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亡くなられたんですね・・・・ (たまWEB)
2013-11-22 09:28:34
”Re(1):CHOI訳ーーーーpART15 NJWindow - 2008/11/13 07:16  NJWindow    > このchakaちゃん、E氏そして「長い府中の雨」の著者東竜氏は同一人なんでしょうか??
chakaさんとは何度か昔会っていて知己のひとりです。(翻訳業で同業であった。)下の人物とは異なります。
E氏と東竜氏は同一人物と見てよいでしょう。E氏がgaryooに接触した(ネット上)とは驚きです。というのは小生より干支で一回り年上のはずですから。(E氏とはほぼ確実に「え○も○」さんのこと)。

たまWEB、ブログ書き始め頃、コテツさんよりのコメントで、”Unknown (コテツ) 2011-10-02 06:10:15  たまWEBさん  E氏とは時々、手紙等でやりとりするのみですね。だから彼の現状についてそんなに知ってるわけではありません。”、”Unknown (コテツ) 2011-08-21 21:02:10  E氏は最近、高齢になるにつれて体調が余り良くないようです。少し前は入院されてましたが、多分いまは退院してとりあえず元気にされてると思います。”と、E氏についてありました時、大阪?まで出かけ会ってみるべく、コテツさんにコンタクトとって聞いてみようかとも思ったんでしたが、いまいち、軽~い感じのたまWEB、できなかったですかぁぁ・・・・今年、虫の知らせだったんでしょう、5月頃だったか、ふと、E氏のことで思い浮かべた記憶が。

この11月になって、この記事を書かれたのは何か理由が??お葬式には、どなたか行かれたんでしょうか??

たまWEB、「やっぱりですねぇぇ、まぁ、2007、8年くらいから、足掛け6年にもなるんですかぁぁ、足ののろいたまWEB、常にではありませんでしたが、あの、三億円事件のE氏が、いみじくも言っていた、”教会奥の院にある闇”にですね、何らかの、光をあてようとして来てですか、やはり、このブリガムの2面性みたいなのがですねぇ、或いは、ブリガムたちというべきでしょうね、このへんに、秘密が隠されてるのかもしれませんねぇというのが、非力ながらのたまWEBの、目下の到達点みたいなもんでしょうかぁぁぁ・・・・  2012-11-16 12:02:33 」などと、三億円については、泉掲示板に端を発した流れだったんでしょうか、書いたりし、越本Bの顕彰とまでは至りませんが、その流れを勝手に引き継いだり?して、いろいろ、書けて来て、たいへん、光栄なことであったのだと思ったりします。
 
 
 
同上 (たまWEB)
2013-11-22 09:32:17
どうもです、たまWEBです。えぇぇと、モルモンの泉掲示板の時には、E氏こと、え○も○氏といったコメントいただきました。どうもです。 越本(えちもと)兄弟と、お呼び(読み)する方だったんですね。

最初、出だし、抜けました、恥ずかしやぁぁ・・・
 
 
 
あづまりゅう氏の死を悼む (沼野)
2013-11-22 22:33:11
訃報がこんなに遅れたのは、親しくしていた田中(美)兄弟や私が彼と連絡が取りにくくなっていたためです。奥さんが言語障害を負っている方で訪ねていくにも意思の疎通が困難でした。

昨年田中兄弟が電話した時は本人が出て少し話すことができました。弱っている様子だったので、高槻に住む私が12月に訪ねましたが、ようやく少し言葉を交わすことができる状態でした。

人がたどる道とは言え、知友をこのように失うのは心が痛むことです。彼の冥福を祈ります。
 
 
 
あ、どうもです。 (たまWEB)
2013-11-23 10:16:03
沼野先生と真木さんという方が、最も近しい友人みたいなことが、著書(長い府中・・)にありますですもんね。
いやぁぁ、日本末日聖徒教会の裏面史ですよねぇ。当時、インターネットありませんでしたし、情報も偏ってて、裁判も本来ならやり直しでしょうと思うんですが。彼を悪く言った人たちも、まぁ、某七十人たちの権威の前では、やむなしだったんでしょうか、教会の上にならえの因習が、はたまた、今もその見解は変らないものなのか、”過ちては則ち改むるに憚ること勿れ”ともあるわけですが・・・・

「E氏の執念は実ってもう一人のYが発見されます。その人物は当時神奈川県警の警官であったSと言う人物でした。」
http://garyo.or.tv/bbs/wforum.cgi?pastlog=0004&no=2137&act=past&mode=allread
とあって、どのようにして見つけたのか、たまWEB、興味深く思え、聞けるものなら、聞いてみたかったと。何かご存知では??

