10 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 あるある (豚) 2011-06-23 16:10:28 宴会で遅くなったおっちゃんが、寿司を買って帰るようなもんですね。 返信する それは補償する側 (NJ) 2011-06-23 17:34:27 家で待つ奥さんの機嫌を取るために、気持ちを和らげるために。私が書いたのは、何か被害を受けたような気がして求めている補償であり、もう少し重いものと感じています。(執念深い?!) 返信する Unknown (喪黒さん) 2011-06-26 05:55:17 あなたの 心の隙間 お埋めします。ただその埋め合わせをして満足するのは自分だけ…なんですけどね 返信する 真面目だった学生 (豚) 2011-06-27 09:43:02 >1 私の経験は日本の最初の大学時代に遡る。・・・の部分を読んで、なんか私には良い気分じゃ無かったので、一言文句を書きます。まず、大学の教授と言うのは、何が仕事か?なにをして金をもらっているのか?それは、「自分の研究」と、「学問の伝達」じゃないですか?もし自分の研究だけをしたかったら、自分で金を出してやればいいんです。生活費は道路工事のアルバイトでも稼げるわけです。しかし、生活費を得る手段として、「学生を教える」と言う労働を選んだんじゃないですか?それなら、学生の資質に文句を言うのはおかしです。私も大学には行きましたが、そんなに研究熱心な学生ではなかった。真面目な学生、熱心な学生が少ないと言うのは、あたりまえの事で、もしそんな学生しか大学に行かなかったら、NJさん自体が、大学教授と言う仕事に就けなかったかもしれません。どうでも良いような学生がたくさん居るから、大学教授もその数だけ必要なんでしょ!どうでも良いような学生の授業料で自分の生活が成り立っていたって事に気がつかないんでしょうか?私は、仕事をしながら大学に行っていましたので、単位を取得する講義に出るのが精一杯で、研究室で何かの研究をするなんて余裕はとても無かったです。しかし、大学と言うところで得たものは少なくは無かった、と思っています。教える側に「教えがいや喜び」があるのと同じように、学ぶ側にも「学びがいや楽しみ」が有るんです。「くだらない学生しか居ない・・・」って思いながら教えるのなら、教わる側も迷惑です。そんな教授なんてさっさと辞めて欲しい!自分の研究の穴埋めに、教鞭をとるのなら、あなたのやっている授業は、酔っ払いのおっさんが買って帰る寿司よりまずい! 返信する 文句ごもっとも (NJ) 2011-06-28 07:28:39 言われるように大学教員の本分は、「教育と研究」です。また、大学の大衆化で私のような普通の人間にも高等教育の社会で教職に就く機会がめぐってきました。子供たちを大学にやりたい世の親たちのおかげで生活が成り立っていることも承知しています。(気づき始めたのは1980年に山口県の私学に勤めて間もなくのことでした。)> 「くだらない学生しか居ない・・・」って思いながら教えるのなら、教わる側も迷惑です。鋭い指摘です。その通りです。反省しなければなりません。しかし、3つの教育機関を経験していくうちに現実を受け入れてそのような学生に丁寧に接するように、適した内容を適した方法で授業できるように努めるようになりました。奉仕、サービスの精神を念頭において対応するよう努力してきたつもりです。その過程で、ひとりの人間でもある私は「埋め合わせ」を必要としていたのでしょう。継続してこの「労働」に携わるために。(なお、ここ中国の後発私学には研究の部分が欠如しています。雰囲気も機会もほとんど目にとまらない。まだ中国全般でもそうなのかもしれません。) 返信する 衣食足りて研究を知る? (豚) 2011-06-28 13:56:38 >なお、ここ中国の後発私学には研究の部分が欠如しています。雰囲気も機会もほとんど目にとまらない。まだ中国全般でもそうなのかもしれません。研究と言うのは、学問が有って、それから先の事ではないでしょうか?http://yangjin.jp/yume/index.html 返信する 一般教育の基礎 (NJ) 2011-06-28 14:30:22 提示されたサイト、拝見しました。私は涙腺が緩んですぐ涙があふれてしまいます。上のコメントで「学問」というのは「基本的な一般教育」とでも言いかえることができると思います。・・普通は研究と学問は切り離せない、ほぼ同義語と言えると思います。 返信する 大阪のおばちゃん (豚) 2011-06-30 14:21:10 >私は涙腺が緩んですぐ涙があふれてしまいます。このチベット出身で、現在吹田の南千里に住んでいるこのおばちゃんの話を聞くと、涙より笑いの方が多いです。吉本か?って思うほど笑えますよ。その様な講演とコンサートなどの活動で、このおばちゃんは、故郷のチベットに9つの小学校と3つの中学校を作ったそうです。現在進行形です。(政治的に微妙な地域の話ですので、これぐらいに留めておきますが)間に合わないと思いますが、今度茨木でもコンサートをするようです。一流の素晴らしい歌声と、一流の面白い話のギャップが実に良いですよ。チベットの言葉と、中国語と、日本語と大阪弁、後は歌曲を歌う関係で、ドイツ語、フランス語、イタリヤ語、もこなすとか・・・。もう少し早くそっちに行ってたら、NJさんの生徒になったかも?(笑)残念! 返信する そうなんですか (NJ) 2011-07-01 19:23:16 私が生徒にならな!(もうすぐtwitter, facebookの世界にもどる。今のままでもいい気もするけれど。中国を去るのも寂しい私) 返信する 「いつか見返してやる」 (NJ) 2012-07-09 22:16:29 昨日日曜学校で、「今に見返してやる」「今に見ておれ」といった気持ちが自分を奮い立たせてくれ、努力を継続するエネルギーとなる、と前大祭司グループリーダーが意見を述べた。(大阪北ステーク、高槻ワード)。相手を追い越してみせる、言われたことを実行・実現して成功し「どうだ」と言えるようにしたい、という心理である。これは、「埋め合わせの心理」と共通するもので、それをもっと強くした気持ちであると言える。この問題、もう少し深めてまとめてみたいと思っている。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
私が書いたのは、何か被害を受けたような気がして求めている補償であり、もう少し重いものと感じています。(執念深い?!)
