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う~む (piaa)
2007-05-10 00:25:19
なんだか素晴らしく共産主義的ですねえ。
現実には全世界の労働力が1年間ひとつのことに従事すると言うのはありえないのですが…

いつも思うんですけど、ntmymさんって30年くらい前だったらきっと過激派…までは行かなくても学生運動くらいはしたでしょうね。
多分私もあと10年早く生まれてたらそうしたでしょうけど。
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やっぱり? (ntmym)
2007-05-10 12:21:26
piaaさん、こんにちは~!

私は、たしかに活動家っぽいですよね(過激派?……大いにありうる!)。
自分でもいつもそう思ってます;
だいたい、共産主義自体は、私は全く否定するところのものではないですし。わあ、なんたる理想家。

ところで、記事では壮大な方向で考えてみたのですが、小さい方向で考えると、ワーキング・シェアの問題なんかが面白くなりそうです。
我々の生活に必要な労働力は厳密にはどのくらいなのか、過労者と未就労者の差を埋めれば、もっと楽になるのではないだろうか。
少なくとも、そのような社会問題に関して、皆が一斉に考える時間がいくらかはあってもよいのではないだろうか。
などなど。

いずれにせよ、人類全体の幸福を願うならば、私はもっと時間を有効に使わなければならないなあとしみじみしました。
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Unknown (M)
2007-05-10 16:39:25
消費を考えなければだめだと思います。ここには生産(蓄積)しかないですが、実際は50億人の消費を背負っているのです。消費というのは衣食住だけでなく、過剰なもの、それに飲む打つ買うといったものもです。25億人の奴隷がいると仮定すると話は変わりますが。
だからひとつのことに従事しようがばらばらだろうが、永久の借金経営である資本主義社会が破産すること、これだけはマルクスもケインズも同じ認識なのです。打開策は正反対ですが。
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理想論に… (弁慶)
2007-05-11 01:35:43
私は共産主義というのは現在では理想にすぎないと思いますが、今まで実現できた国家がない(というか共産主義が実現した社会では国家が無いんですね確か)ので、思想そのものは興味があります。イメージとしてはスタートレックで出てくる地球ですけど。あれって、アメリカのドラマなのにいいのかなって思うときが…マッカーシーの時代なら赤狩り対象ですね。


ntmymさんの文章を読む限りでは、

>全ての人が心から受け入れて行動するならば

という件もありますし、何も強制することが目的ではないかと。

現在でも局所的には、例えば会社では、この様なことは行われています。仕事の工数見積もりの際には人×期間で(何人月とか何人週とかいうやつですね)表します。まぁそういう側面では、現実社会でも全く否定された発想ではないです。工数管理表を作って、生産性を上げる訳です。

個人的には普段意識しないような、もっとぼんやりとした目的で分業している感じが適当かと思います。例えば、人間には生きる・繁栄するという共通目的がある筈ですが、普段はあまり意識しません。
しかし、現在の社会が発展したのは、そういったぼんやりとした共通観念で突き進んできた結果では無いでしょうか?有史から1人が前の世代の、たった1人だけから知識を継承しただけでは、ここまでの仕事はできません。人類の繁栄という共通目的のために、結果的には気づかない分業を行ってきたのだと思います。ntmymさんが示したのは、ただその可能性・期待だけではないでしょうか?

それ以上は、現実と照らし合わせて否定するだけになってしまうし、理想を今の現実だけで否定するのは危険だと思っているからです。

あー、しかし久々に訪れました。以前と違って、かなり栄えててびっくりです。長々と失礼しました。
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おおっ (ntmym)
2007-05-11 08:25:28
Mさん、弁慶さん、こんにちは!

私が謎の腹痛(もしや風邪……?)に悩まされていた間に、面白い議論になってますね。

まずはMさんのおっしゃる「消費」ということですが、たしかに、過剰なものや無駄とも思えるような品物はありますね。私個人としては、これはやはり必要なものであると思うので、25億人の奴隷の存在は不可欠だと思いますね。というより、全ての人が全ての人の奴隷でもあると同時に主人でもあるというのはどうでしょう。気楽すぎますかね。でも、私は「無駄なもの」を無駄だと断定しているものに反感を覚えるので、どんなことがらであっても「それほど無駄じゃない」と言いたくなっちゃうんですよねー。あれ、ちょっと脱線したでしょうか。


そして、弁慶さんのおっしゃることは、私の言い足りなかったことを補って余りあるという感じですね(久々に来てみて、ここがわりと繁栄していたのは意外だったでしょう?ふふ)。
スタートレックの世界は、おっしゃる通り、ある種の理想社会ですよね。あの時代の地球人は「金銭」という価値観が一切ないですものね。それに、「くくり」が「地球人」という単位だし。

>人類の繁栄という共通目的のために、結果的には気づかない分業を行ってきた

というのには、何か妙に納得しました。
それは言えてますね。
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反資本主義的 (M)
2007-05-11 12:21:08
>人類の繁栄という共通目的のために、結果的には気づかない分業を行ってきた

繁栄という共通目的は、ない、あるいは強いられているだけで、それを強いているのが「資本」と呼ばれる主体です。資本にはただひとつの欲望しかありません。肥え太ることです。そこで「分業」も生まれました。競争も倒産もグローバリズムも、もっとも資本が拡大できるための最短距離を描く手法です。私たちの欲望にはこの資本の欲望がおおきく反映しています。
まあ気づいたところで、もはや繁栄の道(=滅びの道)を止めることはだれにもできません。なぜ常に新製品を開発、販売しつづけるのか、だれにもわからないのです。

