グループ如来のブログ

伊予郡松前町・フジグラン松山・エミフル松前で和裁・着付け教室を開講しています。お問い合わせはHPへお願いします。

エジプト更紗

2007年05月31日 | 豆知識

こちら、エジプト更紗の訪問着です。

和裁士Iさんのお仕事です

どんな出来上がりになるのでしょうか。

 

それにしても、素敵な反物だこと。

目の保養、目の保養

 

   by k


花嫁衣裳

2007年03月24日 | 豆知識

25日、花嫁衣裳の着付けをさせていただきます。

ただいま、最終確認中。

 

モデルは、生徒さんのWさん。

 

●今日の豆知識●

打(ち)掛け

1) うちかけて着るもの、の意。「打掛」

 帯をしめた上からはおる丈の長い小袖。武家の婦人の秋から張るまでの礼服。

 江戸時代には、裕福な町家でも用いられた。現代の花嫁衣裳に残る。かいどり。

  ▲かいどり(掻い取り)  「かきとり」の転。 きものの褄(つま)を引き上げること


年末年始の予定

2005年12月14日 | 豆知識

現在の所、決定している事項をお知らせ致します

 

12月19日(月)   先日ご案内した通り、着付け出張のため、お休みです

12月22日(木)   今年の教室の終了日です

12月28日(水)   自由日(急ぎのご用のある方はどうぞ)

1月16日(月)    教室開始です

 

どうぞよろしくお願い致します。

      by k


七五三の起源

2005年10月31日 | 豆知識
前回、七五三の日にちの事について書きました。
今日は、七五三の起源について。

○帯解き(おびとき)の儀 七歳 女児

鎌倉時代、子供の着物にひもをつけて着付けていましたが、このひもをとって帯を結ぶ儀式が始まりました。

しかし「帯解の儀」となったのは室町時代からで、当初、男女共に9歳で行われていたものが、江戸末期から、男子は5歳に、女子は7歳となり、日取りも11月15日と定められました。

父親が息子の帯を締め、母親が娘の帯をかつぎ締めました。また、女子はこのとき初めて被衣をかぶる儀式もしました。

○着袴(ちゃっこ)の儀  三歳・五歳 男児

平安時代、男児女児ともに3~4歳から6~7歳のときに、初めて袴をつける儀式を行いました。これも碁盤の上に子供を立たせ、腰結いの役の人が袴をつけました。

この頃は吉日を選び行っておりましたが、室町時代に11月15日と定められ、江戸時代以降は、男子のみの風習となりました。現代でも宮中では古式にのっとった「着袴の儀」が行われています。

○髪置き(かみおき)の儀  三歳 女児

平安時代は、男女ともに生まれて7日目に産毛を剃り、3歳まで坊主頭で、3歳の春から髪をのばし始めました。

碁盤の上に子供をのせ、髪置親をたて、白いすが糸で作ったかずらをかぶせて「髪置の儀」を行い、その後、最初はおかっぱに、前髪がのびてくると振り分けに、女子はやがて振り分けの「おすべらかし」となり、以後は、夫に先立たれる事でも無ければ、生涯髪を切りませんでした。

室町時代に入ってからは、かなり複雑になり、日取りも11月15日に定められ、対象年齢も公家は2歳、武家は3歳と決められました。


と言うことだそうです。
幼児の死亡率が高かった昔は七歳までの子供は神の子とされ七歳になって初めて社会の一員として認められたそうです。
医療技術が進んだ現在では、乳幼児の死亡率は、飛躍的に減っていますが、
それも、ごく最近の事なんですよね。

更に、七五三と言う呼び方が出来たのは、明治時代からだそうです。


ところで、「七五三」と書いて「しめ」って読むんですよね。
以前、この苗字の方にお会いした事がありますが、
ちゃんと読んでもらった事がない、とおっしゃってました。
知らないと読めませんよね~。
それにしても、漢字は三文字なのに、仮名は二文字。
一文字、ドコに行ったの??

   by k

七五三について

2005年10月31日 | 豆知識
先日、教室で「なんで七五三は、11月15日なのか?」と言う話題になりました。

如来では、生徒さんのお名前等の情報を頂く時に、血液型もお聞きしています。
先生の経験上、血液型によって、結構個性が出るようで。

さて、そんな如来で、この「七五三」の話題が出た時、その場に居たのは
先生を含む、A型2人、O型2人の4人でした。

担当kは、何か気になったものがあった時、気になりつつも、「まぁ、いいか」
と流してしまうと言う、(良く言えば、多少の事は気にしないおおらかな(笑))O型です。
反して、先生は、気になった事があったら、辞書等を広げ、即、調べる、真面目なA型。

今回も、この話題になった時、O型2人は「なんでなのかしらね~?」
「七、五、三を足したら、15だから?でも、毎月15日はあるしね~」
などと、言うだけ言って、結局調べません(笑)

しかし、A型の先生は、即、暦を出してきて、調べてくださいました。
が、残念、暦には詳しい事は書いてなかったようです。
ちなみに、もうお一人のA型の生徒さんも、分からない事は、即、調べるタイプだそうです。

なんだかね~。
血液型って、決して全部が全部、当たる訳じゃないけど
結構、おおまかな部分は当たってたりするのよね~

とまぁ、結局、この時は詳細がわからずじまいになってしまいました。
ので、担当k、調べてみました





●七五三 
 子供のこれまでの成長を祝い、さらなる今後の成長を祈念して神社・氏神に詣でる行事。七五三の祝い(しめのいわい)とも呼ばれる(らしい・・・)。

 現在は主に十一月十五日に行われることが多い。
  男児は三歳・五歳 
  女児は三歳・七歳 
に祝うことが一般的であるが、男女とも区別無く三・五・七歳のいずれにも祝うことも増えてきているようである。

 現在は、単なるお祭り化してきてしまっているが、医療が十分発達しておらず子供の死亡率の高い時代には、節目節目で子供のそれまでの成長を感謝するとともに、今後も無事に成長するように神を祭って祈ったものである。
 このように歳祝いは目出度いから祝うと言うだけでなく、祝うことで目出度い未来を招来する行事であったと考えられる。

●どうして十一月十五日
七五三の日付の意味
 元は、十一月の吉日を選んで七五三の行事が行われており、「十一月十五日」と決まっていたわけではない。
 日付が現在のように固定されてきたのは江戸時代の中頃。三代将軍家光が、後の五代将軍綱吉(幼名徳松)の病弱であることを心配し、これの無事成長を祈るために、袴着の儀式を執り行ったのが十一月十五日。庶民もやがてこれにならい現在のように十一月の十五日に歳祝いを行うようになった。。

十一月十五日はなぜ目出度い?
 日の吉凶を占う方式の一つに二十八宿というのがある。現在でもまだ使われているが、昔は今以上に信じられていた(弘法大師が中国から持ち帰ったという話とともに有り難がられた)。その二十八宿のうちで最良の吉日とされたのが「鬼宿日」。
 この二十八宿には中国系とインド系の2つの系統があり、計算法が違うのだが、江戸時代の初めに日本で使われていた宣明暦はインド系の計算方式(二十七宿)であった。この方式では十一月の鬼宿日は十五日。
 「十一月の吉日に行う行事」であった子供の歳祝いの日付としては、最適の日だったのだろう。



と言う事だそうです。
ヨシ。
これで11月15日の意味が分かったかも。
次回は、七歳、五歳、三歳の意味も調べてみましょう。


ところで、11月15日は、「きものの日」でもあるんですよ。
ご存知でしたか?

   by k