ニジイロノコドモタチ

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障害児出産編!

2020-07-10 18:41:31 | 日記
うちの子達は、各々に障害がある。長男ク

ンは自閉症、次男クンは発達障害、次女チ

ャンは重複障害。カラフルで面白いことも

多い。

今回は次女の出産の頃の話。あれは、妊娠

26週目か27週目の検診のエコー検査の時。

「ん?…えっ?…あれっ?」と、女医さんの

今までに聞いた事の無い声を聞いた。「お

話しがあるのですが、ご主人は一緒です

か?」と言われ、酷く動揺したのを憶えて

いる。旦那さんと診察室に呼ばれ、「お子

さんは水頭症の可能性があります。もう少

し早く気付いていれば中絶もできたのです

がすみません。」と言われた。涙が出た。

病気の内容もわからないが、お腹の中の子

は殺されようとしていたのかと。その後

は、国立成育医療センターに知り合いがい

て受け入れてもらえるので早々に受診して

ほしいと言われた。その後の事はあまりよ

く憶えていない。

次の週、国立成育医療センターに行った。

お腹のエコー検査に30分位かけ、とても狭

い検査室に4人の人がいた。終ると胎児診療

科の前で待つよう言われた。私達の他に2

組の夫婦が居たが、他の診療場所と違い、

どんよりと重く、時々涙する人もいた。何

時間か経ち診察室に呼ばれ、内診、下から

のエコー検査をしながら「間違いないね

~」と話が始まった。とても明るい口調で

「水頭症と脊髄髄膜瘤とキアリー奇形だ

ね。」と絵を描きながら話してくれた。お

腹の子の現状、出生後に発症するかもしれ

ない症状、出生後の手術のために極力お腹

の中で育てる事、帝王切開になること等々

説明された。お昼ご飯を取る暇もなく、採

血や入院時の説明やら終った頃には19時

を過ぎて暗くなっていた。


別の日、役所へ助成金の話を聞きに行っ

た。出生後、必要になる可能性があるので

聞くよう病院で言われたからだ。保健師さ

んが細かく説明してくれた。兄弟児は保育

園に行っていなかったので、すぐに手続き

をした。保育園に入園するには得点が高い

方が有利で、出産、介護、通院といろいろ

重なれば重なるほど高得点になり、うちの

兄弟児は、次の月には通園をはじめた。


保健師さんが、とても世話好きな方だった

うで、度々電話やメール、訪問をしてく

れた。民委員の方も紹介してくれた。と

ても有難ことなのだが、元来人嫌いなの

で尋常でないストレスを感じてもいた。

話の度にお腹の子に障害が有ることが実感

してきたか聞かれ、「普通に胎動はある

し、産まれからですかね…」と答えてい

た。お腹の子に感心がなかった訳ではな

く、ガラケー時代で、当時パソコンもなか

ったので、今より数段情報量が少なかった

からかもしれない。訪問は来ると5時間は

いた。辛かった。以降4年ほど付き合いは

続いた。


別の検診の日、糖負荷検査をした。甘いも

のは大好きだが、あんなに底無しに甘いも

のを飲んだのは初めてだった。飲んで、採

血して休んでを繰り返した。結果は問題無

かった。


7月7日、羊水検査で入院した。明るく話

すお母さんたちの中で、挨拶だけしてカー

テンを閉めた。お腹の子を寝かすための薬

を飲み、検査は別の広い病室で行われた。

お腹に黄色い消毒薬だろうかが塗られ、10

人ほどの人に囲まれ、エコーを見ながら、

いろいろなやり取りが行われる中でお腹に

針を刺された。結果は、他に問題は無かっ

た。


8月お盆の頃、何度目かの検診でMRIをす

るため処方された薬を飲んで検診に向かっ

た。酷い吐き気がしたが、吐くと薬が出て

しまうと思い、ひたすら我慢。MRIが終る

と意識が朦朧としながらもトイレに行っ

た。NSTもあったので行くと、はじめて直

ぐに看護師さんが走っていなくなり、辺り

が騒がしくなった。微弱陣痛があったから

だ。今までの出産でも毎回あったので気に

もとめていなかった。車椅子に乗せられ、

ビックリした表情で見る家族の横を通り抜

け、病室に運ばれベッドに移され点滴をさ

