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Unknown
(
みき
)
2006-03-31 14:32:35
全く同感。
似非科学ほど性質の悪いもんはありません。
そういうことを、きっぱり主張して行動できる大人の数が少なくて心配です。
頑張ってください!
Unknown
(
ともえ
)
2006-03-31 23:25:51
こないだ夕方のニュースでもやってました。小柴さんなんかが参加する物理学会でもこの問題について取り上げるみたいです。異例のことらしいです。
こんなエセ科学やら愛国心やらなんやら、教科書がどんどん怪しくなってきてます、嫌ですね。
教育
(
Mr.Koh
)
2006-04-01 21:18:30
今の教育は、ただ物事を覚えるだけの教育。
物事を考え、理解し、応用する能力がない。
子供の頃よく、何か分からないこと聞かれたとき「教えてもらってないから分からない」と答えてたような。
そのときよく言われたこと「分からないのなら調べたり、考えたりしなさい」てね。
学校の先生も教えたこと以外のことで質問されても答えられなかったり、調べる時間がなかったりするから。
そういえば前に、細木数子が今の教育について批判してたな。なかなかいいこといってたけどね。でも、本人は非科学的なことで人の人生を決めてるからね。
でも、占いって非科学的なようで、もしかすると科学的なところもあるのかも。
統計学的、人間行動学的、心理学的、精神学的、民俗学的、歴史学的等色々考慮に入れて、その人に最適だろうと思うことを話す。
それでうまくいく確率をあげれば、「あそこの占い師良く当たる」と有名になる。
京都の大学院生
(
うーん
)
2006-04-03 14:12:55
そうですか・・・「道徳の授業」でそんなことが・・・。どういう文脈でその話が出てきたのかはわかりませんが、まだ物事の判断する材料の少ない子どもに吹き込むような話ではないですねえ。
このニュースに接して僕が思ったのは、道徳や倫理と科学との関係ですね。人間は、どいう社会であっても、その社会関係の中で、その社会秩序を維持するのに必要な倫理を養っていきます。そして、それはその時の自然や社会に関する認識に究極的には照応するのでしょう。
そう考えると今の日本社会の中で行われている社会的な教育は、
1、競争原理
2、勝ち組、負け組という一部のエリート 優遇
3、大部分の人々へのきわめて貧しい社会 的教育(学校に限らず、メディアなど も含めて)
4、従順な国民育成(科学に必要な、な ぜ?という問い掛けをさせない教育も そうです)
というのが支配的であるように思います。 じっくりとものを考えさせない教育、人格 や社会認識を育てることを主眼におかない 教育政策、がオウムを育て、むき出しの市 場原理を教育に持ち込んだことで、子ども たちの荒廃を生んでいるのでしょう。
細木かずこというのも、そういう意味で はホリエモンや小泉などと並ぶ「時代の寵 児」といえますね。
わけのわからない似非科学を振りかざし て支持を得ているのは、ひとつには非科学 的認識を土台に持つ人にしか響かないでし ょうから。
小原さん、ぜひ、京都から科学的認識に 基づき、人々に広く科学的認識を広めてい く「民衆のための教育」を薦めるべく、議 会活動を頑張って下さい!!
ありがとうございます
(
おっは~
)
2006-04-04 08:57:08
みなさん、コメントありがとうございます。
エセ科学と占いは違いますが、科学的にありえないことを信じて不安を持ったり、だまされたりするのでは、人間の進歩に逆行していると思います。
占いは非科学です。たとえ科学的にその人を観察して言っているとしても、「占いの結果」として助言をするのは神秘を肯定するものです。
私とてロマンもくそもない人間ではないですが(共産主義者というのはロマンチストです)、神秘と科学の境界をはっきりしなければなりません。
まだまだですねー
(
ぶーいんぐ
)
2006-04-05 10:15:27
「水が伝える愛のかたち」という江本勝氏の本を読んでから改めてコメントしてね。理化や科学は今の段階で常識となったものしか教えてはくれてないんですよ。あなたのように物事を一面からしか捉えることが出来ない人がガリレオを処刑にするのです。
読んでませんけど
(
おっは~
)
2006-04-05 15:52:34
今の段階で非常識なのなら、学校で教えてはいけないでしょう。
不思議なことはたくさんありますが、いつかは科学的に説明がつくものとの前提がなければ、科学は成り立ちませんし進歩もしません。
占い
(
Mr.Koh
)
2006-04-07 13:01:55
統計学的、人間行動学的、心理学的、精神学的、民俗学的、歴史学的等を根拠に導き出された助言を非科学的だと言われると、環境アセスメントなどのシミュレーションが非科学的になってしまう。
占いとは、その人の生き方のシミュレーションを行ない、可能性のあることを助言するものだと思う。
でも、星占いや動物占い、血液占いの根拠のない占いは、非科学的だと思う。
占いとは、どれだけ相手の気持ちになり、相手の性格、行動を理解し、相手の悩みや不安を取り除く助言するかだと思う。
科学的根拠から導き出されたシミュレーションにより、将来どのような行動をすれば良いか助言(ヒント)を教えることが占いではないのかもしれない。
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似非科学ほど性質の悪いもんはありません。
そういうことを、きっぱり主張して行動できる大人の数が少なくて心配です。
頑張ってください!
