音楽メモ、1960年代生まれの。

好きな映像や、あの時聴いた音楽をクリップしておくブログ。

アンカー。

2022-07-03 16:00:51 | その他
これはこのブログのアンカーです。続きは「-5」に。

人と人がぶつかるときの感情の動きのケース。

2015-11-02 23:16:08 | その他
人はたいてい、多くの場合、他人の感情も自分のそれと同じ動きをすると想定して行動する。
でも、どころでところが、習慣的な感情の動きには、実は、2つのタイプがあるかもしれない?

1.2つのタイプ
 タイプA … 親切には親切を。無礼には無礼を。
 タイプB … 威圧的なもの、無礼なものには媚びへつらい、下手に出る。親切なもの、当たり/見た目の柔らかいものには威丈高に、不遜に振る舞う。

2.そうすると何が起きるか。
(1)行為者が想定する結果
   行為者のタイプ → 被行為者のタイプ 行為者の振舞い → 返ってくる反応      行為者の振舞い → 返ってくる反応
   A → A                    a 親切 → 親切 ○行為者が望む状況    c 無礼 → 無礼 ×行為者が望まない状況
   B → B                    b 無礼 → 下手 ○行為者が望む状況    d 親切 → 無礼 ×行為者が望まない状況

(2)行為者にとって想定外の結果が起きる状況
   行為者のタイプ → 被行為者のタイプ 行為者の振舞い → 返ってくる反応       行為者の振舞い → 返ってくる反応
   A → B                    e 親切 → 無礼 ×意の外でうまくいかない  g 無礼 → 下手 ○意の外でうまくいく
   B → A                    f 親切 → 親切 ○意の外でうまくいく      h 無礼 → 無礼 ×意の外でうまくいかない

   ケースe : Aは、うまくやろうとして親切に振る舞ったのに、威丈高な反応が返ってきて、不遜に振る舞われてしまった。
   ケースh : Bは、うまくやろうとして無礼に高圧的な態度に出たのに、頑強な抵抗が返ってきてしまった。

   ケースg : Aは、思い余って、自分の意とするところではなく強く出てしまったら、え?通じてしまった。
   ケースf : Bは、本来の自分の気持ち、スタイルではないのだけれど、何かの拍子に親切に振る舞ったら、あれ?通じてしまった。

※ケースb と g で被行為者が行為者を恐れていない場合と、ケースc と h の場合、「戦争」にな(り得)る。

3.結論
相手のタイプを見てとって、自分の行動を変えることが出来る人=人間力のある人。

これ、本当?



ハロウィン。

2015-10-31 15:11:47 | その他
ハロウィン

クリスマスは、自分が幼少のみぎりから生活実感としてあった。バレンタインデーもあった。ハロウィンは、セサミ・ストリートアメリカン・スクールの子達の様子としては知っていたけど、自分の身の回りの生活実感としては存在しなかった。「ここ2,3年、日本で盛り上がってるなあ」と、自分自身のこととしてではなく眺めている。(゜-゜)

ハッピー・ハロウィン!

では何もできないのかというと、そうではありません。自分自身の認識を変えることは可能です。

2015-10-10 06:50:01 | その他
プレジデントオンライン2015年10月09日の記事
 「オリジナルの病名をつけたり」
 「親しみをこめて『○○さん』と呼んだり」
 「○○さんは、ただいま攻撃モードに入りました!」
 と、心の中で実況中継をしてみたらどうでしょう。


そうそう、自分、これやってる。(゜-゜)
「威張りプレーヤー」に対してだけじゃなくて、「なぜかわからないけど付き纏ってくるプチストーキング」に対しても。職場じゃなくて公共の場だと、心の中でだけでなく、声に出して喋ってしまう、口に出してしまうこともある。(^_^.) ← こっちが変な人みたいだね。(^^;)

