13 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 悲観 (バハマ) 2011-06-10 20:48:26 段階もなにも素顔のモルモン教を書いた人は教会員でなくもとから信仰はなかったと思いますが・・・ 元・現役モルモンで教会を批判する人は批判サイト等をとうして教会の真実を知り、人の生きる心の支えたる信仰を喪失し、そしてその代替を教会を批判することに求めているのだと思います。教会を批判すれば改善されるのではないか、そうすればまた前のように熱心に信仰できるようになるのではないか、と 返信する 悲 (バハマ) 2011-06-10 20:49:24 ところで今教会の公式 ホームページ(の下の方)に2002年にインスティチュートで語られたという黒人会員の話がのっていますが、それにはジョセフスミスが黒人に神権を与えており、神権が与えられなかったのはブリガムヤングの時代からでそれは既成のキリスト教の教義が普及した(取り入れられた)ものであるということが書かれていました。ですがインスティチュートの資料には、「アダムの時代から時満ちる神権時代に至るまで、神権を持つことを許されない人々がいた。この方針のよりどころとなる聖句はアブラハム書1・21~27である。神権が与えられない完全な理由は主によって隠されてきたが、みこころにかなうときにしらされるものと考えられている」教義と聖約生徒用資料P387この教会では黒人に神権が与えられなかったのはジョセフスミスの時代からでそれは神からの啓示によるものだったといいながら黒人に神権を与えなかったのはブリガムヤングの時代からでそれは彼の個人的な見解、他の宗教の教義が普及したものだった、ということが同時に教えられているようです。 嘆かわしい限りです。私は「悲観的」に見ています。 返信する 素顔の・・・高橋氏 (Julian) 2011-06-12 03:30:01 『素顔の…』の著者である高橋氏は、もちろんLDSの元信者などではなく、メノウナイトの信者さんであられたと記憶しています。メノウナイトは平和を重んじる教義を特徴とし、その教義と照らした上でLDSの教義に違和感を覚えたのが彼のLDS批判展開の一つの要因です。そういう趣旨が、彼のいずれかの論文にも記されていたと記憶します。「ある特定の教義の立場に立っている」という意味で、氏に関してNJさんが書かれたコメントは的を射ていると言う印象を与えます。 返信する 誠実に向き合う (豚) 2011-06-13 10:08:09 バハマさん>この教会では黒人に神権が与えられなかったのはジョセフスミスの時代からでそれは神からの啓示によるものだったといいながら黒人に神権を与えなかったのはブリガムヤングの時代からでそれは彼の個人的な見解、他の宗教の教義が普及したものだった、ということが同時に教えられているようです。 モルモン教会は、その最高指導者を神の預言者と位置づけています、しかし、その預言者の言葉の全てが、「神の啓示」である、とは言って居ません。そこのところをうまく使い分けて、言い訳にしてるのが現状です。私は、このような姿勢に終始している限り、モルモン教会に真理は無いと思います。必要な事は、過去の預言者の誤りに誠実に向き合う事だと思います。姑息な弁明を繰り返すのは早くやめた方が良いですね。ただ、ジョセフ・スミスがアフリカ系の人に神権を与えたと言う事を、教会が公式に認めた(認めざるを得なくなった)と言うのは、それなりの時代の流れを感じます。カインの血筋の話など、30年ほど前と、今とでは、かなり教義解釈が変わってきたように思います。良い方に変わればいと言うものでしょうが、やはり、反省を表明しないのは、又同じような過ちを犯す事に成ると思います。悔い改めをせずに、バプテスマを受けるようなものです。尚アフリカ系アメリカ人と神権に関しては、NJさんがいい論運を書いてます。Julianさん>「ある特定の教義の立場に立っている」という意味で、氏に関してNJさんが書かれたコメントは的を射ていると言う印象を与えます。どのような著作物でも、著者はその人の立場と考えとを持って書いていると思います。