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日々感ずることを、徒然に書いています。ご笑覧あれかし。

言葉というもの、非常に興味があります。

高校野球甲子園全国大会、組み合わせ抽選会

2022-08-05 08:37:49 | 日記

時は、恐ろしいスピードで過ぎていきます。

 
一週間なんてアッという間。一年はそれの52倍ですから、アッアッアッ、、という間。
 
要するに「人生短い」ということです。
 
若い時は、時間なんて幾らでもあると思っていましたが、昨今は、とても、そんな風には、思えません。
 
ウインブルドンのテニスが終ったのは、ついこの間だと思っていたら、世界陸上。そして、今は大英共栄圏スポーツ大会(Commonwealth Games)。
 
何でも、この土曜日から、英国では、フットボールプレミアリーグが始まるんですって。
 
とにかく、目まぐるしく、色んな出来事があります。
 
まあ、そんなことばかりにかまけているから、時の流れるのを「速い」と感じるのも宜なるかな、というところですね。
 
何しろ、嫌な、または辛いことを、何もしていないのですから。そして、そのほかに、友人と食事に行ったりもしますからね、実に楽しい。
 
ところで、この土曜日といえば、もう一つあります。
 
日本で、高校野球選手権、要するに甲子園の全国大会が、この日に始まるんです。
 
私、スポーツ好き。ただ、一番好きな球技を一つ上げて、と言われれば、やはり野球ですね、それは。
 
それには、理由があって、私、子供の時に、野球を観て育ったからなんです。
 
京都の実家の近所に、野球の強い高校(平安高校)があり、そこへ、いつも私、放課後、その野球部の練習を観に行っていたのです。平安3度目の全国優勝が、昭和31年、私11歳の時です。その頃は、「遊び」って特になかったですからね。そこいらの、おじさんたちもたくさん来ておられましたよ。お金もないし、というところでしょうね。
 
ですから、私には、野球、特に高校野球というものに、独特の「思い入れ」があるんです。炎天下、京都の予選4試合見たことを、懐かしく思い出します。今でも、野球場の写真を見るだけで、ゾクゾクしますもの。
 
昨日、今年の甲子園大会の「組み合わせ抽選会」があり、インターネットの動画でその様子を観ました。
 
大阪フェスティバルホールを借り切り、出場校の選手が全員集合。各校の主将が順番にカードを引き当て、自分の学校が、組み合わせのどこに嵌るかが決まります。
 
それを、観ていると、何となく楽しいですが、あれ、本当のところ、もっと事務的にやっても一向に構わないんですよ。カードを引く人が、たった一人、例えば、大会の役員の人とか(極端な話、ロボットでも)。それで、十分に公正さは保たれます。但し、抽選の模様は、必ず、一般公開(テレビで)すること。
 
実際、世界の有名な競技大会の抽選、例えば「フットボール、ワールドカップ」時の抽選風景は、そんなものですよ。誰が、籤を引いても、公正さは変わらないのですからね、誰も文句は言いません。
 
まあ、日本独特の風習というんでしょうかね、当事者(各学校の主将)が籤を引く。
 
昨日の抽選後、各チームの主将が、インタービューされていました。それも、観てしまいましたが、どの主将も、いうことは似たり寄ったり。みんなマスク姿でしたから、余計にその感が強かったですね。
 
ー「今のお気持ち聞かせてください」
 
ー「そうですね。相手のxxさんはこの春にも準決勝にまで行かれた強豪’なんで’、力一杯ぶつかっていくだけです。うちの学校、突出したのは居ませんが、守りで固めたチーム’なんで’、まず、守りの堅さで波に乗り、最後に勝利を掴みたいとおもいます」
 
ー「目標は、どういうところでしょうか」
 
ー「そうですね。まず一勝です」
 
どのチームの主将も、だいたい似たり寄ったりでしたが、さすがに優勝候補筆頭の大阪桐蔭は、「3度目の春夏制覇を狙います」ときっぱり。
 
それと、どの人も、「、、、なんで、」というのをよく使われるんですね。この頃の若い人は、皆さんこうなんでしょうか。
 
こういうのを英国のキャプテンに仕向けたら、まあ、こんな具合。
 
「そりゃ、俺たちのチームほど、練習したところは、絶対にいませんからね。まず、確実に優勝です。任しておいてください、エイエイオー!!」
 
土曜日の開会式には、軍隊式の選手入場行進がありますね。昨今では、ちょっと観られない光景ですので、ちょっと楽しみ。

一昨日は、ちょっと変わった日で

2022-07-21 20:38:13 | 日記

人間、77年間も生きていると、いろんなことに遭遇するものである。

それは、いいことでもあるかもしれないし、悪いことかも知れない。

そんな特筆すべきことが、一昨日、それも重ねて2件起った。

1件目は、一昨日の英国での気温。なんと40.3度ですって!

