15 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 2人または3人の証人どころか (オムナイ) 2021-08-11 08:22:45 色々な訳があると誤解を回避できるのだろうな?あるいは古文的な表現、差別表現を更新する。無限とも思える訳必要なの?とと思ってました。人類に対する聖書の影響力すざましい。biblestudytools.com便利です。 返信する ごもっとも (NJ) 2021-08-11 10:15:06 3行目、なるほど。ごもっともな感想だと思います。 返信する 字幕softとかって?? (たまWEB) 2021-08-14 14:11:59 https://www.youtube.com/watch?v=oxidgOPpAxM中央幹部でも金銭となると目がない、好き好き人間の本性がって?! 返信する 最も正確な書物 (豚) 2021-08-16 14:57:07 最近の装置、計測器などはタッチパネルが多くなり、操作方法が分かりにくくて困る。タッチパネルはまだ全容が分かりやすいが、数個のボタンの組み合わせで操作するものは、さらに厄介だ。そこで頼りにするのが、「取扱説明書」通称「取説」なのだが、これがまた難解で扱いにくい。今必要な操作方法がどこに書いてあるのかを探すだけで時間がかかる。そこで短気な豚は、メーカーに電話をかけて聞くことに成る。 普通のメーカーはそれなりに分かるように教えてくれる。不思議な事に、何度やっても上手く動かなかったものが、説明どおりにやるとうまく動く。そこで、豚は必ずこう質問する「それは取説のどこに書いてありますか?」良いメーカーは、書いてある箇所をすぐに教えてくれる。 ただ、ひどい時には「それは取説には書いてません」等と平気で返事が返ってくる。聖典と言うのは、その宗教の「取説」なのだと思うが、この聖典と言う取説は実にいい加減なもので、平気で「それは書いてない」とか「その解釈は人によって違う」とか言ってくれる。挙句の果ては、「自分で理解しろ」とか「その辺のことは誰も解らない」と言う始末。最近悟ったことは、聖典を取説だと思ってるのが間違いじゃないだろうか?聖典って、広告チラシなんじゃないだろうか?ただ、それにしては分厚い。 返信する こういうのもアリ? (好奇心) 2021-08-17 00:46:18 聖書も映像で観る時代なのですかねぇ。日曜日の午後なんかにずっと流していたい気がする・・・LUMO マタイの福音書https://www.youtube.com/watch?v=s44IDy3emkILUMO マルコの福音書https://www.youtube.com/watch?v=YsAkNmbxc4ULUMO ルカの福音書https://www.youtube.com/watch?v=joqnK7A9dQMLUMO ヨハネの福音書https://www.youtube.com/watch?v=fhAfypcxQ8Qしかしこの映像よくできているなぁ、すごいお金をかけて作っているのでしょうね。 返信する 取説は面倒 (Wです) 2021-08-17 23:04:50 「取説」私は仕事柄、自分が設計した機械の取説を作ることもあるのだが、これが大嫌いなんだよなークソ面倒くさい。機械の操作やトラブル対応なんて文字で表すのはメチャ面倒くさい文字、言葉というのは実に不自由なものだと思うよ今はパソコンで打ち込むのだが、昔に記録を残すなんてメチャメチャ面倒な作業だろうなー書きたいことの数十分の一も書けないだろうな 返信する Re;取説は面倒 (オムナイ) 2021-08-18 04:30:50 一時「取説」作成専門会社ってのが流行りましたね。万人にわかりやすい取説は難しい。家電とかだと読みませんが、ニトリの組み立て家具だと広げて、ワンステップずつ読みながら組み立てます。イケアの取説よくできてますね。しかし、聖典が取説だとすると何故にあんなに解釈が異なるのでしょう? 返信する 文語調もイイですよ (エニグマ) 2021-08-18 09:31:20 聖典に対する考え方はいろいろあるでしょうが、私が以前、教会内の友人と話していて気づいたのが「暗唱しやすい文章かどうか」が大切であるということ。いかに正確に翻訳されて言うても文章が生硬で読みにくければ頭に入らない。すると読み進めようという意欲も低下し、記憶に残らない。なので、やはりスラスラとそらんじることができるような文体で合って欲しい。しかし、それでは元の文章の正確さは失われてしまうのではないか、という意見もあると思いますが、そこはきちんと勉強した方々が聖文の本来の意味を解説していけばよいのではないか、と。そう言えば、日本聖書協会による教会共同訳についても、ミサなどで読み上げるときに品格のある文章であって欲しいという要望があり、その点は考慮したと聞いています。聖餐の祝福を依頼されることがしばしばありますが、以前の祝福の言葉のほうが良かったと個人的には思います。教義と聖約についても、昔の文語調の翻訳は分かりにくかったという意見があり、それはそうなのですが、暗唱するのにあの文体はとても良かった。今でも、教義と聖約の一説を諳んじるのはあの文体なのです。 『見よ、召さるる者は多けれど選ばれる者は少なし』とか。