2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (mumble) 2007-05-24 17:57:00 昔、高村光太郎の詩で、きっぱりとした冬が来たって表現を目にして違和感を覚えたものです。それまで、「きっぱり」って動作にかかる形容動詞?かと思ってました。ntmymさんの夢、途中までは百間の文体じゃないですか!うまいなぁ。的確な描写でありながらじんわりと暗示的な文章って書いてみたいものです。「磯部の松」は読みました。これは「残月」という箏曲の歌の出だしですけれど、わたくし、琴ではなく、琴古流尺八を習っていたことがあり、なかなかに手こずった曲です。春琴は春琴でおもしろかったのですが、磯部の松は実に味わい深いものでした。ntmymさんのように大切過ぎて読むのが惜しいというのも、凄い恋心ですね。「サラサーテの盤」のように行間に百間先生が特別に声を入れてくれてますよ、きっと。 返信する 最高峰 (ntmym) 2007-05-24 19:08:49 mumbleさん、こんにちは!>ntmymさんの夢、途中までは百間の文体じゃないですか!いやー、照れますね、えへ。ちょっとは雰囲気が出てますでしょうか?百間先生は、私のカリスマ、文章のお手本のなかでも最高峰にましますので、夢を見たときくらいはちょっとがんばって書いてみようと思うんですよねー。というのも、最初に読んだ『冥途』が、まさに《夢そのもの》の衝撃だったので。でもまあ、まだまだあの高みにはほど遠く…今後も励みます。ところで、mumbleさんは尺八をなさるんですか。素敵~。私は残念なことに、そんな雅びな趣味にはまったく縁がないので憧れますね。いいなあ、楽器。>ntmymさんのように大切過ぎて読むのが惜しい というのも、凄い恋心ですね。私は、好き過ぎて読めない本を、百間先生のほかにもうなるほど抱えております; どうしてだか、なかなか踏ん切りがつかないんですよね~。どのみち何度も繰り返して読むことになるんだから、はやく読めばいいんですけどね; うーむ。「サラサーテの盤」は私の好きなお話です。先生の声が私に聴こえるでしょうか、聴こえるといいなあ。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
>ntmymさんの夢、途中までは百間の文体じゃないですか!
いやー、照れますね、えへ。
ちょっとは雰囲気が出てますでしょうか?
百間先生は、私のカリスマ、文章のお手本のなかでも最高峰にましますので、夢を見たときくらいはちょっとがんばって書いてみようと思うんですよねー。
というのも、最初に読んだ『冥途』が、まさに《夢そのもの》の衝撃だったので。
でもまあ、まだまだあの高みにはほど遠く…今後も励みます。
ところで、mumbleさんは尺八をなさるんですか。素敵~。私は残念なことに、そんな雅びな趣味にはまったく縁がないので憧れますね。いいなあ、楽器。
>ntmymさんのように大切過ぎて読むのが惜しい
というのも、凄い恋心ですね。
私は、好き過ぎて読めない本を、百間先生のほかにもうなるほど抱えております; どうしてだか、なかなか踏ん切りがつかないんですよね~。どのみち何度も繰り返して読むことになるんだから、はやく読めばいいんですけどね; うーむ。
「サラサーテの盤」は私の好きなお話です。先生の声が私に聴こえるでしょうか、聴こえるといいなあ。