今日の話は私の主観です。・・・そこのところご理解くださいね。
Choco.が来てからお休みしながらもトレーニングを続けてきて、「しつけ」と「トレーニング」のことばの違いを実感するようになりました。
私が思う「しつけ」というのは、人が快適に暮らすために、犬は人の都合に合わせる。人にとって都合の悪いことは犬に極力やめてもらう・・って感じ。
たしかに、家の中でどこでもかまわずトイレをしちゃったり、家具をかじる。吠えるなどといったことはしないにこしたことがないのだけれど、そういうことを問題だって言う人に限って自分の生活や飼い犬の環境は変えようとしない人が多いような気がする。なんでそういうことをしちゃうのか・・という原因の部分をよくよく考えると原因は飼い主の方だったり犬の居場所の環境だったり・・!なぁんてこともよく聞くことですよね。
毎日あてつけシッコをされてラグやふとんを洗濯して、まぁしょうがないと笑って言えるんだったらいいのかもしれないけどさ。(うちのご近所さん)
Choco.だって、うちに来る前に「無駄吠えがすごい!」って言われてたけど、家に来てお留守番がなくなったら、とっても静かだったもの。
私が今やっている「トレーニング」は、人も犬もストレスが少ない状態で暮らすにはどうしたらよいかお互いに考えていくことにポイントがあり、オビディエンスも大事だけれど、それよりコミュニケーション重視。
生活の中で必要な、「待て」「おいで」「つけ」「すわれ」「ふせ」もなぜ必要かと言えば、犬が飼い主の指示に従うとか飼い主に対して忠実であるとかいうよりも「人も犬も快適に楽しくすごすため」「犬の安全のため」にできるようになってほしい。というスタンスです。
だから、大きい犬だったら戻ってきて飛びついたりしたら怪我しちゃうし、他の人に怪我をさせてもいけないけれど、Choco.が私めがけて戻ってきて前足を私にかけたって、それより首輪を確実に確保できる方を取る!がアリ・・でもいいじゃないってこと。
きちんとした「ふせ」でなくて「やすめ」でも、カフェでおとなしくしてほしいときには、充分OKだと思うでしょ。
Choco.には改善すべき点がいくつかあるのだけれど、私とChoco.ペアの場合にはどういうアプローチがよいかを教えていただき、実際に練習してChoco.が理解できるようにしてあげるのが私の役目だと思っています。
たとえば、Choco.がついやってしまうことでも、私が上手に気をそらしてそのことを忘れるってことで回避できるようになれば、私は「ア、ア」って言わなくて済むし、Choco.は言われなくって済むってわけ。
トレーニングのメニューには実践的な部分とは別に、ちょっとかわいい所作とか、犬にとっても飼い主に喜んでもらえる、ほめてもらえるトリックを覚えるって部分もあります。
バーンと言われてゴロンとしたり、足の間を後ろ向きにくぐるっていうのもそうですが、そういう動作の中に、犬にとって苦手なことを克服することができるようになるっていうおまけもあると思うのです。
Choco.は自分の背後に人が立ったり、またがれたりするのがこわいから最初は私が後ろに回ろうとすると自分の体を動かして常に相対するイチに来てしまいます。でも、ご褒美の力もあるかもしれないけれど、ちょっとずつがんばれるようになってきました。普段の散歩の時に背後から男の人が近づいてきてもびっくりして吠えちゃうなんてことが少なくなるといいな。
トレーニングは誰でも犬が何歳でもできると思います。
犬をしつけなきゃって考えれば、これはできるけど、これはなかなかできないとイライラしながら四苦八苦する日々にお互い疲れ果ててしまうかもしれないけど、トレーニングならわかってもらうにはどうアプローチしたらいいかって創意工夫しながら考えることが楽しいと思えるようになります。楽しければ、飼い犬もキラキラとした目でアイコンタクト取るようになるし、飼い犬ができるようになったとき(飼い主を理解できたとき)に、自分自身もうれしさいっぱいになり、ますます飼い犬がかわいく、大好きになること間違いなしです。
信頼関係を築くってこういうことなのかと思います。
でも、トレーニングに「これでおしまい!」はないですけど、
楽しければ終わりなんて来ないほうがいいですものね。
練習中のダンベル。
他のものを持てるようになると私のお手伝いをしてもらえるようになるのかな。
犬との生活を楽しめる人が増えるといいなぁ。
こんなことを日々思いながらトレーニングしています。