・・・応援者の中に御守りを持った人がテレビに出ていたが、これでは負けると思わせた。
御守りの罪業の深さを知らない様で・・。
日蓮大聖人が、
「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。 是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(御書二三四ページ)
と教示されている。
人々がよく知る天照太神、日天月天、八幡大菩薩、鬼子母神等々は皆、法華経守護の諸天善神であり、妙法を法味として、民衆を守護する力を増す神々である。
ところが、末法の今は、正法に背き邪法を信ずる人が多いため、 法味に飢えた諸天善神は生を捨てて天に上ってしまっている。
空になった神社や、冒頭の会社の神棚に、神の代りに何が棲んでいるかといえば、悪鬼・魔神である。
故に、神社参詣はもちろんのこと、お札やお守りは謗法で、人々の不安や欲望につけ込んで自己満足させるための手段に過ぎない。
棲みついている悪鬼・魔神は、人々の命を濁らせ、生活に悪影響を及ぼし、ひいては先祖をも苦しめる。氏神と言えば地域を守ると人々は思っているが、地域が浄化することなど、断じてない。
「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。 是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(御書二三四ページ)
と教示されている。
人々がよく知る天照太神、日天月天、八幡大菩薩、鬼子母神等々は皆、法華経守護の諸天善神であり、妙法を法味として、民衆を守護する力を増す神々である。
ところが、末法の今は、正法に背き邪法を信ずる人が多いため、 法味に飢えた諸天善神は生を捨てて天に上ってしまっている。
空になった神社や、冒頭の会社の神棚に、神の代りに何が棲んでいるかといえば、悪鬼・魔神である。
故に、神社参詣はもちろんのこと、お札やお守りは謗法で、人々の不安や欲望につけ込んで自己満足させるための手段に過ぎない。
棲みついている悪鬼・魔神は、人々の命を濁らせ、生活に悪影響を及ぼし、ひいては先祖をも苦しめる。氏神と言えば地域を守ると人々は思っているが、地域が浄化することなど、断じてない。