9 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 聖書に拘束されないキリスト教 (オムナイ) 2022-03-24 13:53:03 >しかし、真理(本当にあったこと)として受け入れるか、そうかもしれないとその可能性を認める程度に受けとめるかは、各自の判断に委ねられるのではないだろうか。可能性を否定しても受け入れられる。事もある。とうことでしょうか。鰯の頭も信心から、よろしく。改宗者、2世,3世ならずとも信仰のはじめの一歩は「本当にあったこと」として認識しますからね。でなければ入信しないでしょうし。末日聖典は聖書そのものに拘束されない。真理へのアプローチが自由。そもそも文章や字面に拘束される思想は窮屈。。なんて言ってみる。 返信する 布教する側の責任大 (NJ) 2022-03-24 18:07:15 >でなければ入信しない この点が重要なのですね。特にキリスト教を文化的背景に持たない国の人が改宗する時に言えると思います。布教する側の責任は大きいと思います。 返信する どうでも良い話かもしれないけど (豚) 2022-03-24 18:28:42 旧約聖書の天地創造神話と、モーセ書アブラハム書の創造神話とを比べて、どっちがどうとか考えてみても結論が出ない話でして、たぶんどちらが真実か?等と考えることは無意味でしょう。モーセ書アブラハム書は、モルモンの根本教義の一つである、「救いの計画」には不可欠な内容が入ってますので、モルモンの教義の裏付けとしては、モーセ書アブラハム書は欠かせないものになります。しかし、いつも不思議に思うのは、神殿の中で語られる「天地創造神話」が、旧約聖書に近い事ですね。神殿での創造神話では、モーセ書アブラハム書の匂いがあまりしないのはどうしてなんでしょう?天上の大会議の場面が出てこない。エキストラが足りなかったのかな?? 返信する 神話から汲み取る幸福 (オムナイ) 2022-03-24 19:39:25 >いつも不思議に思うのは、神殿の中で語られる「天地創造神話」が、旧約聖書に近い事ですね。そかな。けっこう最初はぶっ飛びましたwそか、ペテロ・ヤコブ・ヨハネがねー。へー。ルシファーと。。まぁ、象徴的にということなのか。>エキストラが足りなかったのかな??さすが!僕らも天地創造のエキストラ。人間はいや霊はすべからく尊い。そう認識できれば儀式は成功なのでしょうね。 返信する shortest response (NJ) 2022-03-24 23:13:09 そだねー 返信する Paradise Lost (エニグマ) 2022-03-25 08:23:05 しばしば語られることですが・・・、天上の大会議でルシフェルにつくものが神に反乱を起こして追放され、その後、人類を誘惑する存在となって、人と神と引き離そうとしている・・・このモルモン教義ですが、これってミルトンの「失楽園(Paradise Lost )」そっくりなんですね。『高等批評で読むモルモン書(教義?)』みたいな発表会をするのでしたら、ぜひ取り上げて欲しいテーマです。 返信する 興味あるintertextuality (NJ) 2022-03-25 10:27:27 是非、どなたかが取り上げて欲しいテーマですね。提案に感謝致します。(探り始めます)。 返信する 創世物語りの比較 (NJ) 2022-03-25 10:31:51 豚師匠へエンダウメントにおける創世の物語と他のバージョンとの比較をした記事がありました。探して、どう書いていたか見てみたいと思います。 返信する Unknown (Unknown) 2022-04-24 12:06:48 >「モーセ書」(高価な真珠)を新しい目で見る新しいも何も書いてあることそのまま信じて不都合あるんか?逆に古い目って何よ?新しい目って何で必要なのよ?新しい目って何よ?むしろ爺の腐ったヘドロみたいな脳味噌交換すべきじゃね? 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
可能性を否定しても受け入れられる。事もある。
とうことでしょうか。
鰯の頭も信心から、よろしく。
改宗者、2世,3世ならずとも信仰のはじめの一歩は「本当にあったこと」として認識しますからね。
でなければ入信しないでしょうし。
末日聖典は聖書そのものに拘束されない。
真理へのアプローチが自由。
そもそも文章や字面に拘束される思想は窮屈。。なんて言ってみる。
この点が重要なのですね。特にキリスト教を文化的背景に持たない国の人が改宗する時に言えると思います。布教する側の責任は大きいと思います。
モーセ書アブラハム書は、モルモンの根本教義の一つである、「救いの計画」には不可欠な内容が入ってますので、モルモンの教義の裏付けとしては、モーセ書アブラハム書は欠かせないものになります。
しかし、いつも不思議に思うのは、神殿の中で語られる「天地創造神話」が、旧約聖書に近い事ですね。
神殿での創造神話では、モーセ書アブラハム書の匂いがあまりしないのはどうしてなんでしょう?
天上の大会議の場面が出てこない。
エキストラが足りなかったのかな??
そかな。
けっこう最初はぶっ飛びましたw
そか、ペテロ・ヤコブ・ヨハネがねー。へー。ルシファーと。。
まぁ、象徴的にということなのか。
>エキストラが足りなかったのかな??
さすが!
僕らも天地創造のエキストラ。
人間はいや霊はすべからく尊い。
そう認識できれば儀式は成功なのでしょうね。
『高等批評で読むモルモン書(教義?)』みたいな発表会をするのでしたら、ぜひ取り上げて欲しいテーマです。
エンダウメントにおける創世の物語と他のバージョンとの比較をした記事がありました。探して、どう書いていたか見てみたいと思います。
新しいも何も書いてあること
そのまま信じて不都合あるんか?
逆に古い目って何よ?
新しい目って何で必要なのよ?
新しい目って何よ?
むしろ爺の腐ったヘドロみたいな脳味噌交換すべきじゃね?