17 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (豚) 2009-06-05 10:40:16 何でもかんでも、バプテスマを受けさせさえすればいい・・・って言うのを、チリでは「ちりも積もれば山になる」って言うとか・・・。>定着率をよくする鍵は、改宗者の尊厳を尊重することにあって、決して数字を上げて戦利品を持ち帰るような心理に染まらないことである。って事ですが、定着率ってそんなに重要なんでしょうか?例えば、年間一人のバプテスマが有りその一人が定着した。100%ですね。じゃあ、年間100人のバプテスマが有り、10人が定着した、10%です。どっちが良いのですか?この判断をするのに、ポイントとなる聖句が有りますね。76:74 また、これらは、肉においてはイエスの証を受け入れなかったが、後にそれを受け入れた者である。76:35 それは、彼らが聖なる御霊を受けた後にそれを否定したため、また御父の独り子を否定したため、また独り子を自ら十字架につけて公に辱めたためである。いずれも、教義と聖約からですが、今はあまり強調されなくなっているようですが、少し前までは、「福音を聞いて拒否した人の罪」と言う問題が有ります。つまり、バプテスマを受けてから教会に来なくなた人を「罪」と見なす考え方(教義?)です。もしこの考えが無ければ、教会に出席しない会員がいくら増えても問題ないのですが、この考えのゆえに、「会員に成った人が、教会に来なくなる事がないように、サポートしなくては成らない。」と言う使命感がや、それが出来なくなった時の罪悪感が出てくるのだと思います。出席率にこだわる事の根底に有る要因を見直せば、拙速伝道に何の問題も無くなり、「地元の会員の負担が大きくなる」と言う思いもなくなるわけです。つまり、「拙速伝道」と言う言葉の裏には、「お休み会員を増やす事は罪か?」と言う問いが有るのかと思います。現実的には、私の周辺では、名簿上の会員全てに気を配るような処置はされて居ませんし、神権指導者も、「そんなところまで気が回らない」と言うのが実情ではないでしょうか?もしそうなら、「拙速伝道」により会員数が増える事への肯定的評価が有っても良いのではと思います。 返信する 定着率が大切か? (NJ(定着率は大切)) 2009-06-06 23:47:22 定着率が大切か?大変大切だと思っています。1確かに一人で100%=1人、百人で10%=10人、どちらがよいかという見方や種蒔きの譬え(マタイ13:24)から来なくなる人もある、とする考え方もあるでしょう。 しかし、会員数に対し出席している人数の割合が、北米で何%、アジアでいくら、南米で○○%、世界全体で何%と示されるとき、低い定着率がよいわけがありません。他の教会と比べられるとなおさらで恥ずかしい気持ちがするばかりです。文化の違いやモルモン教の普及している地域であるかどうかも考慮しなければなりませんが、一つの大きな理由はおざなりな伝道が行われたことがあることを考えなければなりません。28年前英語のニューズグループに掲載された書き込みに次のようなものがありました。「10日でバプテスマの標語のもとに悔い改めに要する時間に期限を設けたり、10日たったから求道者が誠実に改宗の過程を終了したと言ったりできるだろうか。それは神をあざける態度ではないか、と。全く同感です。どこの国のことか書いてありませんが、30-40%がバプテスマ後1回も教会に来ない、ほんの2か月後20-25%しか活発でない、と聞くと唖然とする。それは宣教師が聖典の言葉と生ける預言者を無視しているのだ、神は長く信仰を持ち続け教えに従う人を求めておられ、一時的な客人を望んでおられるのではないはずだ、と書いていますが、良識的なアメリカ人帰還宣教師がいるのを知って私は嬉しく思っていました。そのような拙速伝道が定着率を著しく下げています。それは、伝道される人はもちろんその国の人々を尊重していない、と憤りに近い気持ちでいます。改宗という人生の一大事を安易に扱ってよいのかと私は問いたいのです。帰還後の教徒としての生活(経歴)につながると考える人々(Corridor Mormons)の自己(自民族)中心的視点に不快感さえ覚えます。3それから同じ教会員でも考え方に違いがあることに気づきました。