それも需要ですが、その事によって、内容が正しいかどうかを判断すべきでは無いと思います。著者の立場とは関係なく、内容が事実かどうかを見るべきじゃないかと思います。 返信する 論文 (バハマ) 2011-06-13 13:12:48 NJさんが書いた論文というのは、どうすれば見れるでしょうか?教義解釈がどう変わったか知りたいです。 このブログでもそういう系のことをもっと扱ってくれたらと思いますが・・・ 返信する リベラルなモルモン教徒 (ZOO) 2011-06-13 14:44:53 米国の代表的新約聖書学者マイケル・ボーグ氏もその著書「イエスとの初めての再開(新教出版社)」においてこの記事とほぼ同じ内容を書いています。ボーグ氏自身も10年ほどの3の段階をへて4に至ったと述べています。なお高橋氏の著作も同じ新教出版社ですが、なぜモルモン教会が宗教として成功してるかという最も大切な問いに取り組んでいないと思います。(もちろん失敗している部分もあるのですが)その点、2011年トニー賞においてベストミュージカル賞を含め9部門で優勝し、現在ブロードウェイを席巻中のコメディミュージカル「モルモン書」は(教会としては肯定しがたい)批判的な視線を保ちながらもモルモンの宗教としての魅力をも描いて成功しています。米国のリベラルなモルモン教徒は非常に自立した考えで教会と向き合っているように見えます。傍流は傍流として自らの霊的な充足を求めて緩やかに連帯しながら活動しています。また歴史や神学の知識や理解においてはむしろ教会内で主導権を握っているのではないでしょうか。 返信する 訂正 (ZOO) 2011-06-13 14:46:42 マイケル・ボーグ → マーカス・ボーグ 返信する 論文 (豚) 2011-06-13 17:39:40 >NJさんが書いた論文というのは、どうすれば見れるでしょうか?NJさんにメールを送れば、何とかしてくれると思いますが、現在日本に居ないので、帰ってからかも?このブログで話題に成ったのは。http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/352b8fdc7f6b58fdf9a8c809b5014994 返信する Marcus J Borg (NJ) 2011-06-14 01:31:07 Marcus J. Borg で検索すると興味がありそうな見出しがたくさん見つかりました。帰ってからの楽しみです。Julian さん、コメントをありがとうございます。7月帰国前にもう一度お会いしたかったです。古屋安雄はおそらく3の批判神学の段階を承知している学者で4の宗教社会学の視点から日本で活躍・指導してきた方だと見ています。彼は高橋氏に学会のある席で、ldsに見るべき点はないのか、と問うたことが伝わっています。(両者とも国際キリスト教大学[ICU]と関わりがある。) 返信する 信仰の対象 (Julian) 2011-06-19 09:27:57 豚さん>著者の立場とは関係なく、内容が事実かどうかを見るべきじゃないかと思います。週末しかレス出来ずだいぶ遅くなりました。高橋氏の著作が虚偽であると表現したつもりはないのですが、言葉足らずでしたら失礼しました。むしろ個人的には戦争・英雄賛美的なLDS内の一部論調には馴染めず、彼の書きものの平和主義的な主張にむしろシンパシーを感じてきました。ただ『素顔の―』では、平和的教義を標榜しながら攻撃的、タイトルに「素顔の」を謳いながら負の側面に偏っていることは皮肉ではあるのですが。さて、NJさんは信仰者の「探求」の視点から4段階を提示されましたが、小生は「信仰対象純化」の視点からの段階を考えてきました。結論のみ簡単に書くと次の3段階です。(簡潔すぎて誤解招くこと覚悟で)段階1は信仰の対象として神と組織(組織教義)とが未分化の段階。段階2はそれが分化して信仰対象が神に純化した段階。段階3は分化した上で組織を信仰対象ではなく機能的な意義として認める段階です。第1段階では、しばしば組織論理やその組織教義が福音の本質よりも優先されやすくなります。