かつて、英国人がこんな温度にさらされたことは一度もない。

外に出ると、ムーっとした空気。ただ、私の場合、こういうこと、勿論、日本で経験済みである。

さて、次の2件目であるが、これは、なんとも不思議な出来事で、我ながら首を傾けざるを得ない。

私、昔、絵描きであった。

大体55歳頃まで。なんとか首も吊らずに生きながらえたが、生活があまりに苦しいので、性格もひん曲がってしまった。それが嫌で、少なくてもいいから固定収入のある仕事に就いた。

絵描きであった時、京都で3回個展をした。

それから得た収入で、英国の生活はなんとかできた。

ところが、面白いことに、その個展で売った絵の一枚が浮上してきたのである。信じられない。

私の友人の一人が、こう言ってこられて、わかったことである。

「XXさんの絵、オークションで買いましたよ!!」

早速その写真を見せてもらった。

フランスの、どこかの川の絵である。スケッチ。

私、フランスに行って、そういう絵を描いたことまでは覚えているが、それ以上のことはよくわからない。おそらく、南のアヴィニョンで描いたものであろう。

一見して、自分の絵じゃないのではないかと思ったほど。

でも、確かに、私のサインも入っているし、まあ、私の作品である。よく見ると、年号が入っていて、1992年とあるから、ちょうど30年前。私47歳。そんなに昔のことのようには思えないけれど、人生は短いと、改めて思い知らされた次第。

今度ばかりは、ちょっと異様なことに出くわしたもの。

ちなみに、フランスで風景画を描くというのは、非常に楽である。そして楽しい。

フランスでは、光線の関係で、影の中にも様々な色がある。
赤、青、紫、、。そして、北国ではないから、それが刻々と変化するということがない。

「印象派」などというものが出てきたのは、極めて必然的なことだと思う。


老化と付き合う

2022-07-05 09:25:21 | 日記
先週の金曜日のことです。
 
この頃、天気がいいものですから、私、よく庭で食事をするんです。とても気持ちがいいですよ。何しろ、庭の緑を愛でながら、食べるのですから、時の経つのを忘れます。
 
ただ、私の家の台所は、二階にあるものですから、これが問題。下の庭まで、料理したものをお盆に乗せて運ばなければなりません。
 
大抵は、問題ないのですが、この日ばかりは、階段を踏み違えて、転倒。
 
それの起ったのが、階段も最後のところでしたので、幸い、大事には至りませんでした。食事もちゃんと済ませましたし。
 
また、これも、同じ金曜日の午後のこと。
 
今度は、インターネットで何かを購入しようとしたのです。
 
全て順調に行き、こういうことに弱い私、「お主も中々やるのう!」と、独り悦に入っていましたところ、最後の支払いの段になって、躓きました。
 
その商品は、私にとって、是非買いたい、それも、できるだけ早く(そうしないと売り切れてしまう)という類のものでしたので、ちょっと慌てた私、急いで、銀行に駆けつけました。
 
でも、銀行の人の言では、私のカードに何も問題はないとのこと。
 
どうしようかなと思案投首のまま、仕方なく家に帰りました。しかし、その道すがら、あることに気づきました。事の次第は、全て私の「初歩的な勘違い」から生じたものであろうということです。
 
なあんだ、そんな簡単なことか。また一から全てのことをやり直し、懸案の支払いも無事に済ませました。やれやれ〜。
 
先週金曜日、私が犯したこれら二つの失態は、間違いなく、私の身体的、そして頭脳的減退からきています。
 
私、目下77歳。こういうトンマな事のよく起るのは、すでに数年前から感じ始めていました。それが、この頃顕著になってきたという事です。
 
全て、老化現象から来ているのですから、当然、それは年々、悪化する一方。
 
来年、私の状態が、今年より良くなっているという事はありえない。何か「やりたい」というようなことがあるのであれば、できるだけ早いうちにと思いついたのです。
 
それが、先週金曜日の二つの失態で、確証されたということですね。
 
私が、上記、インターネットで、最後に結局うまく買えたというのは、ロンドンー大阪の往復航空切符です。
 
もう日本に3年半も帰っていませんので、少々億劫でしたが、人様のご親切な手助けもあって、なんとか、購入というところまでこぎつけました。
 
日本にいるのは、11月3日(水)から30日(水)までの4週間です。
 
荷を解くのは京都。そこを拠点に、東は東京から仙台、西は九州までいろんなところを回ります。もし、私を見かけられましたら、お声をお掛けくださいね。
 
飛行機は日本航空ですが、このJALは、これまで「高い」という先入観がありましたので、避けていた節があります。従って、初めての経験です。さて、どういうことになりますやら。
 