それは「教会に来なくなった人を罪に定められた者と見る」からそういった人を出さないよう腐心する、活発化しようとHTの負担を感じプレッシャーを感じる、この点は実際はもっと淡泊に考えているのではないでしょうか。多くの不活発会員はそれほど深く帰依するに至っていないので、来なくなっても罪ありとされるとは深刻に受け止めていない、と私は見ています。それにHTについては、もうだいぶ前から日本の監督たちや神権指導者(長老定員会会長など)は全登録会員を網羅しようとはしておらず、限られた範囲の家族だけを訪問対象にしています。(これは米本部の指示や希望を無視し始めた大胆な発想であった、と見ています。もっとも今は米指導者ももっと多くを訪問対象にすべきである、と言わなくなったのだろう、と感じています。訪問すべき底辺をここまで拡張したのは多くの米人宣教師であったことに気づいているのでしょう。あるいは途方もない人数を訪問するように言って日本の指導者に過大な負担をかけることが隣人愛にそぐわないことに気付いたのでしょう。)何にしても拙速伝道もよい、肯定評価できるのでは、など上記のような理由から私は賛成できません。とんでもないことです。 返信する 全ての人に福音を (豚) 2009-06-09 09:52:14 定着率にこだわる事への弊害をあげておきましょう。イエスは、福音をのべ伝えなさい、と言っています。伝道とは「福音を伝える事」だと思います、「会員を増やすこと」では無いはずです。福音を一人でも多くの人に伝える事が、大切な事だと私は考えます。しかし、現在定着率を重視する為に、「会員に成りそうな人」を選んで福音を伝えようとしてる様に思えます。つまり、会員が人間的判断で、福音を伝える相手を選別してしまっているのです。「この人は会員に成りそうだ」「こう言う人に会員に成って欲しい」そんな判断で福音を伝える前に、人をふるいにかけているのではないでしょうか?バプテスマを受けるかどうかは、本来聖霊の働きによるものです。その人がバプテスマを受けるかどうかは、その人と聖霊の働きによって決まるものではないでしょうか?NJさんは、服を買うのに試着しないで買うのでしょうか?モルモンの福音や教義、信仰生活を知るには、バプテスマを受けて会員に成らないと分からない事がたくさん有ります。神権の行使や神殿の儀式など、求道者の状態で理解できるのでしょうか?私は、誰でも、望む人が、一人でも多くバプテスマを受け、神権や聖霊の賜物、神殿の儀式を経験し、その上で、会員として残るか否かを決めれば良いと思います。ただ、その障害に成るのが「バプテスマを受けた後教会を離れるのが罪になる」と言う考え方です。しかし、NJさんも認めてられる様に、その考えは今では会員もあまり強く持たなくなっています。だったら、敷居を低くして、多くの人に一度会員を経験してもらって、その上で残るかどうかを判断してもらえば良いのではないでしょうか?定着率にこだわるのは、現在の会員のエゴと傲慢です。一つは、自分達の仕事を増やしたくない。もう一つは、自分達は救われるが、世間の多くの人はそうではない。この二つの思いが、根底に有って、定着率にこだわるのだと思います。お休み会員が増える事よりも、現世で福音を聞く機会の無い人が増える事のほうが、よほど重大な問題です。 返信する 寝不足なのは (ワサッチ) 2009-06-09 11:36:55 >http://mormonstories.org/このサイトはまさにその「拙速伝道」をガテマラで見た宣教師が良心を痛めなんとか中央幹部にその現状を訴えようと努力したブログ管理者自身の体験から始まっています。NJさんの引用元から辿って初めて知ったのですがここのポッドキャストは本当に興味深いです。2年前に休止しているのですが、モルモンの識者(会員とは限らない)たちへのインタビューは実に聞き応えがあります。 返信する 飛躍 (NJ(すべての造られたものに)) 2009-06-10 16:21:47 飛躍?当然? (NJ(すべての造られたものに)) 豚さん、「全ての人に福音を」のコメントありがとうございます。マルコ16:15にありますね。BofMには階層によって礼拝に参加するのを拒んではならないとあります。とにかく福音を伝えること(招くこと)、誰に伝えるか選別してはならないことについて、ご指摘の通りです。日本のキリスト教会(またモルモン教会)のある意味限界(あるいは傲慢)をついていると思います。ただ、会員になって味わってもらう必要がある、それから留まるか去るかを決めてもらえばよい、という点にひっかかります。