れた。恐ろしいスピードでの入院である。

総合的にみて状態か良くないので、病院都

合というかたちで個室に移った。トイレ以

外はベッドの上。絶対安静。吐くのもベッ

ドの上。食べていなかったので出るものも

なかったけど。

何時間経ったのか、旦那さんが病室に来て

くれた。兄弟児の世話をしながら高速を使

って片道2時間かかる家に帰り、入院セッ

トを持って来てくれたのだ。私物も旦那さ

んに預けてあったので不安で仕方がなかっ

たのもあり泣いた。そのタイミングで大量

の書類を渡され、これからの説明を受け

た。


絶対安静の1日は長い。動かないのでお腹

も減らないが、ご飯は運ばれて来る。お腹

の子が2500g以上であれば手術の時に安

心材料になると言われていたので、泣きな

がら、苦しみながらご飯を食べた。シャワ

ーにも入れず、ベッドの上で看護師さんが

体を拭いてくれた。アロマオイルを何本も

用意してくれてあり、好きなアロマをお湯

に入れてくれた。嬉しかった。

出産前に一度だけ兄弟児と面会できた。

車椅子に乗り、何本も管を付け、さながら

ONE PIECEの白髭のような母に近寄っては

くれなかった。


34週6日目の回診時、主治医から明るい口

調で「母体が持たないから出しちゃおう

か。」と言われ、次の日の朝イチに手術す

ることに決まった。手術のために、身長と

体重を計ることになった。ひとまず点滴が

外れるので頭を洗ってもらえることになっ

た。ほぼ2週間ぶりで、申し訳無い気持ち

でいっぱいだった。車椅子に座り、床屋さ

んのようなシャンプー台で苦しかったけ

ど、終った後の気持ちよさは半端無かっ

た。身長、体重を計った。妊娠前、太って

いたので太らないよう指導されていて体重

管理をした結果、妊娠前よりマイナス0.5

㎏。当時、バナナダイエットが流行った頃

で、ひたすらバナナだった。

そして、眠れぬ夜を過ごした。

朝が来た。いつも通り採血をした。「眠い

時は眠って良いのか?」予め何度も病院側

に確認していた。以前、別件で手術の時に

入眠剤で眠くなって目を瞑るととたんに起

こされたからだ。「寝ていい。」誰もがそ

う言っていた。ストレッチャーに乗せら

れ、手術室へ運ばれた。手術台に移され、

「背骨に麻酔の注射をするので、足を持っ

て丸まって下さい。」手順通りの声かけな

のだと思う。でも、妊娠後期の妊婦には酷

である。「もっと丸まって下さい。」最大

限努力しても無理だった。ゴリッという感

覚と痛みとともに背骨に突き刺さるのがわ

かった。「仰向けに戻って下さい。」と言

われ戻ると、腕を伸ばされ、右腕は点滴、

左腕は血圧計。血圧計は痛みを感じるほど

キツかったので緩めてほしいとお願いする

と、笑顔で「大丈夫、大丈夫。」でスル

ー。アザがしばらく残った。準備が整った

のか、「この辺、痛くありませんか?」

と、下半身に麻酔が聞いているか確かめら

れた。「そこは大丈夫です。」と答えると

音楽が流れ始め主治医登場。「35週妊婦、

帝王切開術をはじめます。」で、始まっ

た。感覚は無かったが、上部のライトの銀

色の部分に映るのが見えた。スーっとメス

を横に引くと赤い大きな目が現れた。そし

てまたメスを横に引き、お腹の中に手が入

る感覚があったかと思ったら、あっという

間に2750g我が子誕生!大きな鳴き声をあ

げながら隣の部屋に運ばれた。「大きい声

だね~障害あるんだよね。」と、ホチキス

でお腹をとめながら話していた。直に我が

子の処置は終わり、料理に使うバットの大

きいやつみたいなのに、ペットシートみた

いなのをひいた上に眠り猫みたいな格好で

背中いっぱいにガーゼを貼った状態で、銀

色のワゴンに乗せられ対面となった。泣き

顔を一瞬見せてもらい、「大丈夫ですから

ね。」と、どこかへ運ばれて行ってしまっ

た。


手術が終わり、ストレッチャーで運ばれる

途中で旦那さん合流。安心してか眠くな

り、スーっと眠りにつこうとしたら「◯◯

さん起きて下さい!」と大声で肩を叩かれ

る。結局、今回も寝ることは許されなかっ

た…

続きは、また今度。