こんなエセ科学やら愛国心やらなんやら、教科書がどんどん怪しくなってきてます、嫌ですね。
物事を考え、理解し、応用する能力がない。
子供の頃よく、何か分からないこと聞かれたとき「教えてもらってないから分からない」と答えてたような。
そのときよく言われたこと「分からないのなら調べたり、考えたりしなさい」てね。
学校の先生も教えたこと以外のことで質問されても答えられなかったり、調べる時間がなかったりするから。
そういえば前に、細木数子が今の教育について批判してたな。なかなかいいこといってたけどね。でも、本人は非科学的なことで人の人生を決めてるからね。
でも、占いって非科学的なようで、もしかすると科学的なところもあるのかも。
統計学的、人間行動学的、心理学的、精神学的、民俗学的、歴史学的等色々考慮に入れて、その人に最適だろうと思うことを話す。
それでうまくいく確率をあげれば、「あそこの占い師良く当たる」と有名になる。
このニュースに接して僕が思ったのは、道徳や倫理と科学との関係ですね。人間は、どいう社会であっても、その社会関係の中で、その社会秩序を維持するのに必要な倫理を養っていきます。そして、それはその時の自然や社会に関する認識に究極的には照応するのでしょう。
そう考えると今の日本社会の中で行われている社会的な教育は、
1、競争原理
2、勝ち組、負け組という一部のエリート 優遇
3、大部分の人々へのきわめて貧しい社会 的教育(学校に限らず、メディアなど も含めて)
4、従順な国民育成(科学に必要な、な ぜ?という問い掛けをさせない教育も そうです)
というのが支配的であるように思います。 じっくりとものを考えさせない教育、人格 や社会認識を育てることを主眼におかない 教育政策、がオウムを育て、むき出しの市 場原理を教育に持ち込んだことで、子ども たちの荒廃を生んでいるのでしょう。
細木かずこというのも、そういう意味で はホリエモンや小泉などと並ぶ「時代の寵 児」といえますね。
わけのわからない似非科学を振りかざし て支持を得ているのは、ひとつには非科学 的認識を土台に持つ人にしか響かないでし ょうから。
小原さん、ぜひ、京都から科学的認識に 基づき、人々に広く科学的認識を広めてい く「民衆のための教育」を薦めるべく、議 会活動を頑張って下さい!!
エセ科学と占いは違いますが、科学的にありえないことを信じて不安を持ったり、だまされたりするのでは、人間の進歩に逆行していると思います。
占いは非科学です。たとえ科学的にその人を観察して言っているとしても、「占いの結果」として助言をするのは神秘を肯定するものです。
私とてロマンもくそもない人間ではないですが(共産主義者というのはロマンチストです)、神秘と科学の境界をはっきりしなければなりません。
不思議なことはたくさんありますが、いつかは科学的に説明がつくものとの前提がなければ、科学は成り立ちませんし進歩もしません。
占いとは、その人の生き方のシミュレーションを行ない、可能性のあることを助言するものだと思う。
でも、星占いや動物占い、血液占いの根拠のない占いは、非科学的だと思う。
占いとは、どれだけ相手の気持ちになり、相手の性格、行動を理解し、相手の悩みや不安を取り除く助言するかだと思う。
科学的根拠から導き出されたシミュレーションにより、将来どのような行動をすれば良いか助言(ヒント)を教えることが占いではないのかもしれない。