招かれる者は多いが選ばれる者は少ない、あるいは種が播かれても根をおろすとは限らない、ので会員にならない人も多くいるわけです。イエスが譬えで語られたのは、聞く過程で選別される場合を含意していると思われます。関心のない人、理解を示さない人には次を語れないのではないでしょうか。また、聖典にはバプテスマを受ける資格について記されています。悔い改めにふさわしい実を結んだ者、教会員の前にそのことを示した者などの記載があります。カトリック教会では1年の学びの後に洗礼式が行われる、プロテスタントでも少なくとも3か月くらいの求道生活を経て洗礼が行われる、と最近大阪の教会を訪ねて知りました。>現世で福音を聞く機会の無い人が増える事のほうが、よほど重大な問題です。この最後の点、理にかなった指摘だと思います。ただ、豚さんの厳しい指摘は理解できますが、考え方(理屈)が急速に進化し(試論としては興味あり)一部極論化しているような印象を受けます。p.s. 豚さんの今回のコメントは、「一時的にせよこれだけ大勢の日本人がモルモン教に興味を示し加入したことは注目に値する」と述べていたアメリカ人の学者の言葉に通じるところがあります。(当ブログ'07/6/27 「日本のモルモン教徒に関連して注目した言葉」2。) 返信する 入学と卒業はどちらが大切? (豚) 2009-06-10 16:37:50 私も、現在の宣教師が求道者になすレッスンが不十分であると考えるのは同じです。しかし、半年も一年も教義の勉強をしないとバプテスマが受けられない、と言うのも疑問を感じます。それでは、「聖典の内容や教義を理解する能力が無いとキリストの救いに預かれない」と言う事に成ります。一般の教会でも、少なくとも「キリストへの信仰により救われる」と教えてるのではないでしょうか?モルモンはそれに加えて、聖霊の賜物、神権の儀式等、教会に入らないと受ける事が出来ない、救いに必要な事柄がいくつも有ります。NJさんの提唱する方法は、入試が難しい日本の大学みたいなものですね。つまり、「一定レベルの人意外は入ってくるな!」って言ってるわけです。「モルモンは一般的には守りにくい戒めがあって、よほどの人で無いと会員として生きていけないから、それが出来る人だけが、バプテスマを受けて欲しい。」と言う傲慢です。その思いの続きには。「私はモルモンとしてやっていけるけど、あなたは無理でしょ・・・。」って事ですよね。「ここは一流の大学ですから、入るのは難しいんですよ。」って、今居るモルモンだって、そんなにたいした事内じゃ無いですか?入りたいって人は、全部入れてあげればいいんですよ。それで、色々やってみて、辞めたいと思えば退会すれば良いんです。ジョセフスミスの時代から、教会を去る事は罪であり、「背教者は地獄に落ちる」って言う教えに未だに縛られているから、「会員として付いて来れない人は入らないほうが良い」って思考が生まれるのではないでしょうか?大学でも、重要なのは、入ってから一生懸命勉強して立派に卒業する事でしょ?いくら入試が難しくても、入ってから遊んでたのでは意味が無いじゃ無いですか。私は、伝道部長の成績を上げるための、「パプテスマの数至上主義」を奨励する気は有りませんが、同時に、求道者を見て「この人は良い会員(自分たちに利益になる会員)だろうか?」と思う気持ちも反省すべきだと思います。ま、役員の方は、戦力が増えて、お荷物が少ない方が嬉しいのは分かりますけどね。 返信する 早速聞いてみました (NJ(グアテマラの拙速)) 2009-06-10 21:15:15 ワサッチさんへ151eさんのサイトからiTunesを知って音楽を聞いていましたが、Podcastsにこのようなものがあるのを知りませんでした。Archiveを見ただけですが、この中に入っていたのですね。寝不足になる理由がわかります。聞いてみたい名前が目白押しです。「お気に入り」に早速加えました。日本でも高齢化する先達たちのなまの声をインタビューして保存、研究の用に供することができればよいのにと思います。早速先ほどJohn Dehlin さんの話を聞きました。溜息をつきながら語る、驚くべき内容にあきれ、考え込んでしまいました。これも要約記事をいずれ掲載したいと思っています。 返信する 拒否権 (カルロス) 2009-06-14 21:17:00 >ホームティーチングの負担が増える監督に拒否権を与えるのである。