「威張りプレーヤー」についてだけど、、年齢の問題じゃなくて、そういう種類の人、タイプという気もするけどね。自分より立場が下の位置にそういう人が居ても、問題は少ないのかもしれない。互いに上でも下でもない位置に居たら(←公共の場の他人同士がそう。職場なら、同僚、職位・肩書が同じ人)、なんであんたの面倒を見なきゃならないんだ?(自分で慰めてよ)という気持ちになる。自分より立場が上の位置に居たら、この相談者のようなはめになるんだろうね。気の毒だ。

威張りプレーヤー:無条件に高圧的、威圧的な態度を取る人、無意識のうちに「上からの物言い」になる人。(当人が思う高さに当人が居ないから、そこを埋めようとして、そこに(自分自身に)イラだって、高圧的、威圧的になり、無意識のうちに上から物言おうとするんじゃないか?ある種の焦りがあるんじゃないだろうか)


(2016年10月30日追記)「日本の未来は♪世界が羨む♪」という歌詞の唄が流行ったのが1999年だったと言われて、ああ、と思い出した。
1990年代前半、日本はこれからどんどんよくなっていく、国は強くなり、人々は親切で、どんどんよい国になっていく、と本気で感じていた/感じられた。でも1990年代後半くらいからか、あれ?経済や物はよろしくなくなっていく感じがし、何より、すれ違うだけの赤の他人がどんどん意地悪になってきている、なんだこれは?なんだこの感じは?と当惑していた。当時は左記のようには言葉にして表現できなくて、どうも思ってた感じと違う、と感じていただけだけど、「日本の未来は♪世界が羨む♪」という歌詞の唄が流行ったのが1999年だったと言われて、ああ、と思い出した。当時この曲を聞いて心に思ったのは、当惑を振り払って、いやいや、日本はこれからよくなっていくはず、国は強くなり、人々は誇り(プライド)を持って、親切な人が増えていく、という思いだった。実際、聴き手の一人(の私)の歌詞にまつわった思いだけでなく、この歌詞を書いた人も、どこか困惑し始めた日本を応援(自援?)するつもりで書いたのだと思う。で、2016年のいま思うのは、意地悪な人はやっぱり増えている、というのが現実感。当人の高さ(※)よりずっと高めを夢想する人が増えたから、意地悪な人が増えた、ということ?それとも、ほかに何か理由が?※あらゆる高さ。経済力も学歴も腕力も美しさカワイさも含まれる。どういう状況にあるとき、人は人に意地悪になるのか。どういう状況にある人が、他人に意地悪いのか。どういう状況/心境の人は他人に意地悪くあたったりしないのか。いたって心理学的な問題。

きょう発表の10~60代男女200人に聞いた「今週最も関心があったニュース」という世論調査(?)で、タレントさんが大麻所持で逮捕されたニュースが第1位で、プロ野球の日本シリーズが第6位だった。さてどんなニュースが何位に?といったとき、自分は、日本シリーズが1位とか2位で、大麻で逮捕のほうは9位とか10位とかだと予想した。これひとつとっても、世の中が意地悪(12)化している裏付け(傍証)になっていると感じる。公人の公に関わる不正は違うけど、他人の個人事で自分に働きかけてこない事は、放っとけば、と思ってしまう。ほっとけないだけでなく、関心事の第1位(!)だなんて。怨み晴らしとか妬みとかの類を感じる。



これを聴いたころ。

2015-10-04 06:48:43 | 音楽
思い出の曲、たとえば↓。(思い出の曲々
井上陽水 少年時代 1990年
Smap がんばりましょう 1994年 青い稲妻 1996年
Green 愛唄 2007年

最近、あるニュースで読んだ俳優さん:
1.向井理1982年2月7日(33歳)
2.西島秀俊1971年3月29日(44歳)
3.福山雅治1969年2月6日(46歳)
4?大沢たかお(47)1968年3月11日(47歳)
5?佐々木蔵之介(47)1968年2月4日(47歳)
6?竹野内豊(44)1971年1月2日(44歳)
7?加瀬亮(40)1974年11月9日(40歳)

比較は出来ないんだけどさ(^_^;)、ああ、その歳の頃に聴いたんだなあ、と。。