料金は14万円くらい(でも飛行料金はその3分の1、あとは石油税なんです)。これが、最低料金。11月というのは、クリスマス前とあって、英国からの旅行者が少ないのでしょうか、料金は低めです。しかも、11月の日本は、まだまだ美しいですよね。寒くもありませんし。それに比して、英国の11月は暗くて惨めです。
 
因みに、私の日本滞在が、カタールでの、「フットボール世界選手権(ワールドカップ)」と重なります。たまたま、予選(グループリーグ戦)で「日本vsドイツ」というのがありますので、拝見しますね。また、大相撲九州場所なんていうのもありますよ。
 
私は、この様にして、自分の老化と付き合っていこうと思っています。
 
そして、できるだけ、人生を楽しもうと。
 
来年もまた日本に行けるでしょうか。

日本に帰りたい

2022-06-16 22:59:46 | 日記

日本に帰りたい。もちろん、一時帰国のことである。

 
もう4年も帰っていない。
 
2年前に帰るつもりで、切符を予約していたが、それがコロナウイルス蔓延の関係で、取りやめになってしまった。
 
その時は、軽い気持ちで、「そのうちに帰れるわ」と思っていた。
 
しかし、2年後の今も、コロナの暗雲はまだ去らず、「そのうちに」と言うのが、いつのことかわからない。
 
早くしないと、と苛立つ。
 
それは、私がそんなに若くないからである。
 
77歳。
 
今だと、なんとか帰れそう。
 
しかし、「もう少し状況が明るくなってから」なんて思っていると、その時は、もうそんな気力も完全に失せてしまっているかもしれない。
 
来年はどうか?
 
78歳。まあ、世の中の状況は、少しは改善しているだろうか。
 
しかし、来年には、私の気力が今よりさらに減退していることは、確かである。
 
人間が「老いる」とは、そう言うことなんだとは、最近気がついた。
 
これは、自分が、実際その年になってみないと、わからない。
 
75歳以上の人を「後期高齢者」と呼ぶのは、残念ながら当っている。
 
とは言っても、年をとることに、効用はある。
 
「世の中のいろんなことが、若い時より、分ってくる」と言うのが、まさにそれである。
 
人間、70歳を超えると、「自分もいつかはこの世の中からいなくなる」と言うことが実感としてわかる。
 
それまでは、抽象的な観念であったものが、具体的な実感になると言うことである。
 
そう言う視点から、物事を見ると、それは、若い時とは全て違って見えて、当然。
 
他の人のことに想いを馳せることができる。
 
昔、つまらない人だと思っていた人が、実は立派な人だったんだと気がついたり、。また、その逆の場合にも、気づかされたり、。
 
年をとることにこのような「いいところ」もあるが、もちろん、それは、老齢者特有の現象に対する代価である。
 
老齢者の現象といって、例えば、あらゆることに気力が減退するとか言うのが、まさにそれ。全ての機能も、また衰える。
 
いかなる人間も、一介の「生命体」であるから、その生命体がいずれ、この世から消滅すると言うのは、自然の道理である。
 
しかし、それにしても、それまでに、日本に帰りたい。
 
ちょっとだけでいいから。

Sのこと

2022-06-06 08:41:31 | 日記

彼は、Sと言った。

 
私とは、中学3年の時、クラスで一緒だった。それだけの繋がりである。
 
私の家とSの家とは近かったので、よく下校時、一緒に帰った。その頃、京都の中学校には給食なんてなかったので、昼時、それぞれの家まで、ご飯を食べに帰っていた。その時も一緒。
 
彼の家には複雑な事情があり、例えば、彼と、彼の2つ上のお兄さんとは、苗字が異なった。お父さんは戦死。仏壇にその遺影があるだけ。軍服姿のリュウとした紳士である。
 
しかし、そのお父さんの姓も、また違う。
 
お母さんはおられた。Sとそのお兄さんとは、そのお母さんと軍服姿のお父さんとの間にできた私生児なのだと思う。いわば芸者の子。
 
お母さんは、戦後、女手一つで、仲居をしながら、幼い二人の男の子を育て上げられた。立派なものである。また、どういう繋がりか知らないが、おばあさんという人がおられた。
 
Sの家は、貧しかった。だから、Sもお兄さんも、中学の頃から、アルバイトをしておられた。その頃、Sの家は、借家の2階。もちろん、大人2人と子供2人で住むには、狭すぎる。
 