>もし監督がバプテスマを承認しなければならなくなれば、数字を追うことからくる問題は解決する。拒否権を仮に監督に与えても変わらないでしょうねしかも普通、監督は宣教師の肩を持つわけですから拒否することはまずありえません拒否権があるためには承認権もなければいけませんしその行使権は宣教師にありますから本来宣教師はふさわしくない求道者には拒否権も行使しなければいけませんしかしこれがなされていないから起こりうる問題が現実に起きているのでしょうが問題の本質はそのようなふさわしくない改宗者が一部教会に残りふさわしくないまま結婚をしふさわしくないまま家庭を築きふさわしくない宣教師が育ちまたふさわしくない求道者を捜し求めて放浪するという悪循環があるかと思います 返信する ふさわしくない人 (豚) 2009-06-15 19:36:03 「私はふさわしいけど、あの人はふさわしくない・・」って言える、高慢な人が、一番ふさわしくない人じゃないの? 返信する 拒否権発動には周到な準備が必要 (NJ(拒否権は)) 2009-06-15 21:25:15 悪循環があるならそれも仕方がない?!冗談はさておいて、カルロスさんへ。昔山口県徳山ワードで一時面接権が地元教会側に譲られたことがありました。しかし、よほどしっかりした理念と覚悟、方針の周知、そして経験がないと「状況は変わらないだろう」と私も思います。というのは、候補者が信仰、悔い改め、バプテスマを受ける希望について聞かれて、みな「はい」と答えると、本当はまだ早すぎると思っていても拒めない境地に追い込まれて許可したことがありました。スポーツのクラブに所属する高校生は、しかし、すぐに来なくなってしまいました。実現性は現在乏しいものの面接権は地元の教会側が持つべきものと私は考えています。Helmutさんは別人。 返信する 伝道でオープンにすべき内容 (totoro) 2009-06-15 23:09:24 いわゆる「狂乱のバプテスマ」時代に改宗した者として言わせてもらえれば①.一夫多妻の教義とその歴史②.神殿儀式のアウトラインとその価値(参入が昇栄の条件になっている)③.充分の一以外の献金(ワード部予算・断食献金他等)の存在と事実上の義務化④.黒人差別の教義と歴史⑤.独身男性への専任宣教師の事実上の義務化とこの位はきちんと求道者レッスンの中でオープンにしてほしかったですね。こういった教会のダーク・サイドもオープンにした上で「全ての人に福音を」というのであれば素晴らしいですが、現時点ではこのような裏面は改宗してから、日々の教会員生活の中で何となく耳に入ってくるものです。そしてそれが意外にプレッシャーをかける存在となってくるのです。教会員であった10年間、自由意志による選択を謳いながら変な抑圧をかけてくるこれらの教義に対して、私は全く理解が出来ませんでした。私は昨年ようやくネット環境が整い、かつて在籍していたモルモン教会の現状はどうなっているのかと好奇心で見てきたのですが、いわゆる「反モルモン」の人々のHPやブログでは「教会が情報をオープンにしていない」という批判が多かったように感じています。それは求道者であった時でも改宗してからでも同様です。さて、今回は南米での拙速伝道が問題になっていますが、「狂乱のバプテスマ」から30年が経とうとしている日本の経験をみるとその方法が正しいものであるかどうかは疑問の余地がないでしょう。それは単なる世界的な「反モルモン」運動の拡大につながるだけです。それを防ぐ見地からもモルモン教会はきちんと情報をオープンにすべきでしょうね。拙速伝道で求道者に対しこの様なダーク・サイド面への理解を求めるのはかなり無理があるのではないでしょうか。 返信する Unknown (れ:拒否権) 2009-06-16 12:17:02 >昔山口県徳山ワードで一時面接権が地元教会側に譲られたことがありました教会が啓示を受けて組織立って与えた職権でなければこのようなことは何の意味もありませんちょうどオリバーカウドリーが金版を翻訳しようとしてできなかったことと似ていますその悪循環を断ち切るには各々が聖霊に従うことによるということは言うまでもありません 返信する 知的障害の方は? (豚) 2009-06-16 13:17:11 NJさん、具体的にお伺いしますが、現在モルモンでは、知的障害の方(程度によりますが)に対して、「福音を理解出来ないから、バプテスマの必要が無い」(罪を認識していないので罪を持っていない)と言う理由で、「バプテスマは受けなくて良い」との見解ですね。