて。車の人が病院に行こうと声をかけるが、おじいさんは今から電車に乗って仕事にいかなあかんのに病院なんかにはいけないと断っていた。

 でもおじいさんはあまりの痛さに動けない様子。



 だってね、手が当たったくらい…。って思うけど、車の破片が取れていたくらいの衝撃。

 しかもあの「バキッ!!」って音は手があたった音だなんて思えない。

 結局おじいさんは車に乗せられて病院へ連れて行かれてしまった。



 人と当たらないくらいの広さはあるけれど、スピードの出しすぎは危ないでございます。


 おじいさんは大丈夫だったかな~。

駐車場でのできごと

2005-12-26 23:19:12 | 日常
 この間、パパちゃんとママちゃんと私の3人で買い物に行ったときのこと。

 行った場所は100均。私の地元は田舎の田舎なので無駄に駐車場が広かったりもする。



 私とママちゃんは車椅子マークのところには駐車できない性格。これがどんなにいっぱいの状況だったとしても。

 その日は他にもあいてる場所があって、うちがとめた場所は車椅子マークのとなりで…。パパちゃんが車の中でテレビを見ている途中だったため、それが終わるまで車の中で待っていると。。。



 隣の車椅子マークの場所に1台の車が入ってきた。運転するのはお母さん。降りてきたのはお父さんとまだ小さな子供だった。

 他にもいっぱいあいてるのに…。



 我が家の車の中では

 「何この車、車椅子の人じゃないよ。」(私)

 「あらほんとだ~。何なのかしらね一体。こういうことするのは大体女の人なのよ。」(ママちゃん)

 「あっちだってあいてるのにいくらなんでもひどいな~。」(パパちゃん)

 「ドア開けて文句言ってやったら?(笑)」(パパちゃん)

 「おねえ言ってあげようか?(笑)」(私)

 と、こんなやり取りが続きどんな人が出てくるのかとみていると、どこにでもいる親子だった。



 うちのパパちゃんは、福祉とはまったく関係がないため、私とママちゃんが話しをしていると

 「お父さんにはまったくわからん。わからん話されても楽しくない。」

 と言うのに、珍しくパパちゃんも参加してきたくらい。



 そしてその後に行ったショッピングセンターでは、実際に車椅子マークをつけた車が駐車場所がなくて、グルグルグルグルまわっていた。

 どこかの国では、車椅子マークのスペースに違う車が駐車すると罰金が取られるの知ってました?たぶんアメリカだったような…。

 「そんなの日本は違う…」

 と言われてしまえばおしまいだけど、日本では「関係ない」のが当たり前になりすぎているような。。。



 障害があってもなくても、どんな人でも気持ちよく生活できるように。っていうのはそういうことじゃないんですか。


 自分のとった行動で、もしかしたら今そこで困っている人がいるかもしれないということを考えてみること、すごく大事ですよね。

私の印象

2005-12-25 22:12:08 | わたし(難聴)
 ある人と話していると、ある人に私の印象を言われた。



 「初めはこわいって思った。」

 「話しかけてんのに返事返してくれなくて、無視されてると思ってこの人こわい人やって思ってん。」

 と言われた。今では仲いい人だけど、第一印象はそうだったらしい。



 よく考えたら、今年の夏に聴力が落ちて地元のかかりつけの医者で補聴器を付けることも考えるように、と言っていた先生の話と同じだな、と思った。




 先生が私に補聴器を勧めた理由は、若いうちに補聴器に慣れておくこと。

 今は解ってくれている人が周りにいても、初めて会って何も知らない人は私が聞こえにくいことで不愉快な思いをするかもしれないということ。

 不愉快な思いをさせて周りを遠ざけることは、私のいいところを出せずに損するだけだということ。

 今の補聴器は、カラフルなものもあってイヤリングだと思ったらいいと。


 ん~、さすがにイヤリングだとは思えないよ、先生(笑)



