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わが町「荒川区・東尾久」を写真で紹介する(超マイナー)地元密着系フォトブログです。【多忙のため「気まぐれ更新」中 】

タムラマ

2005-11-06 | 荒川区東尾久2丁目
東尾久ファイル NO.246

タムラマ
(荒川区東尾久2-48-7)

本町通りにある接骨院ですが、「タムラマ」という名前が気になっていました。
オーナーは「田村学彦」さんという方だそうですので、「タムラ○」はわかりましたが、「○○○マ」はなんでしょうか?
知ってる方教えてください(直接聞けばいい話ですが)


(2005/11/11)
田村学彦さんより直接メールをいただきましたので、掲載させていただきます。
今後ともよろしくおねがいします。ありがとうございました。



コメントを書いた人:田村 学彦

□タイトル:「タムラマです」

□コメント:このような場所でタムラマの名前が出ているとは光栄です。タムラマとは、インド系の治療を取り入れ行っております。そのことから「マ」を組み込んだ屋号となっているのが開業当初からの話題でした。が・・・父:田村 正彦(マサヒコ)が大妻中野女子高校教諭時代、田村先生が数人おり生徒にわかりやすくするために自ら田村「マ」です。と名乗ったのがはじまりで、単に「田村接骨院」ではインパクトが無く父の通り名をかり「タムラマ接骨院」と致しました。



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5 コメント

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田村さんでしたか (maru)
2005-11-08 14:22:55
足立区民です。

日暮里から舎人方面行きのバスで通勤していると、「タムラマ接骨院まえ」というアナウンスがあるので、気にはなっていました。

引き続き、なぜ「○○○○マ」なのかの情報よろしくお願いします!!。
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タムラマです (田村 学彦)
2005-11-11 12:40:02
このような場所でタムラマの名前が出ているとは光栄です。タムラマとは、インド系の治療を取り入れ行っております。そのことから「マ」を組み込んだ屋号となっているのが開業当初からの話題でした。が・・・父:田村 正彦(マサヒコ)が大妻中野女子高校教諭時代、田村先生が数人おり生徒にわかりやすくするために自ら田村「マ」です。と名乗ったのがはじまりで、単に「田村接骨院」ではインパクトが無く父の通り名をかり「タムラマ接骨院」と致しました。
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教え子でした! (元妻中生)
2012-02-25 20:59:06
大妻中野卒業生です。

高3時、タムラマ先生の担任のクラスでした!!
先生の眼力の強い、自画像?がとっても印象深いです。

本日、息子が「荒川区招待少年サッカー大会」に参加し、もらってきたパンフレットに「タムラマ整骨院」の広告を見つけ、びくりしました~~。

住所が尾久だし、もしやと思って検索したらビンゴでした!! 先生は、お元気でしょうか?

体育祭などのイベントの時に、クラス全員に奢って下さった「プラッシー」が美味しかったこと。よい思い出です。

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教え子でした! (タムラマ)
2012-03-21 10:24:46
教え子でした!さん
父は元気にやっております。
退職後は、町会活動、倫理法人会講演活動、尾久初空襲を忘れないコンサートの立ち上げ、中央医療学園専門学校講師、明治大学教育会副会長?など精力的に老後を楽しんでおります。
是非お時間ありましたら、熊野前保育園前スコレータムラマ1の501号室に住んでおりますので、遊ぶに行ってあげて下さいm(__)m
現在大妻中野には兄の哲彦が教員として勤めております。祖父から親子3代で大妻中野教員です(*^_^*)
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ここに書かせて頂いて良いのか定かでは有りませんが書いちゃいます... (私も大妻中野卒業生です)
2014-09-11 13:39:00
学彦さま、タムラマ接骨院は本当にインパクトが有る、愛されるネーミングでグッドアイデアでしたね。

大妻中野同窓会のお便り「けやき」に、1年時担任の細見だったマー先生の貫禄ある写真、3年時担任の亡き青さんの似顔絵と一緒に田村マ先生のあの目でキッ見つめている全然!!!お変わりのない写真を見つけ殆ど感動(と言っても過言でない!)を覚えました。

「けやき」を枕元に持って行って、寝ながら見ていましたが、興奮(?)し過ぎて夜中に起き出し、パソコンを付けて、尾久初空襲を語る先生をず~と見入ってしまいました。 淡々とお話しされていましたが、空襲当時の小学生の先生の様子が目に見えるようでした。 子供は実際どのように感じていたんでしょう。大人も。 今もその場所で暮らしていらっしゃるのですね。 当時の人達の気持ちなど想像しか出来ないことです。 

大妻中野でのあの頃、一学年12クラス×1クラス50人、それも女子ばかりの迫力?ある中、担任では無かった田村マ先生が目立たない私を覚えているはずもないので、実際これを書いているのも甚だ恐縮ですが、あの当時(先生は40代前半)の授業と全く同じ声の調子と雰囲気が、とても私には心地良く空襲経験への関心も手伝って最後まで先生のお話しされている姿から目が離せませんでした。 

話の中で、田村マ先生が、父と同じ11年生まれで、現在タムラマ接骨院の有る場所でだと思いますが、昔、お家がソロバン教室をやっていたという話しを聞き感慨深さを増しました。 

私もとうとう50代になりましたが、今は先生と同じ年の父と一緒に父が始めて50年以上になるソロバン塾をやっています。 父が納得して教室を止める決断の日が来るまで小、中学生相手に頑張る予定です。 現在、都立高校に通う我が一人娘にはかなり頭を悩ませていますが、やはり大妻中野に入れとけば良かったでしょうかね~(笑)。 そうしたらお兄様の哲彦先生にお世話になれましたね。

今回のことで、高校生の自分の場面が、パッパッパッと幾つも浮かび、先生が出した試験範囲に頭を悩ませた自分(結局、支離滅裂なことを答案に書いてしまって散々)迄もが思い出されました。

地元、尾久の話題で無いことまで、長々失礼してしまいした。 もし接骨院に私(区外の市民です)なり、知人が掛かることが有れば、荒川区は近いとは言えませんが、きっと「タムラマ」を思い出します。
 
2020年の東京オリンピックには、日常会話程度には話せる英語とフランス語でボランティアをしようと考えていますので、スポーツ選手なり、観光客なり、接骨院を探していらっしゃる方がいれば「タムラマ」です 駅からやはりバスになりますか。お父さま同様、素敵な先生が迎えてくれるのでしょう。 皆さま、どうぞお元気で輝いていてください。


 





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