「バプテスマの必要が無い」と言うのは、非常に聞こえの良い表現ですが、この言葉の別の意味は「教会に入れない」って事ですよね。何度も同じ事を書いてますが、今教会に来ている会員の判断で「この人は入っても良い」「この人はダメ」って決めて良いものなんでしょうか?弱者を受け入れない、教会がイエスの名を名乗っていいものでしょうか?モルモンの教義では、この教会の儀式を受ける事が、救いの条件に成ってます。救いの門を閉ざす権利が誰に有るのでしょうか?監督や地元の会員がその権利を持っているのでしょうか? 返信する 修辞的疑問文(厳しい質問者の問い) (NJ(No)) 2009-06-18 23:01:35 >「バプテスマの必要が無い」と言うのは、非常に聞こえの良い表現ですが、この言葉の別の意味は「教会に入れない」って事ですよね。(知的障害者)私にはわかりません。最新の教会総合手引きを持つ立場にありません。ただ、例えば会員の家族であれば会員の籍があると思います。私の一番若い孫がそうです。幼児の祝福を受けています。>会員の判断で「この人は入っても良い」「この人はダメ」って決めて良いものなんでしょうか?>弱者を受け入れない、教会がイエスの名を名乗っていいものでしょうか?よいと思いません。>救いの門を閉ざす権利が誰に有るのでしょうか?誰にもありません。>監督や地元の会員がその権利を持っているのでしょうか?いいえ。 返信する Unknown (なんだかね) 2009-07-24 01:30:08 先のコメントを見ていると定着率10%でも良いではないかとか、レッスン期間半年、1年は長すぎるとか、ちょっと信じがたいコメントを会員さんたちの声を拝聴しました。宗教を選ぶ事は、単に個人の問題ではなく子々孫々にまで影響を与える事ですよね。半年1年が長いという感覚が理解しがたい。定着率そのものよりも定着しなかった多数の心情を考慮いただきたい。モルモン教の場合、定着しなかった人の大多数はモルモン教に対して明示的敵対者になっているのでは?。1.教会に通い積極的に組織運営を助けている2.教会に通っているが消極的3.教会に通っていないが友好的4.教会に通わず敵対的1人の味方を得るのに、るかに多くの敵を作っている。個人と神との個人的関係を説く一方で、個人の人格を尊重していない。これに尽きると思います。なにを以て個人の人格を尊重しているか、無視しているかはモルモン会員さんたちの内部事情で知ったことではありません。外部の人間から見ると現在「唖然レベル」で80年代の暗黒時代と行為に於いては好転したが、心情的には全然進歩していないですし、南米と大差はありません。モルモンって世間の非難を避けるために小ざかしく逃げ回ってるみたい、私にはそう思えます。 返信する なんとも返す言葉が・・ (NJ(なんとも)) 2009-07-27 00:07:17 外部から厳しいですが当然の指摘と感想をいただきました。ほとんど全文に同意です。二点に絞ってあげますと、「宗教を選ぶ事は、単に個人の問題ではなく子々孫々にまで影響を与える事」「個人と神との個人的関係を説く一方で、個人の人格を尊重していない」が核になる点であると思います。私個人から始めて肝に銘じ、周辺にも反映させていきたいと思います。関心をもってお読みいただき、コメントをくださり感謝いたします。 返信する 宗教にも消費者契約法を (Unknown) 2009-07-29 23:50:50 >>「個人と神との個人的関係を説く一方で、個人の人格を尊重していない」モルモン教が自発的に超拙速勧誘の過ちを認めることは考えにくい。マンションセールスにおける不実告知が問題となり消費者契約法という法が制定、施行されているが、これに似たガイドラインが宗教にも必要なのではないかと感じ始めている。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
>定着率をよくする鍵は、改宗者の尊厳を尊重することにあって、決して数字を上げて戦利品を持ち帰るような心理に染まらないこ
とである。
って事ですが、定着率ってそんなに重要なんでしょうか?
例えば、年間一人のバプテスマが有りその一人が定着した。100%ですね。
じゃあ、年間100人のバプテスマが有り、10人が定着した、10%です。
どっちが良いのですか?
