5 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (教会員R) 2017-03-02 00:42:37 当時の日本の業界以外の世間では作家などは卑しい職業とされていて、道楽息子の成れの果てとか、そういう評価しかなかったんですね。 日本の文学者が改宗するに際して、葛藤がさほどなかったのは、文学の道を志したとたんに、大概親から失望されて、勘当もしくはそれに近い扱いにされてしまう傾向があったので、キリスト教に触れて改めて「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14:26、27)などと言われても、彼らには捨てるしがらみが殆ど残っていなかったという事情と関係しているのでしょう。>遠藤周作を待つまではということになるでしょうか。おそらくはそうでしょうけれども、内村鑑三の無教会主義の出現もはずせないと思われます。内村鑑三は教派間の争いや組織の弊害、不寛容に失望して無教会(いろいろなキリスト教というものは、正当主義一つとか、そういういろんな考え方に対しても疑問をもって、真理はいろいろあって、自分たちがわかる真理というのは、そのうちのほんの一端にしかすぎないという、そういう異端の思想)を提唱したそうです。http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-610.htm少年ジョセフスミスと出発地点は似たようなものっだったのかもしれません。 返信する 森鴎外はフリーメイソンだったんでは? (たまWEB) 2017-03-03 05:42:13 鴎外 メイソン https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E6%A3%AE%E9%B4%8E%E5%A4%96%20%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3森鴎外 麦飯 https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E6%A3%AE%E9%B4%8E%E5%A4%96%20%E9%BA%A6%E9%A3%AF 返信する 夏目漱石はメイソンらしいなぁ (たまWEB) 2017-03-03 05:52:55 夏目漱石 メイソン https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3%20%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3 返信する 青貝細工フリーメイソン箱なんて (たまWEB) 2017-03-03 06:13:24 あるんですね。螺鈿 漆器 メイソン https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E8%9E%BA%E9%88%BF%20%E6%BC%86%E5%99%A8%20%20%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3 返信する 白樺派も動員されとった (たまWEB) 2017-03-03 11:02:50 とすれば、白樺派 http://hogetest.exblog.jp/3981899/明治期の文人たちも、何らかの、あるんですかねぇぇ??仏留学あったりの島崎藤村とフルベッキの接点?http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_40_1_furubekkico.htm 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
日本の文学者が改宗するに際して、葛藤がさほどなかったのは、文学の道を志したとたんに、大概親から失望されて、勘当もしくはそれに近い扱いにされてしまう傾向があったので、キリスト教に触れて改めて
「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14:26、27)
などと言われても、彼らには捨てるしがらみが殆ど残っていなかったという事情と関係しているのでしょう。
>遠藤周作を待つまではということになるでしょうか。
おそらくはそうでしょうけれども、内村鑑三の無教会主義の出現もはずせないと思われます。
内村鑑三は教派間の争いや組織の弊害、不寛容に失望して無教会(いろいろなキリスト教というものは、正当主義一つとか、そういういろんな考え方に対しても疑問をもって、真理はいろいろあって、自分たちがわかる真理というのは、そのうちのほんの一端にしかすぎないという、そういう異端の思想)を提唱したそうです。
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-610.htm
少年ジョセフスミスと出発地点は似たようなものっだったのかもしれません。
森鴎外 麦飯 https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E6%A3%AE%E9%B4%8E%E5%A4%96%20%E9%BA%A6%E9%A3%AF
螺鈿 漆器 メイソン https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E8%9E%BA%E9%88%BF%20%E6%BC%86%E5%99%A8%20%20%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3
白樺派 http://hogetest.exblog.jp/3981899/
明治期の文人たちも、何らかの、あるんですかねぇぇ??
仏留学あったりの島崎藤村とフルベッキの接点?
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_40_1_furubekkico.htm