 確かに子供のころから今までを思い返せば、聞こえにくくて反応が悪いため、周りからのけ者にされたりいじめられたりもしてきたのかもしれない。

 でもそんなのはまだ難聴だと知らなかったときの話。いまさらそれをどうこう言うつもりはないけれど、結局はそれも同じことだったんだろうな~って思う。



 先生の言うことは当たっていたよ。

 その人と出会っているのは補聴器を付け始めるずっと前だったから、第一印象はどうにもならないけど、先生の言うように第一印象から損してるな~。っていうか私の第一印象って悪すぎる…。


 補聴器を付ければ、変わるかっていうわけじゃないけどもしかしたら付けているのと付けていないのではまた少し違うのかもしれない。



 きっと私の耳のことを知らずに知りあって、初めの印象で不愉快な思いをさせて遠ざかっていく人は少なくないだろう。というよりも、その後私との関わりがなければほとんどの人はそれ以上自ら寄ってきてくれる人も少ないと思う。

 第一印象ってこわいね。私には次から印象が良くなるようにするということは難しい。

 何度も何度も同じ事は続いていく。

 第一印象がずっと続いていくことだってある。



 そう思うと、きちんとどんな場所でもねのを付けるようにしたほうがいいのかな、とも思う。



 ねのがイヤリングだとは思わないけれど、私の一部であることは確か。

 先生のおっしゃったように人に与える影響は強かった。時にはねのに助けてもらうことも必要だな。

固くなりすぎてた自分

2005-12-25 20:27:38 | わたし(難聴)
 この間実家に帰ったとき、ママちゃんと一緒にテレビを見ていた。

 ドラマが好きな私とママちゃんは、その日にあった、映画の撮影のように撮られたドラマを見ていた。



 今のところ映画館ではほとんど問題のないことだけど、映画の放映は、バックの音が大きくて人の声が小さくなる。バックの音が大きいのは映画館は広いから。迫力があって、映画を楽しむことができるから。


 でもそれがテレビで放送されるとなると、私が見る際には人の声がバックの音で消されてしまう。

 だから私は洋画の字幕つきのほうが好きだったりもする。




 私は日ごろから、聞こえにくいとテレビに近づきすぎることがよくある。テレビと私の顔の間は、何センチくらいにまで近づく。もちろん目にも悪い。

 とても見にくくなるけれど、部分部分にしか聞こえないことのほうが私にとっては問題だったりもする。



 ママちゃんや、チビによく注意されるけど、家族のみんなに合わせると聞こえなくなる。そして家族が私一人に合わせるとうるさくなって会話ができなくなる。


 この間はパパちゃんもチビもいなかったため、ママちゃんと二人だった。


 二人でテレビを見始めて、そのドラマが映画風に撮られているものだったため、バックの音に消されて人の会話がうまく聞き取れなかった。そして次第に私はテレビに近づいて、テレビと顔の間は何センチの隙間にまでなっていた(赤ちゃんがテレビにつかまりだちしている状態の距離)。

 私がテレビに近づいているのはほぼ無意識である。ある意味こわいけれど、聞きたいと思ったらいつの間にかテレビの前にいる。



 ママちゃんがそれに気づき、

 「あんた補聴器はもって帰ってきてないの?」

 と言ってきた。私が

 「もって帰ってきてるよ。」

 と答えると、

 「だったら付けたらいいじゃない。」

 と言われ、私はねのを付けてテレビを見た。



 私は極力家にいるときなどはねのは付けないと決めていたが、その日初めて家でつけてみて、テレビの音もとても聞きやすかったことに気づいた。

 自分の中で、ねのは仕事のときかプライベートで私のことを良く知らない人たちと集まったときくらいと決めていたが、私の聴力もそうはいかなくなってきているんだな、って改めて感じた。



