peaceに現代日本人が抱いているイメージは、静、黙、和、みたいな沈着した物体が静止し、沈下したイメージですが、「緘黙」という言葉の「黙」じゃなくて「緘」の字のほうが「peace」に当てはまるかもしれません。英語のPEACEが持つ「密閉した空間のイメージ」が、日本語に足りないかもしれませんね。PEACEの単語に持つイメージが、日本人は開放的。英語圏の人には密閉的なイメージがあると思う。その差がpeace be still で誤差が顕著になる感じです。黙れ!という命令というよりも、難い静謐な聖域に黙する事で神聖を封建しているイメージ、そんな感覚が込めらている感じがします。謹慎、みたいな、自宅でじっとしているという字面通りの意味と、それはどこか罪科を帯びた密やかな安静、みたいな、イメージ。そしてどこかそれは監禁的というか、封印、そうですね、もう漢字一文字でいえば「緘」ですね。この漢字に似たイメージを合わせもっている、そんな印象を受けました。そう考えると、peace be stillは、黙れ、という感じというか、口に封緘をという感じでしょうか。(ギリシャ語もそういう理解に近い)口輪というと何だか罪人なイメージですが、どこか聖的な戒め、みたいなイメージを持たせたかった感じですかね。大切な神聖を中に保て、みたいな意味かと。 それはでも殆ど狭義の英語イメージで、英語圏でも多分業界用語位に狭い通用度合いじゃないかなって感じですね。
たいがいは日本語の方が本来の意味と乖離して損をするのですが、今回は日本語の方が原語に近かったとは知りませんでした。
be muzzledが制御されることを意味し、ベストアンサーの回答が、「理解を越えた偉大な存在を信じて得られる境地で、それによって人が遭遇する問題や境遇に耐えることができる」であるなら、「粛」という便利な日本語の漢字があります。 畏れ静まるという意味とstillの状態を兼ねています。
「静まれ、黙れ」は、恐らくイメージ的に言えば裁判官がよく使う「静粛になれ!」というのが本来のニュアンスだったのでしょう。 原語に近くPeaceの訳からも遠くない。
しかしそれでは読者に聖書の一節を思い出させることは出来ないというジレンマがあったものと思われます。
「粛」という漢字を用いて、例えば「静粛(に)」などの表現でつなぐ(カッコつきで解説を添える)ことができたかもしれないですね。
ありがとうございました。
それはでも殆ど狭義の英語イメージで、英語圏でも多分業界用語位に狭い通用度合いじゃないかなって感じですね。