とは言っても、私は『モルモン書は創作派』なので、まぁどっちでも良いいちゃぁ良いのですが・・・(笑) 返信する 聖書を取説にして生きてる人 (豚) 2021-08-18 14:57:18 >しかし、聖典が取説だとすると何故にあんなに解釈が異なるのでしょう?それは、正典は「取説」ではないからです。ところがそれを勘違いして、聖典を取説にしてる人が居る。そういう人は、なんせ取説だから隅々まで細かく読んで、使いこなそうとする。聖典を自分の人生の取説にしてるだけなら良いけど、そう言うう人は、他の人間も皆その取説で動かそうとするから困る。聖典にこう書いてあるからこうしなさい・・・って他人に押し付けて来る。そういう人は、聖典が変わると言う事も変ってくる困ったものだ。じゃあ、聖典って何?豚的には、「問題集」かな?難問が多くて答えが見つからないけど。 返信する 分かる! (エニグマ) 2021-08-18 15:27:19 >聖典を自分の人生の取説にしてるだけなら良いけど、そう言うう人は、他の人間も皆その取説で動かそうとするから困る。>聖典にこう書いてあるからこうしなさい・・・って他人に押し付けて来る。いますね、そういう人。 返信する Re;聖書を取説にして生きてる人 (オムナイ) 2021-08-19 18:00:44 >豚的には、「問題集」かな?なるほどですね。ーーーカノンとは 悩める民の過去問集----豚の弟子---考えてみれば旧約・新約・モルモン書すべて敗者の歴史。。反面教師的に参考にするのが正解かも。 返信する ”大化改新の真相は大阪大戦だった” (たまWEB) 2021-08-20 08:55:01 加治木説の継承・研究者としてオムナイ先生! 一発よろちくの程を・・・白村江の大阪淀川だった・・加治木 義博 白村江 大阪https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%20%E7%BE%A9%E5%8D%9A%20%E7%99%BD%E6%9D%91%E6%B1%9F%20%E5%A4%A7%E9%98%AA&ei=UTF-8http://matmkanehara.blogspot.com/2010/ 返信する Re; ”大化改新の真相は大阪大戦だった” (オムナイ) 2021-08-20 15:44:34 >加治木説の継承・研究者としてオムナイ先生! 一発よろちくの程を・・・えーwわたくし、薩摩以外の日本史は小学生レベルです。>加治木 義博 白村江 大阪ノストラダムスの本が売れたとか。そういうのに関わったら、もう研究者とは言えないでしょう。真面目に大化改新は語れないかと。鹿児島に加治木という地域がありますから、おそらくペンネームなんでしょうね。蜘蛛合戦で有名でした。無事故(645)で終わる大化の改新。。645年ですね。実際は革命ともいうべき歴史的事象だったとか。神道と仏教がどうしたこうした。。。かな。 返信する 言語で復元というのが (たまWEB) 2021-08-20 20:29:57 沖縄語とか大隅語とかいろいろ交えて、超スゴイんじゃぁ・・と思えます。マレー語で馬はクダというそうな。馬韓 ーー> クダ・カラ ーー> クダラ百済"マレー語" 馬 クダ 加治木https://search.yahoo.co.jp/search?p=%22%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E8%AA%9E%22%20%20%E9%A6%AC%20%20%20%E3%82%AF%E3%83%80%20%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8&ei=UTF-8 返信する ”645年大化改新と647年新羅毗曇の乱の符合” (たまWEB) 2021-08-21 07:08:03 「1.中大兄と鎌足の蹴鞠の出会いと、金春秋と金ユ信との蹴鞠の出会い。 2.中大兄は蘇我倉山田石川麻呂の娘を嫁にしようとしたが、前日にさらわれてしまったので、妹が進んで嫁になった話と、金ユ信の妹宝姫が最初金春秋に嫁ぐ予定のところ、妹が錦の着物を姉に渡して嫁になる権利を譲ってもらった話。 3.そしてとどめは、大化改新で中大兄・鎌足コンビが蘇我入鹿を誅殺(暗殺?)する話と、金春秋・金ユ信コンビが毗曇の反乱を鎮める話。 皆、微妙な差がありますが、大筋は一緒ではないか?と・・大阪湾の旧名は「茅渟の海(ちぬのうみ)」・・」https://plaza.rakuten.co.jp/systemwelware/diary/201208160000/https://inumimi.papy.co.jp/inmm/sc/kiji/1-1268331-84/”加治木義博” ちぬhttps://search.yahoo.co.jp/search?p=%E2%80%9D%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A%E2%80%9D%20%E3%81%A1%E3%81%AC&ei=UTF-8 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
あるいは古文的な表現、差別表現を更新する。
無限とも思える訳必要なの?とと思ってました。
人類に対する聖書の影響力すざましい。
biblestudytools.com
便利です。
中央幹部でも金銭となると目がない、好き好き人間の本性がって?!
