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モルモンの教義? ()
2015-03-18 18:35:43
「贖罪の目的を達するために定められた罰」

まず、これが意味不明。
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贖罪の目的 (オムナイ)
2015-03-19 05:47:27
以下が参考になると思います。

ローマ書
3:20
律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

3:23
すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、

3:24
神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
--------

モルモンでよく教えられる「すべての人は不完全です。」
しかし、最善を尽くせば救い主が可哀想に思って救ってくださる。

つまり、相反しているように見える罰も幸福も人の救いには必要不可欠なものだということです。

転じて「反対のものは必要」となるのでしょう。

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贖罪の条件? ()
2015-03-19 09:19:40
イエスの贖罪が「福音」と呼ばれる所以は、「無条件の救い」からではないのでしょうか?

故に、「贖罪の目的を達するために定められた罰」と言う文章は奇異に感じます。

もしそんな罰が存在すると言うのなら、具体的にどんな罰によって、どのように贖罪の目的が達せられるのか?知りたいですね。
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昭和訳のほうが。 (オムナイ)
2015-03-19 10:39:59
ではNJさんが並記している昭和訳の
「贖罪の目的にかなわせるためについている幸福」の方が理解しやすいのでは。

モルモン書は「律法の目的はこれについている刑罰」

聖書は「律法によっては、罪の自覚が生じるのみ」

と同じ概念を説いています。

2ニーファイ2章とローマ書3章を読み比べるとモルモン書の説く「救いは無料」の意味がはっきりするかもしれません。

聖書釈義の方法論をモルモン書に当てはめてみた興味ある試みであることを意識して読んでみてください。
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解りやすいかな? ()
2015-03-19 11:10:30
救い主はわたしたちにこう述べておられます。「見よ,…わたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い,人々が…わたしが苦しんだように…苦しみを受けることのないようにした。」(教義と聖約19:16-17)


すべての人が苦しみを受けないようにしたのなら、罰の必要性は無い。

ましてや、罰が贖罪の目的を達成するために必要だと言うのは矛盾だ

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前後をよく読んで (オムナイ)
2015-03-19 13:26:18
4 人ひと​は​皆​必かならず​​悔い改め​なければ​ならない。
そう​しなければ​​苦くるしみ​を​受うける。

17 しかし、もしも​悔い改め​なければ、彼かれら​は​わたし​が​苦しんだ​よう​に​必かならず​​苦しむ​で​あろう。

・日曜学校などでも正義の律法の要求とキリストの贖罪の関係はよく教えられています。

参考マタイ5: 26
よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。
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ちゃんと全部書かないとね ()
2015-03-19 14:08:59

救い主はわたしたちにこう述べておられます。
「見よ,…わたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い,人々が…わたしが苦しんだように…苦しみを受けることのないようにした。」(教義と聖約19:16-17)

中抜きをせずに書くとこうなります。

16 見よ、神​で​ある​わたし​は、すべて​の​人​に​代って​これら​の​苦しみ​を​​負い、人々​が​​悔い改める​なら​ば​苦しみ​を​​受ける​こと​の​ない​よう​に​した。
17 しかし、もしも​悔い改め​なければ、彼ら​は​わたし​が​苦しんだ​よう​に​必ず​​苦しむ​で​あろう。

聖句を全部書かずに中抜きをして、まったく違った意味に見せかけようって言うのは、オムナイさんにでもわかりますか?(笑)

聖典を尊重する人には赦しがたい行為ですよね。

でも、モルモン教会の中ではよく見かけるんですよね。

これもね、モルモン教会の公式サイトからコピーしたんですけど

http://www.mormon.org/jpn/FAQ(%E3%82%88%E3%81%8F%E3%81%82%E3%82%8B%E8%B3%AA%E5%95%8F)/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E8%B4%96%E7%BD%AA
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上記文字化け謝罪 ()
2015-03-19 14:38:26
私のも文字化けしてます。すみません。

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お二人の意見を読んで (NJ)
2015-03-19 16:22:40
議論を進めていただいてありがとうございます。

この部分、冒頭が「律法の目的は・・」とあって、律法そのものはむしろ「正義の律法(原則)」に近いものですから、贖罪の話が同時進行しているにも関わらず、正義の律法の概念に重なっていくようなところがあるのではないでしょうか。

それで、「贖罪の目的を達するために定められた罰」というような表現になっていったのだろうか、と印象的に思っています。

結局、別の口語訳や解説の方が分かりやすいのは事実です。

このコメント欄、変わったフォントを受け付けないので不便です。すみません。
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Unknown (教会員)
2015-03-19 16:38:54
「悔い改めなければ苦しまなければならない」と条件をつけている時点で、論理的に「無条件の救い」とは言わないですよね。逆に言えば「無条件の救い」には、条件がつくわけがありません。

その点が矛盾しているので違和感があるという意味でしょう。

要するに、キリストの無条件の救いとは、復活についてであって、苦しみの罰からの救いには条件が必要。

キリストの救いには、二段階の救いが存在することを知らせなければ、二枚舌と思われるでしょうね。 

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