せっかくの教義も皮肉な結果をもたらしかねません。(どの宗教に限らず。)NJさんご帰国は7月のいつ頃ですか。お会いしたいですね。わが家はいつでも歓迎します。ハルビンでのお仕事は今年度までですか?同地は渡部氏ゆかりの地である他、731部隊、伊藤博文暗殺など、小生も個人的に関心ひかれる土地です。 返信する 成熟した見方 (NJ) 2011-06-19 22:25:25 Julianさん、信仰対象純化という考え方は面白いですね。2の段階はレベルの高い人たちの立場のように受けとめました。3もそうです。レベルが高いというか成熟した見方と言えるでしょうか。ごく最近思い立って家庭教会に再度出席しましたが、1の段階にあるように思われました。できれば7月23,24日お伺いしたいと思います。2年前秋の携帯番号が手元にありますが、それで通じるでしょうか。こちらは15114691406です。 返信する 歓迎 (Julian) 2011-06-20 00:21:36 NJさん歓迎です。住まいは変わりましたが、携帯電話は変わっていません。Julian 返信する 了解 (nj) 2011-06-20 08:33:03 わかりました。予定が確定しましたら後日連絡させていただきます。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
元・現役モルモンで教会を批判する人は批判サイト等をとうして教会の真実を知り、人の生きる心の支えたる信仰を喪失し、そしてその代替を教会を批判することに求めているのだと思います。教会を批判すれば改善されるのではないか、そうすればまた前のように熱心に信仰できるようになるのではないか、と
ところで今教会の公式 ホームページ(の下の方)に2002年にインスティチュートで語られたという黒人会員の話がのっていますが、それにはジョセフスミスが黒人に神権を与えており、神権が与えられなかったのはブリガムヤングの時代からでそれは既成のキリスト教の教義が普及した(取り入れられた)ものであるということが書かれていました。ですがインスティチュートの資料には、「アダムの時代から時満ちる神権時代に至るまで、神権を持つことを許されない人々がいた。この方針のよりどころとなる聖句はアブラハム書1・21~27である。神権が与えられない完全な理由は主によって隠されてきたが、みこころにかなうときにしらされるものと考えられている」教義と聖約生徒用資料P387
この教会では黒人に神権が与えられなかったのはジョセフスミスの時代からでそれは神からの啓示によるものだったといいながら黒人に神権を与えなかったのはブリガムヤングの時代からでそれは彼の個人的な見解、他の宗教の教義が普及したものだった、ということが同時に教えられているようです。
嘆かわしい限りです。私は「悲観的」に見ています。
メノウナイトは平和を重んじる教義を特徴とし、その教義と照らした上でLDSの教義に違和感を覚えたのが彼のLDS批判展開の一つの要因です。そういう趣旨が、彼のいずれかの論文にも記されていたと記憶します。
「ある特定の教義の立場に立っている」という意味で、氏に関してNJさんが書かれたコメントは的を射ていると言う印象を与えます。
>この教会では黒人に神権が与えられなかったのはジョセフスミスの時代からでそれは神からの啓示によるものだったといいながら黒人に神権を与えなかったのはブリガムヤングの時代からでそれは彼の個人的な見解、他の宗教の教義が普及したものだった、ということが同時に教えられているようです。
モルモン教会は、その最高指導者を神の預言者と位置づけています、しかし、その預言者の言葉の全てが、「神の啓示」である、とは言って居ません。
そこのところをうまく使い分けて、言い訳にしてるのが現状です。
私は、このような姿勢に終始している限り、モルモン教会に真理は無いと思います。
必要な事は、過去の預言者の誤りに誠実に向き合う事だと思います。
姑息な弁明を繰り返すのは早くやめた方が良いですね。
ただ、ジョセフ・スミスがアフリカ系の人に神権を与えたと言う事を、教会が公式に認めた(認めざるを得なくなった)と言うのは、それなりの時代の流れを感じます。