しかし、そこには、温かい「愛情」というものがあった。私は、それに惹かれ、彼の家によく遊びに行った。
 
引き換え、私の家は、図体こそ大きかったが、また家系図もきちんとしていたが、そんなの、見掛け倒し。
 
「体裁」ばかり構う家で、私の家には、肝心の「愛情」というものがなかった。訪問客のまるでない冷たい家で、それが、私には、とても嫌であった。将来、人が来やすい家に住みたいと願ったのは、その所為である。
 
中学を卒業したのは、Sも私も15歳のときの昭和35年。その頃、京都の下町では、中卒で就職する生徒が、半数あった。高校へ行くだけの学力は十分にあったSであるが、母親思いの彼は就職という道を選んだ。三菱重工。しかし、こんな大会社に中卒で入ると、いくら優秀な人材であっても、将来の展望などというものはなく、前途は、入社時に決まっているのだそうである。
 
彼、数年で見切りをつけ、退職。後は伝手を頼って、京都西陣の帯会社に勤め始めた。最後まで大変優秀な社員であっただろうと思う。
 
彼は、私に随分優しかった。実にいろんなことをしてくれた。
 
ただ、それには、経緯がある。
 
中三の三学期に大阪遠足というのがあったが、このS、その費用(400円)が払えなかった。そこで、私、彼には何も言わず、それを払っておいた。彼、それがよほど嬉しかったのであろうと思う。
 
Sは、また、その後、自分自身の幸せな家庭にも恵まれた。通っていた夜間高校で知り合った女性と結婚。3人の子供を授かった。そして、それらの子供も結婚し、彼は、すぐにお祖父さん。
 
そうなると、彼の気になるのは、実にこの私のことである。一向に、結婚する様子がない、。
 
私に、「結婚せい、」といつも言った。「僕がこんなに幸せになれたのに、君は、どうして結婚しないの?」
 
会うたびに、いつも、こんな按配であったから、思いかねた私、ある時、意を決して、言うことにした。
 
「実は、僕、結婚などできる男じゃないんですよ、、。」
 
彼、そんなこと、思いもかけなかったようで、ちょっとビックリ顔。でも、その場では、「ありがとう」と言ってくれた。
 
ただ、その後がいけない。
 
彼、いつも私のことを「親友」だと思っていた様子であったから、少なくとも、「わかってくれるだろう」と思った私が甘かった。
 
それからと言うもの、私のことを「理解する」どころか、日に日に、よそよそしくなるばかり。
 
数年前から、京都に帰るたび、私、かつて、お世話になったことのお礼に、いつも、町中で、食事を饗応していた。
 
しかし、そんなこと、したくも、されたくもないのは、お互い様。「義理の付き合い」とは、まさにこのことである。
 
近年では、さらにその度合いが悪化し、二人の「気まずさ」は増す一方。
 
彼、私と「1対1」でいると、場が持たないものだから、中学時代の同級生(女性)を同席させる。もし、我々だけであるとすると、私の方をまともに観ないばかりか、敬語で話す。
 
「今日は、ご馳走になりまして、ありがとうございました。」
 
何て失礼なこと、しやはるの?私は、その貴方に会う為に来ているのに、、。
 
まあ、これで分かりました。
 
我々、子供の時に友達でしたが、実は、お互い、本当のところを知らなかったのです。まあ、お互いを買いかぶっていたにでしょうね。彼はまた、スポーツ万能でしたから、私、そう言う格好のいい人に憧れていたと言う節もあります。
 
それと、彼と私の性格の相違。
 
彼のお兄さん、福島におられるんですが、このSに言わせると、「福島て、なんにもあらへん」
 
私、これにはびっくり。
 
そりゃ、福島には、京都のように、お寺も神社も(沢山は)ありません。でも磐梯山と言う大自然があるでしょう。それに美しく素僕な人情があるでしょう。
 
また、Sさん、「大阪って大嫌い!」
 
これには、びっくりしてしまいました。大阪は、おそらく日本一、「生活保護の必要な人を受け入れている所」だと耳にしたことがあります。
 
要するに、Sさんは、京都にしか興味のないお人なんです。それも、北区とか上京区とか中京区、右京区とか。まあ、いかにも京都らしい綺麗な所。
 
そら、私と合わんわ。
 
私は、京都も、大阪も、福島も、栃木も、どこでも好きなんです。日本国中、京都みたいな所では困るでしょう。また、京都には、南区も伏見区も必要です。
 
Sさんのような人、京都に沢山おられますが、そんなこと言ってると、嫌われるのも当然です。
 
2年ほど前、Sさんに絶縁状を書留で送りました。彼、奥さんには見せておられないと思います。
 
私、彼を知らなかったのです、。