この判断をするのに、ポイントとなる聖句が有りますね。
76:74 また、これらは、肉においてはイエスの証を受け入れなかったが、後にそれを受け入れた者である。
76:35 それは、彼らが聖なる御霊を受けた後にそれを否定したため、また御父の独り子を否定したため、また独り子を自ら十字架につけて公に辱めたためである。
いずれも、教義と聖約からですが、今はあまり強調されなくなっているようですが、少し前までは、「福音を聞いて拒否した人の罪」と言う問題が有ります。
つまり、バプテスマを受けてから教会に来なくなた人を「罪」と見なす考え方(教義?)です。
もしこの考えが無ければ、教会に出席しない会員がいくら増えても問題ないのですが、この考えのゆえに、「会員に成った人が、教会に来なくなる事がないように、サポートしなくては成らない。」と言う使命感がや、それが出来なくなった時の罪悪感が出てくるのだと思います。
出席率にこだわる事の根底に有る要因を見直せば、拙速伝道に何の問題も無くなり、「地元の会員の負担が大きくなる」と言う思いもなくなるわけです。
つまり、「拙速伝道」と言う言葉の裏には、「お休み会員を増やす事は罪か?」と言う問いが有るのかと思います。
現実的には、私の周辺では、名簿上の会員全てに気を配るような処置はされて居ませんし、神権指導者も、「そんなところまで気が回らない」と言うのが実情ではないでしょうか?
もしそうなら、「拙速伝道」により会員数が増える事への肯定的評価が有っても良いのではと思います。
1
確かに一人で100%=1人、百人で10%=10人、どちらがよいかという見方や種蒔きの譬え(マタイ13:24)から来なくなる人もある、とする考え方もあるでしょう。
しかし、会員数に対し出席している人数の割合が、北米で何%、アジアでいくら、南米で○○%、世界全体で何%と示されるとき、低い定着率がよいわけがありません。他の教会と比べられるとなおさらで恥ずかしい気持ちがするばかりです。
文化の違いやモルモン教の普及している地域であるかどうかも考慮しなければなりませんが、一つの大きな理由はおざなりな伝道が行われたことがあることを考えなければなりません。
2
8年前英語のニューズグループに掲載された書き込みに次のようなものがありました。「10日でバプテスマの標語のもとに悔い改めに要する時間に期限を設けたり、10日たったから求道者が誠実に改宗の過程を終了したと言ったりできるだろうか。それは神をあざける態度ではないか、と。全く同感です。
どこの国のことか書いてありませんが、30-40%がバプテスマ後1回も教会に来ない、ほんの2か月後20-25%しか活発でない、と聞くと唖然とする。それは宣教師が聖典の言葉と生ける預言者を無視しているのだ、神は長く信仰を持ち続け教えに従う人を求めておられ、一時的な客人を望んでおられるのではないはずだ、と書いていますが、良識的なアメリカ人帰還宣教師がいるのを知って私は嬉しく思っていました。
そのような拙速伝道が定着率を著しく下げています。それは、伝道される人はもちろんその国の人々を尊重していない、と憤りに近い気持ちでいます。改宗という人生の一大事を安易に扱ってよいのかと私は問いたいのです。帰還後の教徒としての生活(経歴)につながると考える人々(Corridor Mormons)の自己(自民族)中心的視点に不快感さえ覚えます。
3
それから同じ教会員でも考え方に違いがあることに気づきました。それは「教会に来なくなった人を罪に定められた者と見る」からそういった人を出さないよう腐心する、活発化しようとHTの負担を感じプレッシャーを感じる、この点は実際はもっと淡泊に考えているのではないでしょうか。多くの不活発会員はそれほど深く帰依するに至っていないので、来なくなっても罪ありとされるとは深刻に受け止めていない、と私は見ています。
それにHTについては、もうだいぶ前から日本の監督たちや神権指導者(長老定員会会長など)は全登録会員を網羅しようとはしておらず、限られた範囲の家族だけを訪問対象にしています。(これは米本部の指示や希望を無視し始めた大胆な発想であった、と見ています。もっとも今は米指導者ももっと多くを訪問対象にすべきである、と言わなくなったのだろう、と感じています。訪問すべき底辺をここまで拡張したのは多くの米人宣教師であったことに気づいているのでしょう。あるいは途方もない人数を訪問するように言って日本の指導者に過大な負担をかけることが隣人愛にそぐわないことに気付いたのでしょう。)
何にしても拙速伝道もよい、肯定評価できるのでは、など上記のような理由から私は賛成できません。とんでもないことです。
イエスは、福音をのべ伝えなさい、と言っています。
伝道とは「福音を伝える事」だと思います、「会員を増やすこと」では無いはずです。
福音を一人でも多くの人に伝える事が、大切な事だと私は考えます。
しかし、現在定着率を重視する為に、「会員に成りそうな人」を選んで福音を伝えようとしてる様に思えます。
つまり、会員が人間的判断で、福音を伝える相手を選別してしまっているのです。
「この人は会員に成りそうだ」「こう言う人に会員に成って欲しい」そんな判断で福音を伝える前に、人をふるいにかけているのではないでしょうか?
