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Unknown (教会員)
2015-01-10 11:22:00
ヨハネは福音書を、ヘレニズム文化圏にいた当時の一般識者への啓蒙も意識していたということになるみたいですね。

その理解で言えば、「最初に言があった、言は神と共にあった。言は神であった。・・万物は言によって成った。・・言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。・・」
の意味するところは、

モルモン教会風表現

「最初に英知があった。英知は父と共にあった。英知はエホバであった。万物はその英知によって組織された。またその英知のうちにイエスがあった。イエスは人を照らす光である。 光は闇の中で輝いている。」

仏教風表現

「最初に因果があった、因果は仏と共にあった。因果は神である。万物はこの因果によって成った。因果のうちに釈迦が生まれた。釈迦は人を照らす道であった。道は苦の中で輝いている。」

にすんなりおきかえることができそうですね。

一般的なキリスト教では、父と子の関係が混沌としているために、ロゴスとか言われても信者はどうなのでしょう。 ロゴス=イエスキリストであるということは把握されているようですが。
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成り立ちそう (nj)
2015-01-10 21:48:40
二種の言い換え、成り立ちそうですね。拍手!

一般のキリスト教会の会員がヨハネ1:1をどう受け止めているのか、直接的には知りません。ただ、有名な言葉で、注解書もあり、伝統も割合長いですから、彼らの三位一体論に沿って、解釈が定着しているのではないでしょうか。「言は神と共にあった」の部分。

逆に「言は神であった」の部分は一般のキリスト教に自然に響くのではないかと思われます。 
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Unknown (Unknown)
2015-01-10 22:58:19
1:1 初めに御子を通して福音が宣べられた。福音は言葉であり,言葉は御子とともにあり,御子は神とともにおられ,御子は神から出ておられた。
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Unknown (Unknown)
2015-01-10 23:08:39
「末日聖徒の中に,福音の真理と装って偽りの教義を説く人々がいるが,彼らは二つのタイプに分けることができる。また,実際にはこれ以外にない。第1は,完全に無知な人。怠惰のために英知を欠き,読書や勉強によって自己の進歩を図ろうとあまり努力しない人。不治の病すなわち怠惰に陥り,病んでいる人。
第2は,誇りが高く,うぬぼれの強い人。自分のうぬぼれた考えに照らして読み,自分の考えた法則で解釈し,自らが律法になろうとして,自分こそが自分の行為を裁く唯一の裁き手であるとする人。このような人は,第一の人以上に危険で無知な人である。」
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Unknown さんへ (NJ (沼野))
2015-01-11 00:04:49
JSTを引用されたのですが、ではなぜJSTヨハネ1:1 は高価な真珠(正典)に含まれていないのでしょうか。JSTについて小生の記事をご覧くださればありがたいです。左ずっと下の検索で何件が見つかります。
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Unknown (Unknown)
2015-01-11 10:34:58
少なくとも一般の哲学を参考にするよりはましなのでは。
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Unknown (教会員)
2015-01-11 11:50:16
ジョセフスミスの読み解きは、それはそれで立派で素晴らしいのですが、聖書の解釈は10人いれば10通りの自由が許されており、多重性ゆえに格調が高いものと思われます。 

ただ何でも良いわけではなく、簡単で基本的な福音に調和しているかどうか照らし合わせて考えて見たときに、福音に調和しない解釈は偽りでしょうね。それは神がまかないものとして不協和音となり、いずれは抜き取られるということでしょう。

筆者の置かれていた聖書の時代背景(ヘレニズム文化圏への伝道を願っていた。)と共に読み解くならば、むしろ、アンモンがラモーナイ王に伝道しようとした気持と通ずるものがあるのではないだろうか。
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「そのとおり」 (NJ)
2015-01-11 21:01:39
↑ 同感です。賛成!
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憐れみ (Unknown)
2015-01-11 22:35:28
沼野兄弟は自分が背教者であって、人々に対し加害者であると認識しているのだろうか?

自分が預言者よりも物事を正しく理解していると、レーマンたちのように誤解している。

沼野兄弟の無知と誤解の主張をブログやフェイスブックで発信することに、まともな教会員たちは迷惑がっています。 
 
「真理」を誤解している教会員たちと組んで、科学的な根拠も間違っていて、聖霊からの証、啓示もない主張は、見苦しいです。
 
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承知 (沼野治郎)
2015-01-12 00:25:57
どのように見られているかわかりました。指摘されて改めて状況を認識する事ができたと思っています。しかし、宗教を実践する人々の信仰を尊重しつつも、私は自分が歩んできた道(理解)の面で後戻りする事はないと思います。
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