 解っていてくれる人と一緒にいるときでも、時と場によっては付けたほうが会話がしやすい時だってある。

 自分で補聴器に対して固くなりすぎてたな~。



 必要なときはもっとつけていいんだね。



 じゃないといつまでたってもねのと仲良くなれないな。

耐えられない

2005-12-24 21:23:39 | わたし(難聴)
 何度も書いているかもしれませんが、最近頭痛に耐えられません。


 頭痛は今に始まったことではなく、もともと偏頭痛もち。

 大学まではよく、

 「これくらい大丈夫。」

 「いつものことやし慣れてきてるわ。」

 と言っていたけれど、そうもいかなくなってきた私の頭痛。今までは、少し寝たり薬を飲めば治っていたのに、ちっともよくならない。



 さすがにね、仕事にも支障が出てきます。真剣にしていても、真剣さが出なくなる。

 そして何よりも、頭痛がピークに達して頭が重くなってボーっとしてくると、耳も聞こえにくくなってくる。気のせいかもしれないけど、普段よりも会話についていけなくなる。

 仕事中はねのを付けているから、それがよく分かるんだ。これが今一番つらいかも…。毎日毎日私だからこそ、耳が悪いからこそできることは何か、って考えてるけど今はそれを「頭痛」というものが邪魔してくれる。



 頭痛に耐えられなくなってきている。

 チビにも

 「病院に行ってきたら?」

 と言われたけど、偏頭痛だと診断されている。



 でもさすがになー、ここまでひどくなってくるとしんどいもんだ。次の耳の定期健診で先生に相談してみよう(先生好きじゃないけど)。

無力さ

2005-12-24 21:04:08 | 日常
 金曜日、「福祉」の仕事をしてきて半年とちょっと。何ともいえない無力さにかられた。


 現在の福祉の制度は、すべて国が決めているもの。私たち職員はそれに従って働いて、障害を持つ人たちはそれに従って利用しなければならない(言葉は悪いかもしれないが)。

 今の支援費制度では、20歳に満たないものは自己負担が必要となり、うちの施設でも自己負担金を払って通っている人が多い。そうなれば、みんなが一月にもらう工賃のほうが少ないくらいになってしまう。


 そして来年の4月から施行される障害者自立支援法では、ほとんどの人に自己負担がかかるようになってくる。障害があると言う理由で働く場もない人がたくさんいるのに…。授産施設(障害を持つ人が、将来企業で働けるように支援していく場)に通っていても、工賃なんて高校生のおこづかいのようなもの(今の子はもっともらっているかもしれないけど)。

 国って「福祉」「福祉」と言いながら、残酷の塊ですね。

 「福祉」ってなんですか?って聞いてみたい。




 そしてこの間仕事中に、仲間(障害をもつ人)のある一人の人がある職員に対して不満を募らせ爆発してしまった。

 「どうして私ばっかりこんな思いしなあかんの。」

 「人としておかしいことしてるって分からんのかな。」

 「もう我慢も限界。ここにいたって何の意味もないやん。別に自分を高めようと思うなら、ここじゃなくても違うところにいったっていいんやし。」

 「職員はちゃんと給料もらってるからいいけど、私は高いお金払ってここに通って、工賃もちょっとしかもらえんのやったらここにえんくてもいいと思う。」

 などなどいろいろなことを話した。



 初めは落ち着いて話していたが、次第に感情が抑えきれなくなり泣き出してしまった。その人が思う職員への不満は、いつもいつも聞いていることで初めてではなかったが、感情を抑えきれなくなってしまったのは初めてだった。


 私はその人が話したことにとても衝撃を受けた。とにかく私が何を言ってもだめな状態で、

 「どこに行ってもあんな人はいる。」

 「何もあの人が一番ひどい人なのではない。」

 「もっとひどい職員がいる施設もあるし、ここではまだ分かってくれる人もいるほうかもしれん。」

 などなど色々話したが、どれも通じず、その人からしたら上のものにも問題がある。というところまで話がいってしまい、結局利用者(障害を持つ人)が悩んでいるのに職員は向き合ってくれない、と…。



 私は、その人にそこまで思わせるよなことをして追い詰めた職員と、そのときに何もいえなくて一緒に泣くしかなかった自分の無力さに何ともいえない状況になった。

 もちろん悪いのは職員だけではなく、その人の感情の抑え方などどうしても難しいところもあると思う。

 でも施設の経営や、福祉サービスの利用の仕方はすべて国が決めていること。国って残酷だ。きっとこれから自己負担がかかるようになってくれば、そんなふうに考えるようになる人も少なくはなくなってくるだろう。