バプテスマを受けるかどうかは、本来聖霊の働きによるものです。その人がバプテスマを受けるかどうかは、その人と聖霊の働きによって決まるものではないでしょうか?
NJさんは、服を買うのに試着しないで買うのでしょうか?
モルモンの福音や教義、信仰生活を知るには、バプテスマを受けて会員に成らないと分からない事がたくさん有ります。神権の行使や神殿の儀式など、求道者の状態で理解できるのでしょうか?
私は、誰でも、望む人が、一人でも多くバプテスマを受け、神権や聖霊の賜物、神殿の儀式を経験し、その上で、会員として残るか否かを決めれば良いと思います。
ただ、その障害に成るのが「バプテスマを受けた後教会を離れるのが罪になる」と言う考え方です。
しかし、NJさんも認めてられる様に、その考えは今では会員もあまり強く持たなくなっています。
だったら、敷居を低くして、多くの人に一度会員を経験してもらって、その上で残るかどうかを判断してもらえば良いのではないでしょうか?
定着率にこだわるのは、現在の会員のエゴと傲慢です。
一つは、自分達の仕事を増やしたくない。
もう一つは、自分達は救われるが、世間の多くの人はそうではない。
この二つの思いが、根底に有って、定着率にこだわるのだと思います。
お休み会員が増える事よりも、現世で福音を聞く機会の無い人が増える事のほうが、よほど重大な問題です。
このサイトはまさにその「拙速伝道」をガテマラで見た宣教師が良心を痛めなんとか中央幹部にその現状を訴えようと努力したブログ管理者自身の体験から始まっています。
NJさんの引用元から辿って初めて知ったのですがここのポッドキャストは本当に興味深いです。
2年前に休止しているのですが、モルモンの識者(会員とは限らない)たちへのインタビューは実に聞き応えがあります。
豚さん、
「全ての人に福音を」のコメントありがとうございます。マルコ16:15にありますね。BofMには階層によって礼拝に参加するのを拒んではならないとあります。とにかく福音を伝えること(招くこと)、誰に伝えるか選別してはならないことについて、ご指摘の通りです。
日本のキリスト教会(またモルモン教会)のある意味限界(あるいは傲慢)をついていると思います。
ただ、会員になって味わってもらう必要がある、それから留まるか去るかを決めてもらえばよい、という点にひっかかります。招かれる者は多いが選ばれる者は少ない、あるいは種が播かれても根をおろすとは限らない、ので会員にならない人も多くいるわけです。イエスが譬えで語られたのは、聞く過程で選別される場合を含意していると思われます。関心のない人、理解を示さない人には次を語れないのではないでしょうか。
また、聖典にはバプテスマを受ける資格について記されています。悔い改めにふさわしい実を結んだ者、教会員の前にそのことを示した者などの記載があります。カトリック教会では1年の学びの後に洗礼式が行われる、プロテスタントでも少なくとも3か月くらいの求道生活を経て洗礼が行われる、と最近大阪の教会を訪ねて知りました。
>現世で福音を聞く機会の無い人が増える事のほうが、よほど重大な問題です。
この最後の点、理にかなった指摘だと思います。ただ、豚さんの厳しい指摘は理解できますが、考え方(理屈)が急速に進化し(試論としては興味あり)一部極論化しているような印象を受けます。
p.s. 豚さんの今回のコメントは、「一時的にせよこれだけ大勢の日本人がモルモン教に興味を示し加入したことは注目に値する」と述べていたアメリカ人の学者の言葉に通じるところがあります。(当ブログ'07/6/27 「日本のモルモン教徒に関連して注目した言葉」2。)
しかし、半年も一年も教義の勉強をしないとバプテスマが受けられない、と言うのも疑問を感じます。
それでは、「聖典の内容や教義を理解する能力が無いとキリストの救いに預かれない」と言う事に成ります。
一般の教会でも、少なくとも「キリストへの信仰により救われる」と教えてるのではないでしょうか?