カインの血筋の話など、30年ほど前と、今とでは、かなり教義解釈が変わってきたように思います。
良い方に変わればいと言うものでしょうが、やはり、反省を表明しないのは、又同じような過ちを犯す事に成ると思います。
悔い改めをせずに、バプテスマを受けるようなものです。
尚
アフリカ系アメリカ人と神権に関しては、NJさんがいい論運を書いてます。
Julianさん
>「ある特定の教義の立場に立っている」という意味で、氏に関してNJさんが書かれたコメントは的を射ていると言う印象を与えます。
どのような著作物でも、著者はその人の立場と考えとを持って書いていると思います。
それも需要ですが、その事によって、内容が正しいかどうかを判断すべきでは無いと思います。
著者の立場とは関係なく、内容が事実かどうかを見るべきじゃないかと思います。
教義解釈がどう変わったか知りたいです。
このブログでもそういう系のことをもっと扱ってくれたらと思いますが・・・
なお高橋氏の著作も同じ新教出版社ですが、なぜモルモン教会が宗教として成功してるかという最も大切な問いに取り組んでいないと思います。(もちろん失敗している部分もあるのですが)
その点、2011年トニー賞においてベストミュージカル賞を含め9部門で優勝し、現在ブロードウェイを席巻中のコメディミュージカル「モルモン書」は(教会としては肯定しがたい)批判的な視線を保ちながらもモルモンの宗教としての魅力をも描いて成功しています。
米国のリベラルなモルモン教徒は非常に自立した考えで教会と向き合っているように見えます。傍流は傍流として自らの霊的な充足を求めて緩やかに連帯しながら活動しています。また歴史や神学の知識や理解においてはむしろ教会内で主導権を握っているのではないでしょうか。
>NJさんが書いた論文というのは、どうすれば見れるでしょうか?
NJさんにメールを送れば、何とかしてくれると思いますが、現在日本に居ないので、帰ってからかも?
このブログで話題に成ったのは。
http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/352b8fdc7f6b58fdf9a8c809b5014994
Julian さん、コメントをありがとうございます。7月帰国前にもう一度お会いしたかったです。
古屋安雄はおそらく3の批判神学の段階を承知している学者で4の宗教社会学の視点から日本で活躍・指導してきた方だと見ています。彼は高橋氏に学会のある席で、ldsに見るべき点はないのか、と問うたことが伝わっています。(両者とも国際キリスト教大学[ICU]と関わりがある。)
>著者の立場とは関係なく、内容が事実かどうかを見るべきじゃないかと思います。
週末しかレス出来ずだいぶ遅くなりました。高橋氏の著作が虚偽であると表現したつもりはないのですが、言葉足らずでしたら失礼しました。
むしろ個人的には戦争・英雄賛美的なLDS内の一部論調には馴染めず、彼の書きものの平和主義的な主張にむしろシンパシーを感じてきました。
ただ『素顔の―』では、平和的教義を標榜しながら攻撃的、タイトルに「素顔の」を謳いながら負の側面に偏っていることは皮肉ではあるのですが。
さて、NJさんは信仰者の「探求」の視点から4段階を提示されましたが、小生は「信仰対象純化」の視点からの段階を考えてきました。結論のみ簡単に書くと次の3段階です。(簡潔すぎて誤解招くこと覚悟で)
段階1は信仰の対象として神と組織(組織教義)とが未分化の段階。
段階2はそれが分化して信仰対象が神に純化した段階。
段階3は分化した上で組織を信仰対象ではなく機能的な意義として認める段階です。
第1段階では、しばしば組織論理やその組織教義が福音の本質よりも優先されやすくなります。せっかくの教義も皮肉な結果をもたらしかねません。(どの宗教に限らず。)
NJさん
ご帰国は7月のいつ頃ですか。お会いしたいですね。わが家はいつでも歓迎します。ハルビンでのお仕事は今年度までですか?同地は渡部氏ゆかりの地である他、731部隊、伊藤博文暗殺など、小生も個人的に関心ひかれる土地です。