 私って無力だ。結局何もできなかった。何もいえなかった。

 職員の給料、福祉制度を言われてしまっては自分はどうにもできない。



 バカと言われるより、嫌われるより何よりもきつい言葉だったかもしれない。もちろんその人に、私への悪気がないのは分かっているが。

 何の頼りにもなれなかったな。



 「国の偉い人」、答えてください。

 「福祉」ってなんですか。

 「福祉」の始まりを思い出してみてください。

自分でも関心

2005-12-21 23:14:17 | わたし(難聴)
 今日すごい聞き間違えをした。


 事務所の内線がなったので出た。すると、

 「今から研修するし、通所からも一人来ることになってるから誰か来るようにいってくれる。」

 とのことだった。実は「研修」と言う部分を聞き間違えてるかもしれないと言うことは自分でも分かっていた。

 でも私は相手の人が恐くて聞きなおせなかった。



 何よりもそこで聞きなおさずに、「はい。」と答えてしまった自分が一番悪い。



 そう内線があったと、上のものに伝えると

 「研修?研修って言った?」

 「工賃の仕分けじゃなくて?」

 と言われ、私の頭はゴッチャになった。



 そう言われると、工賃の仕分けかもしれない。でも研修、って聞こえた。

 そしてもう一度こちらから内戦をしてくれて、確かめてくれた。

 やっぱり工賃の仕分けだった。



 ごめんなさい。自分で聞き間違えしてるって分かってたのに、そのままにしたために…。

 こんな感じで私の聞き間違えはとんでもない。普段の日常生活ではそれを笑いにしてもらえるからいいものの、仕事中にはそうはいかない。

 分かっているのにやってしまった。



 例えを出すのは難しいけれど、ひとつの言葉の中にある「あ」と言う言葉だけ聞こえたら、まったく違う言葉になってしまうのだ。また、ひとつも分からなかったとしても、母音から言葉を作り出してしまう。

 それは、そう聞こえるわけじゃなくて、私の頭の中で勝手にそう解釈してしまう。悪いことだけど、それが私の耳。

 確かめなければ合っているか間違っているかは分からない。そうしなければいけないのに、今日はそれを怠った。



 反省です。



 そして自分でも不思議。どうして「工賃の仕分け」、が「研修」に聞こえたんだろう。逆に自分の聞き間違えに感心だ。

 まあ今に始まったことではないけれど。

いい加減な健康診断

2005-12-21 22:42:04 | わたし(難聴)
 私は中学2年のときに難聴が分かり、先天性の生まれつきの難聴だと診断されている。

 しかし、それまで学校での健康診断のときの聴力検査では一度も引っかかったことがなかった。だからこそママちゃんは不思議に思ったそうで、難聴を教えてくれた耳鼻科の先生に聞いた。

 「でもね先生、この子今まで学校での健康診断で引っかかったことがないんですけど…。」

 そこで先生が返した返事は、

 「学校などで行っている聴力検査というのは、聞こえるか聞こえないかを調べるだけのものなんです。だから病院にあるものほど詳しくは出ないからこの子くらいの難聴だったら発見できないことがあるんです。何も珍しいことではないんですよ。」

 ということだった。



 きっと世の中私のように軽い難聴の人はたくさんいると思う。子供のときに高熱を出して聴力が低下してしまう人だっている。

 運良く発見された人はいいけれど、そのままになっている人も少なくはないだろう。私もパパちゃんもママちゃんもみんな学校などで受けてきた健康診断の結果を信じきっていたけれど、それは間違えいだった。



 今現在学生で健康診断を受けている人、自分の子供が健康診断を受けている人、いろんな人がいると思うけれど、気になることがあれば耳鼻科に言って検査をしてもらうことをお勧めします。

