丘駄郎の笑コミュニケーション工学

笑いの本質は愛、信頼、安心、平和で、コミュニケーションの前提です。人生をよりハッピーにするために笑いを生活に応用します。

故里に 栗の垂り花 咲ける頃 徴兵検査 受けし思ほゆ

2015-11-19 23:57:25 | Weblog
これも拙の歌ではない。17日に同じ古書に入っていたもう一枚の紙にあった
栗の花八首の一である。以下七種:

栗の花 咲けるは知らで 故里(さと)人の 田植えにきほふ 頃となりけり

ふかぶかと 栗の茂みに 垂り花の 咲き盛りけり 梅雨の曇りに

ゆくりなく 栗の垂り花 手にとりて 香をなつかしみ 道を来にけり

梅雨あける 雨にぬれつつ 栗の花 垂り花ほのかに 咲きにけるかも

いつしかと 思ふともなく 咲き散るか 栗の樹蔭に ひとり嘆かふ

ひそやかに 咲きて散り行く あはれさも とはのいのちの 念ひなりけり

ほのくらき 繁みがなかに 木洩れ日の かそけき栗の 花過ぎにけり

面影に 立つは八年の 前なれば 俘虜を思(も)うだに 痛々しくてならず

2015-11-17 14:37:40 | Weblog
これは拙の和歌ではない。
過日、古本屋さんで「日本の野鳥事典」を特売で半額で売っていたのを
買った、その中に昔、軍隊が使っていたと思われる赤茶けたB5の連絡
用紙に書いてあった「シベリアの次弟を憶ふ八首」を発見した。その中
の冒頭の一首である。以下、七首:
 
 明け暮れを  うからと語り 待ち待ちし 赤十字通信 今朝届きたり

「俘虜氏名」の 活字に続く 仮名書の 汝が名前 しみじみと見つ

 桜咲く 祖国を季(とき)を 恋ひてあらむ 今着きし葉書は 去年(こぞ)書きしもの

 右下腿 裁ちし傷痍の 兄我と ゆめ思はざらむ 八年会はぬかも

 あはれあはれ 現身ひたに 愛(いと)しみて 還り来よ文夫 一日も早く

 ウラジホより とどきし次第 通信を 朝夕べに とりいだし見つ

 まのあたり 見ねばうれひは 止まぬなり 母は蔭膳を 欠かすことなし


 
かの人とそれに諂う自公の奴輩はこんな切ない気持考えたたこともなかろう。

  

スズメバチ いなくなったら ネズミかい

2015-11-15 23:53:15 | Weblog
10月23日載せた、蜂の巣を取ったので安心していたら
夜中4時ころ排尿の為おきたら、鼠が天井を跋扈する
のに気づいた。
細い棒で天井を叩いて台所に降りてきたのを、追い
出したつもり。この時は薄いピンク色かかった灰色で、
太さ3cm、体長10センチ位の奴。
ところが翌夜は同じようにでやがった。また追い込ん
だら一回り細くて黒い奴!が、残念取り逃がした。
翌朝かれらの宴会の柿の残骸が、これ

なんでやねん。蜂の巣駆除の時、天井と木枠の隙間に
トゲトゲの詰め物

をして出入りができないようにしたためらしい。
実はこれハクビシンが天井に住んでいたことが糞で
わかったので処置して貰ったのです。
天井と外を結ぶ穴は台所のどこかにしかないらしい
のでそのうちリベンジする。

あと10日 残しておとうと  旅立てり

2015-11-02 22:50:40 | Weblog
67歳の誕生日まで後10日を残して逝った。
この一年足らずの間に3人。

拙は親不幸、姉弟不幸であった。
父は姉3人が、三姉はK透析病院さんが、
弟は嫁さんが看、拙は何もしなかった。

それでも弟の通夜と式には馳せ参じた。
その途中で汽車の中から見た八ヶ岳。

その5日後、九州からの飛行機から見た
八ヶ岳。雨男の拙にしてはどちらも快晴。