タッチパネルはまだ全容が分かりやすいが、数個のボタンの組み合わせで操作するものは、さらに厄介だ。
そこで頼りにするのが、「取扱説明書」通称「取説」なのだが、これがまた難解で扱いにくい。
今必要な操作方法がどこに書いてあるのかを探すだけで時間がかかる。
そこで短気な豚は、メーカーに電話をかけて聞くことに成る。 普通のメーカーはそれなりに分かるように教えてくれる。不思議な事に、何度やっても上手く動かなかったものが、説明どおりにやるとうまく動く。
そこで、豚は必ずこう質問する「それは取説のどこに書いてありますか?」
良いメーカーは、書いてある箇所をすぐに教えてくれる。 ただ、ひどい時には「それは取説には書いてません」等と平気で返事が返ってくる。
聖典と言うのは、その宗教の「取説」なのだと思うが、この聖典と言う取説は実にいい加減なもので、平気で「それは書いてない」とか「その解釈は人によって違う」とか言ってくれる。
挙句の果ては、「自分で理解しろ」とか「その辺のことは誰も解らない」と言う始末。
最近悟ったことは、聖典を取説だと思ってるのが間違いじゃないだろうか?
聖典って、広告チラシなんじゃないだろうか?
ただ、それにしては分厚い。
日曜日の午後なんかにずっと流していたい気がする・・・
LUMO マタイの福音書
https://www.youtube.com/watch?v=s44IDy3emkI
LUMO マルコの福音書
https://www.youtube.com/watch?v=YsAkNmbxc4U
LUMO ルカの福音書
https://www.youtube.com/watch?v=joqnK7A9dQM
LUMO ヨハネの福音書
https://www.youtube.com/watch?v=fhAfypcxQ8Q
しかしこの映像よくできているなぁ、すごいお金をかけて作っているのでしょうね。
私は仕事柄、自分が設計した機械の取説を作ることもあるのだが、これが大嫌いなんだよなー
クソ面倒くさい。
機械の操作やトラブル対応なんて文字で表すのはメチャ面倒くさい
文字、言葉というのは実に不自由なものだと思うよ
今はパソコンで打ち込むのだが、昔に記録を残すなんてメチャメチャ面倒な作業だろうなー
書きたいことの数十分の一も書けないだろうな
万人にわかりやすい取説は難しい。
家電とかだと読みませんが、ニトリの組み立て家具だと広げて、
ワンステップずつ読みながら組み立てます。
イケアの取説よくできてますね。
しかし、聖典が取説だとすると何故にあんなに解釈が異なるのでしょう?
しかし、それでは元の文章の正確さは失われてしまうのではないか、という意見もあると思いますが、そこはきちんと勉強した方々が聖文の本来の意味を解説していけばよいのではないか、と。
そう言えば、日本聖書協会による教会共同訳についても、ミサなどで読み上げるときに品格のある文章であって欲しいという要望があり、その点は考慮したと聞いています。
聖餐の祝福を依頼されることがしばしばありますが、以前の祝福の言葉のほうが良かったと個人的には思います。教義と聖約についても、昔の文語調の翻訳は分かりにくかったという意見があり、それはそうなのですが、暗唱するのにあの文体はとても良かった。今でも、教義と聖約の一説を諳んじるのはあの文体なのです。
『見よ、召さるる者は多けれど選ばれる者は少なし』とか。
とは言っても、私は『モルモン書は創作派』なので、まぁどっちでも良いいちゃぁ良いのですが・・・(笑)
それは、正典は「取説」ではないからです。
ところがそれを勘違いして、聖典を取説にしてる人が居る。
そういう人は、なんせ取説だから隅々まで細かく読んで、使いこなそうとする。
聖典を自分の人生の取説にしてるだけなら良いけど、そう言うう人は、他の人間も皆その取説で動かそうとするから困る。
聖典にこう書いてあるからこうしなさい・・・って他人に押し付けて来る。
そういう人は、聖典が変わると言う事も変ってくる困ったものだ。
じゃあ、聖典って何?
豚的には、「問題集」かな?
難問が多くて答えが見つからないけど。
>聖典にこう書いてあるからこうしなさい・・・って他人に押し付けて来る。
いますね、そういう人。