電気、水道、ガスが一瞬にして使えなくなり、避難民として親と孫達が泊まりにやって来た。水道だけは意外と早く復旧したので、受け入れの方も何とか出来た。だが電気が何時復旧するのか解らず心細くなる。15日に近所の友人から発電機が借りられたので、ボイラーが動く様に成り皆で入浴出来た。
12日、早速近所で耕運機を動力に精米機の稼働を始める。我が家では精米の在庫があったが、親戚の精米をお願いする。仙台の方から甥が避難所用にと米を求めにやって来る。1俵だけ精米して渡す。不足分は農協で購入してもらう。
今年は田尻で開催された産直実務者全体会。集会も順調に進んで後半の分科会に入る。その直後に大きな揺れが始まる。震度7の揺れは立って居られない激しさであった。揺れがやや収まって参加者一同外に集合する。以後の予定は中止となり、直ちにバスに乗って帰路に付く。
昨年までは直接粉砕機のホッパーに張り込んでいたが、今年は屑大豆の量が多いので、少しでも楽に作業が出来るようにと昇降機を購入する。序でに屑大豆を載せる台も近くの大工さんに造って貰う。お陰で今年は身体の負担が大分軽減されている。