モルモンはそれに加えて、聖霊の賜物、神権の儀式等、教会に入らないと受ける事が出来ない、救いに必要な事柄がいくつも有ります。
NJさんの提唱する方法は、入試が難しい日本の大学みたいなものですね。
つまり、「一定レベルの人意外は入ってくるな!」って言ってるわけです。
「モルモンは一般的には守りにくい戒めがあって、よほどの人で無いと会員として生きていけないから、それが出来る人だけが、バプテスマを受けて欲しい。」
と言う傲慢です。
その思いの続きには。
「私はモルモンとしてやっていけるけど、あなたは無理でしょ・・・。」って事ですよね。
「ここは一流の大学ですから、入るのは難しいんですよ。」って、今居るモルモンだって、そんなにたいした事内じゃ無いですか?
入りたいって人は、全部入れてあげればいいんですよ。それで、色々やってみて、辞めたいと思えば退会すれば良いんです。
ジョセフスミスの時代から、教会を去る事は罪であり、「背教者は地獄に落ちる」って言う教えに未だに縛られているから、「会員として付いて来れない人は入らないほうが良い」って思考が生まれるのではないでしょうか?
大学でも、重要なのは、入ってから一生懸命勉強して立派に卒業する事でしょ?
いくら入試が難しくても、入ってから遊んでたのでは意味が無いじゃ無いですか。
私は、伝道部長の成績を上げるための、「パプテスマの数至上主義」を奨励する気は有りませんが、同時に、求道者を見て「この人は良い会員(自分たちに利益になる会員)だろうか?」と思う気持ちも反省すべきだと思います。
ま、役員の方は、戦力が増えて、お荷物が少ない方が嬉しいのは分かりますけどね。
151eさんのサイトからiTunesを知って音楽を聞いていましたが、Podcastsにこのようなものがあるのを知りませんでした。Archiveを見ただけですが、この中に入っていたのですね。寝不足になる理由がわかります。聞いてみたい名前が目白押しです。「お気に入り」に早速加えました。日本でも高齢化する先達たちのなまの声をインタビューして保存、研究の用に供することができればよいのにと思います。
早速先ほどJohn Dehlin さんの話を聞きました。溜息をつきながら語る、驚くべき内容にあきれ、考え込んでしまいました。これも要約記事をいずれ掲載したいと思っています。
>もし監督がバプテスマを承認しなければならなくなれば、数字を追うことからくる問題は解決する。
拒否権を仮に監督に与えても変わらないでしょうね
しかも普通、監督は宣教師の肩を持つわけですから拒否することはまずありえません
拒否権があるためには承認権もなければいけませんし
その行使権は宣教師にありますから
本来宣教師はふさわしくない求道者には拒否権も行使しなければいけません
しかしこれがなされていないから起こりうる問題が現実に起きているのでしょうが
問題の本質はそのようなふさわしくない改宗者が一部教会に残り
ふさわしくないまま結婚をしふさわしくないまま家庭を築き
ふさわしくない宣教師が育ちまたふさわしくない求道者を捜し求めて放浪する
という悪循環があるかと思います
冗談はさておいて、カルロスさんへ。昔山口県徳山ワードで一時面接権が地元教会側に譲られたことがありました。しかし、よほどしっかりした理念と覚悟、方針の周知、そして経験がないと「状況は変わらないだろう」と私も思います。
というのは、候補者が信仰、悔い改め、バプテスマを受ける希望について聞かれて、みな「はい」と答えると、本当はまだ早すぎると思っていても拒めない境地に追い込まれて許可したことがありました。
スポーツのクラブに所属する高校生は、しかし、すぐに来なくなってしまいました。
実現性は現在乏しいものの面接権は地元の教会側が持つべきものと私は考えています。Helmutさんは別人。