阿弥陀 キリスト
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80++%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
景教 阿弥陀 佐伯好朗
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%99%AF%E6%95%99++%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80++%E4%BD%90%E4%BC%AF%E5%A5%BD%E6%9C%97&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
神奈川県警 cia
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E8%AD%A6+cia&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

すみません、自分のブログに書くべきようなところを・・・・
 
 
 
情報源に感謝 (沼野)
2013-11-23 21:30:25
四つの項目について情報源を記していただいてありがとうございます。

私は「阿弥陀 キリスト」「景教 阿弥陀」に関心を覚えます。竹村一男氏も景教、真言新宗に言及し、両者の関係を示唆していました。

また時折り訪ねさせていただきます。
 
 
 
同じ四足なら? ()
2013-11-26 11:10:00
「同じ四足なら、馬も豚も一緒だ!」って言えば、世間の笑いものになる。
 下記の文章もそのたぐいだ。
 小説だからまだ許せるが、妄想とこじつけに過ぎない発想でしかない。
 釈迦とイエスは、年代も地域も違う明らかに別人だ。
 親しかった故人を偲ぶのは理解できるが、学者としての見識も保って欲しいものだと思います。

「気付く」と「思い込む」は違う!
 モルモン発のトンでも本には懲りてるはずなのに・・。



「阿弥陀」は梵語(サンスクリット)でアミターユス、漢訳で「無量寿」それにアミターバ、漢訳「無量光」の合成音訳漢語で、その意は「永遠にして齢のはじめなく終りなき者、またはさえぎるものなき光」であることから、越本氏はイエス・キリストを指し阿弥陀如来の住むとされる西方はパレスチナを指すと気付いて、彼の持論を展開し小説釈迦伝「異邦の予言者」を執筆することになる。
 
 
 
整理(make things straight) (沼野)
2013-11-27 18:45:12
上のコメントの「下記の文章」がどこからきたのか、誰の言葉なのか不明です。ともあれ越本氏の著は、紀元前5,6世紀の釈迦が西方の阿弥陀仏は紀元前後に生まれるイエス・キリストの出現で実現する、と見た(著者越本氏の考え)ことを伝えています。

釈迦はそのようなことを予見する異邦の予言者と描かれているのです。(釈迦=キリストではありません。)

なお、関連して新しい記事を掲載しました。

(何度も申し上げていますが、コメントの言葉遣いに気を付けていただけますでしょうか。断言的言辞、決めつけるような表現は礼を失していて不愉快です。他者への尊重が不足していると言わざるを得ません。)
 
 
 
???? ()
2013-11-29 11:00:32
>上のコメントの「下記の文章」がどこからきたのか、誰の言葉なのか不明です。

このスレッドに書いて有りますよ。
たぶん書いたのは、NJさんかと?

>紀元前5,6世紀の釈迦が西方の阿弥陀仏は紀元前後に生まれるイエス・キリストの出現で実現する、と見た(著者越本氏の考え)ことを伝えています。

考古学的な碑文に阿弥陀仏が出現したのが、紀元後2世紀の終わりごろで、そこから推測しても、阿弥陀仏信仰の始まりは、紀元後1~2世紀だと思われます。
経典に阿弥陀仏が現れるもの、紀元後1世紀以後です。

キリスト教の思想が阿弥陀仏に影響を与えた可能性は有っても、阿弥陀仏がキリストになって現れる可能性は有りません。

仏教をほとんど知らない豚でも、少し調べればそれぐらいの事は分かります。

NJさんは、誰がどう言った、とか、誰がどう書いている。を根拠に話される事が多いですが、その話や書物の裏づけを取る必要が有るのではないですか?

その人が、思いつきで書いたのか、きちんとした調査をして書いたのかを見極める事が必要かと思います。

思いつきや憶測は、確認の方法が有りませんが、物証は客観的に確認できます。

私がここに書いた事も、「碑文」であり、「経典」ですので、誰でも客観的に確認が出来ます。
私は、自分の言い分が全て正しいとは思って居ません。多くの間違いも有ります。

ただ、わたしの言ってる事の間違いは、検証が可能です。検証してみてください。
 
 
 
論理を持ち込むのは註解者 (沼野)
2013-11-29 16:17:36
豚さんの11/26日コメント「下記の文章」は、そのすぐ次の行「小説だから・・はずなのに」と思ったので尋ねたのです。7行離れた末尾の文「阿弥陀は・・ことになる」は私の文です。このことに関して、参考までにあげたものと受けとめました。

「阿弥陀信仰」の起こり、あるいは時期について豚さんの指摘で賢くなりました。さすが仏教に詳しい論客に援けられました。

越本氏は寺の家に生まれ、仏教に断然詳しかったわけですから、彼のかの作品の内容について私は信頼をおいて読んでいました。

時代錯誤的な則面は私がブログの方で追って11/27日に掲載した通りで、「それはあり得ない」と否定すべき性質の問題ではなく、信じる者の到達した考えを尊重すべきものと考えます。lds信仰ならアダムもバプテスマを受けた、など信仰の世界には多く同種の例が見られると思います。
 
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