ただその埋め合わせをして満足するのは
自分だけ…なんですけどね
の部分を読んで、なんか私には良い気分じゃ無かったので、一言文句を書きます。
まず、大学の教授と言うのは、何が仕事か?なにをして金をもらっているのか?
それは、「自分の研究」と、「学問の伝達」じゃないですか?
もし自分の研究だけをしたかったら、自分で金を出してやればいいんです。生活費は道路工事のアルバイトでも稼げるわけです。
しかし、生活費を得る手段として、「学生を教える」と言う労働を選んだんじゃないですか?
それなら、学生の資質に文句を言うのはおかしです。
私も大学には行きましたが、そんなに研究熱心な学生ではなかった。
真面目な学生、熱心な学生が少ないと言うのは、あたりまえの事で、もしそんな学生しか大学に行かなかったら、NJさん自体が、大学教授と言う仕事に就けなかったかもしれません。
どうでも良いような学生がたくさん居るから、大学教授もその数だけ必要なんでしょ!
どうでも良いような学生の授業料で自分の生活が成り立っていたって事に気がつかないんでしょうか?
私は、仕事をしながら大学に行っていましたので、単位を取得する講義に出るのが精一杯で、研究室で何かの研究をするなんて余裕はとても無かったです。
しかし、大学と言うところで得たものは少なくは無かった、と思っています。
教える側に「教えがいや喜び」があるのと同じように、学ぶ側にも「学びがいや楽しみ」が有るんです。
「くだらない学生しか居ない・・・」って思いながら教えるのなら、教わる側も迷惑です。
そんな教授なんてさっさと辞めて欲しい!
自分の研究の穴埋めに、教鞭をとるのなら、あなたのやっている授業は、酔っ払いのおっさんが買って帰る寿司よりまずい!
子供たちを大学にやりたい世の親たちのおかげで生活が成り立っていることも承知しています。(気づき始めたのは1980年に山口県の私学に勤めて間もなくのことでした。)
> 「くだらない学生しか居ない・・・」って思いながら教えるのなら、教わる側も迷惑です。
鋭い指摘です。その通りです。反省しなければなりません。しかし、3つの教育機関を経験していくうちに現実を受け入れてそのような学生に丁寧に接するように、適した内容を適した方法で授業できるように努めるようになりました。奉仕、サービスの精神を念頭において対応するよう努力してきたつもりです。
その過程で、ひとりの人間でもある私は「埋め合わせ」を必要としていたのでしょう。継続してこの「労働」に携わるために。
(なお、ここ中国の後発私学には研究の部分が欠如しています。雰囲気も機会もほとんど目にとまらない。まだ中国全般でもそうなのかもしれません。)
研究と言うのは、学問が有って、それから先の事ではないでしょうか?
http://yangjin.jp/yume/index.html
上のコメントで「学問」というのは「基本的な一般教育」とでも言いかえることができると思います。・・普通は研究と学問は切り離せない、ほぼ同義語と言えると思います。
このチベット出身で、現在吹田の南千里に住んでいるこのおばちゃんの話を聞くと、涙より笑いの方が多いです。吉本か?って思うほど笑えますよ。
その様な講演とコンサートなどの活動で、このおばちゃんは、故郷のチベットに9つの小学校と3つの中学校を作ったそうです。現在進行形です。
(政治的に微妙な地域の話ですので、これぐらいに留めておきますが)
間に合わないと思いますが、今度茨木でもコンサートをするようです。
一流の素晴らしい歌声と、一流の面白い話のギャップが実に良いですよ。
チベットの言葉と、中国語と、日本語と大阪弁、後は歌曲を歌う関係で、ドイツ語、フランス語、イタリヤ語、もこなすとか・・・。
もう少し早くそっちに行ってたら、NJさんの生徒になったかも?(笑)残念!
(もうすぐtwitter, facebookの世界にもどる。今のままでもいい気もするけれど。中国を去るのも寂しい私)
これは、「埋め合わせの心理」と共通するもので、それをもっと強くした気持ちであると言える。この問題、もう少し深めてまとめてみたいと思っている。