 学校で行う健康診断だからといって必ずしも正しくないということ。

 そんなふうにほとんどの人は思っていないと思う。

 私も思っていなかったように。




 私の場合、保育園のときから中学まで中耳炎を繰り返していて、たまたま耳が痛くて病院へ行くと休みだったため、違う病院へ行った。

 すると、中耳炎にはなっていないとのこと。念のために聴力検査をして見ましょう、と言われた。

 「ん?検査?」

 と、ママちゃんと二人で顔をあわせながら検査を受けると、難聴だと言われた。



 しかし、中耳炎を起こしていたほうの耳とは逆だったので、原因は違うところにあるとのこと。これが一番最初の検査結果だった。



 たまたまいつもとは違う病院にいったこと。

 たまたま聴力検査を行ってくれたこと。(先生は何かに気づいてしてくれたのだろうけど。)



 私はこのおかげで難聴が発見された。今になればだいぶ聴力も落ちているため、健康診断でも結果は出るかもしれないが、当時の聴力では無理だってのだ。

 でも不思議なことに、発見されて以降は学校での聴力検査にも引っかかった。

 それまで一度も引っかかったことがなかったのに…。



 逆に検査を受けずに自分は耳が悪いと思っている人だっているだろう。実際に私もよく言われる。

 「私(僕)も耳悪いねん。」

 と。聴力検査で引っかかるのか聞くと病院で調べても何ともない、っという人が多い。

 やはり調べてみなきゃ分からない。うちのパパちゃんも聞こえにくいと言っていたが、私の原因を調べる際に検査をしてもらうとまったく異常なしと言われた。

 私だって定期的に検査を受けなければ、どれくらい聴力が落ちたかなんて分からない。



 視力検査はちゃんとしてくれるのに、どうして聴力検査はいい加減なんだろう。聞こえるか聞こえないかって、人間にとって大事なことなのにね。

言ってはいけない言葉

2005-12-20 22:14:57 | 日常
 「どうせあなたには解らないよ。」

 という言葉。この言葉を言ってしまっては先はないと思う。



 人はね、理解しようと思う気持ちをもてたって同じ状況にはなれないでしょ?

 同じ立場にはなれないでしょ?



 私の周りの人に私と同じように難聴になって私の立場になってもらうなんてできないこと。でも私が周りの人に自分のことを話すのは、解って欲しいから。そういう気持ちがあるから。


 人と人が話をする中には、お互いの中に持っている価値観を共有したいとか、解り合いたいと思って話をするものだと思う。

 きっとどこかで共感して欲しいと思う気持ちがあるから。

 解って欲しいと思う気持ちがあるから。

 だからじゃないのかな。



 「どうせ解ってもらえない。」

 なんていうならどうしてあなたのその悩みを私に話したの?確かに私の答え方が気に障ったのかもしれないけれど、その言葉を言われたら私はもうそれ以上何もできないじゃない。


 こんなふうに思ったのは初めてじゃないけどね。日常の中にだって、仕事の中にだってあることだけど、よくあることだけど、どうして?

 解って欲しいから私に相談してくれて、何らかの言葉を求めたのに最後の最後にそんな言葉ないよね。



 もし自分が同じように言われたらどう思うの。


 私は自分がどんなにつらくても、「どうせ解ってもらえない」なんて言葉は口にしたくない。

 確かに世の中心無い人はたくさんいるけれど、たった一人でも、友達や職場や家族の仲間内に支えになってくれるひとがいたらそんなに幸せなことはないと思う。たくさんの人がいる中で全員の人に理解を求めようなんて無茶なこと。

 だったらその心無い人に合わせて自分が変わることだって大事。



 というのは私の考えでしかないけど。

 決して正しい物事ではないと思うけど。



 私はその人が好きだから、その人のことが知りたいから、だから色々聞いて理解したいって思う。きっとほとんどの人もそうなんじゃないかな。

 好きだからその人のことがもっと知りたい。

 って言うのと同じようにね。



 だからそんな言葉出さないで。

 あなたと同じ立場にはなれないから同じつらさは味わえないけど、その気持ちは理解したいと思うから。