欲しいのは人類の繁栄、蓄積ではなく瞬間です。感動の瞬間の連続だけが人生である道で、それがこのブログが差し出しているユートピアに見えます。それがもっとも反資本主義的な思想なのです。
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Unknown (mumble)
2007-05-11 14:29:26
SETIとか地球温暖化予測のために既に世界中の多くのPCが繋いでありますが、そう言うことではダメですか?ntmymさんの人類補完計画は人類透明化でしょうか?半透明さえ難しい(^^;
 わたし個人は、ETがいたら面白いとか思いますが、地球の将来がどうなろうと、全く気になりません。
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私には (piaa)
2007-05-11 20:23:15
地球の将来は重要です。だって私の子供達が生きていくんですから。

ソヴィエト崩壊以降、世界のバランスは悪くなる一方です。世界のいたるところで右傾化が進んでいる気がするのは私だけでしょうか?

私は愛国者と民族主義者が地球を滅ぼすと思っています。最近ネット上には反韓、反中を叫ぶプチ右翼が多すぎると思うのですが、彼らは愛国者なのだから、自分がもし韓国や中国に生まれていたらさぞや立派な反日分子(いやな言葉だ)になっただろうと言うことに思い及ばないのです。

ルワンダでも、ユーゴでも民族主義から果てしない内戦や虐殺などの悲劇が起こったのです。そういう小さなつまらない狭隘な愛国心のような気持ちを捨て、全人類が、もっと大きな世界に対する愛を持たないことには人類は理想世界などにはたどり着けないのです。

と、いうわけで、いまこそ新たな左の思想が必要なのではないでしょうか?
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このテーマで (ntmym)
2007-05-12 08:11:47
これほど、いろいろな意見が出てくるということ自体、人類の未来の明るさを感じさせてくれるようです。私の当初の意見は「人類の労働力の総量って凄いな」くらいの単純なものだったのですが、それに対する反応の、そのアプローチがさまざまであるので驚きました。しかし、ひとつのことをめぐって、こんなふうに異なる意見が出てくるというのは、実に素晴らしいことです。

*Mさん

経済的な繁栄ということを考えると、今のところの主体はたしかに資本ですね。私はしかし、資本主義がいかに加速し強化しようが、人間の「ただ殖えたい」という欲求までを全面的に支配することは出来ないだろうと楽観しているので、資本主義が滅びても、人類は無事に生き延びるだろうと心配していません。
そのあたりは、反資本主義的ですね。私がどんなユートピアを差し出せているのかは、よく分かりませんけれども。


*mumbleさん

>既に世界中の多くのPCが繋いでありますが…

そうですね。それはまだ充分とは言えないでしょうが、ゆくゆくは偉大な事業となりうる素晴らしいことだと私も思います。
そういう、「生活」のために直接的に必要な行動以外に、自分たちにとって重要だと思われる事項のためにも人々は働けるわけです。
それぞれの考えや生活は違っていても、全く構いません。
私は、人類の透明化(透明=意志の完全統一ということですか?)というよりは、むしろ、バラバラのままで、それぞれはにごっていたり、腐っていたり、壊れていてさえもよく、そういう性質を備えたままで「自覚的」に何か共同の作業に向かうことができるというのが望ましいのではないかと思っています。
ETがいたら、面白いことになりそうですね。


*piaaさん

私は、右とか左というのはよく分かりませんが、国を愛したり民族を愛するのはよいと思います。ただ問題なのは、piaaさんがおっしゃるように、それと同時に「それ以外を憎む」ことでしょうね。どうしてもそれらはセットになっているので、我々はいつまでも兄弟で殺し合うことを止められないのかもしれません。

愛を、そのような差別化であると考えると、人類に人類全体を覆う大きな愛が発生するのは、新たな共通の憎しみと差別の対象を発見したときかもしれないですね。

私は、それは愛であるよりも、寛容であったら良いのではないかと思います。「違っている」ことを認め合えれば、その「違い」を活用し合うことだっていくらでもできそうです。ひとつのことを大勢でやるときに重要なのは、まったく同じ作業をすることではなく、それぞれの役割に従って行動するということですよね。

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Unknown (sara)
2007-05-16 08:53:23
嗚呼 本当にntmymさん。素敵な人ですね 感動しました。
私はアメリカに三年暮らして 得たひとつに「寛大」という事でした。(寛容といってもいいでしょう)
日本人は裁くのですが 赦しが無いのです。
キリスト教は厳しいように思われますが、人は失敗するものだからという赦しがあるのです(この話は長くなるので ハショリます)
アメリカは確かに多民族なので 理解しあえると思っているのでなく理解しあえないと言ったところからスタートしてます。 そして理解しあえないけど、受け入れてくれる寛大さがあります。

愛というのか 愛よりも寛大があります。
私は最初 貴方は男性で25歳ぐらいと勝手に思ってました。
私の周りの女性は大抵が 独りで何も出来ないのに、一緒の考えでないと上から憐れむように見下しながら、理解も寛大も無いからです。
(私の外見が日本人と少し違うという理由もある)
知ってるブログから、こちらにこれた事 貴方に出逢えた事 をとても嬉しく思います。(迷惑でしょうが)

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