3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
岡山だけにシオンの山 (オムナイ)
2015-10-16 18:46:25
岡山ステークの模範、興味深く拝見しました。

ステーク史をこのような冊子にまとめているところがあるとは初めて聞きました。

リアホナなどで取り上げたのでしょうか?
でなければ是非紹介して欲しいですね。

奇しくも岡も山も「シオンの山」を連想させます。

岡山といえば桃太郎。

桃太郎の物語はモーセのそれを連想させます^^;

モーセはどんぶらこ、どんぶらこと桃ならぬカゴからとりあげられたのでした。

桃から産まれた説の他に不老不死の実とも言われていた桃をおじいさんとおばあさんがを食し若返って子が生まれたとか。まさに「永遠の木の実」

犬・キジ・猿はさしずめ、モーセの手を支えたアロンとホル。そしてヨシュアでしょうか。

きび団子はマナ。
鬼が島はミデヤン人でお宝はぶんどり品となりますか。

岡山ステークは主の山、シナイ山にちがいありません。
失礼しましたm(__)m
返信する
ウマイ! (与那覇)
2015-10-17 12:51:50
オムナイさんへ
ウマイですね!
飛鳥氏を彷彿させるコメントですね!

こんな感じに楽しみながら学べたらいいなと思いました。

自分たちの教会の歴史をしっかり刻んでいる岡山ステークには感服させられます。
久しぶりにいい話を聞かせてもらいました。
返信する
ありがとうございます! (宮島和則(岡山S岡山W))
2015-10-19 01:17:22
沼野兄弟、岡山ステーク史について紹介してくださり、また貴重なご意見をくださりありがとうございます!
またコメントしてくださった方々にも感謝しています。
「岡山ステークは主の山、シナイ山にちがいありません」嬉しい言葉です。本当にそのようなシオンの岡山ステークになれたらと願っています!

>日本のLDSも自ら歴史記録を出版することの重要性を
>常日頃感じている。待っていても誰も代わりにしてく>れない領域だからである。

私もほんとにそのように感じています。岡山は岡山の民が、それぞれのその地の民が、聖徒が記録に残さなければ、誰も記録に残す者はいません。
記録を残すことは、すすめではなく、主の戒めです。

「…そして自分の証をそこにつづりなさい。救い主が、大切な出来事を記録しなかった人をとがめられたことを、忘れてはならない。」
(スペンサー・W・キンボール “The Angels May Quote from It”)

岡山ステーク史でも述べていますが、私たちの課題は以下の通りだと考えています。

・・・・

そして、イエスはニーファイに「あなたがたが書き継いできた記録を持ってきなさい」と言われた。…イエスはそれらの記録に目をやって言われた。…「多くの聖徒がよみがえって多くの者に現れ、彼らを教え導いたことを書き記していないのはどうしてか」と言われた。…そして、イエスがそれを書き記すように命じられたので、イエスが命じられたとおりにそのことが書き記された。
(3ニーファイ23:7-13)

●質問
この聖句が教える「記録」に関する福音の原則は何でしょうか。それはあなたの生活にどのように応用できるでしょうか。
主があなたの日記、あなたのワード・支部の記録を持ってきないさいと言われたら自信をもって持っていけるでしょうか。主があなたの日記、あなたのワード・支部の記録を読まれ、書き記すように命じられるとしたら、それはどのようなことでしょうか。

・・・・・・
私たちは忘れてはいけません。
記録を残すことは主のすすめではなく、戒めです。
記録を残さないことは、あえてきつい言葉で表現をすれば「罪」です。主は、残念に思い、悲しまれることでしょう。

私はその指針を胸に、日記をはじめいつも記録を残すようにしています。
日本中のステーク・地方部、ワード・支部でそのような観点で記録が作成され、分かち合われ、主からいただいた祝福と恵みが永遠に覚えられ、主を賛美し、栄光を帰すことができますように心からお祈りしています。





返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。