上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

鎌倉街道上道を歩く6日目 (所沢駅~北府中駅)

2023年03月25日 | 街道を歩く

 鎌倉街道は信濃、越後、陸奥方面から鎌倉へ通じた道で鎌倉幕府の御家人らが鎌倉へ向かう道として発展したが、今では道路改修・圃場整備・宅地造成など様々な事業で往時の姿が残っているところは少ないそうだ。
 鎌倉から上州へ向かう上道(カミミチ・カミツミチ、上の道)、下野へ向かう中道(中の道)、常陸へ向かう下道(下の道)が有名であるが、我が上州から鎌倉への上道を歩いてみることにした。『いざ! 鎌倉へ』




【6日目 埼玉県】 2023年3月24日(金)曇り・雨
 歩行距離:所沢駅~北府中駅 18.0km(累計120.5km) 
 行  程:前橋駅5:31====8:23所沢駅08:26----09:45徳蔵寺10:21---11:13八坂神社11:15----12:49鎌倉橋12:50----13:52姿見の池緑地13:54----14:00西国分寺駅14:00----14:25万葉植物園14:26---15:04北府中駅==18:52前橋駅
 所沢駅=池袋運賃356円 JR青春18切符2610円(金券ショップ) グリーン1000円
駐車料金400円 タンドリーチキンカレー770円


【8:26発】

前橋駅から約3時間かけて所沢駅へ
本日の天気予報は夕方より雨だが朝からどんよりした天気



鎌倉街道を外れ西の南陵中学校へ向かう
奈良時代には上野国(群馬県)から武蔵国府(府中市)へ向かう東山道が校庭から発掘された
現在は校庭に埋め戻されているがその規模は大規模で道幅は12mにも及んだという
古代の道は広くて真っ直ぐ




南陵中学校近くに私設の「所澤郷土美術館」があり門前に庚申塔がある
改設の碑文には「道路整備で放置されていたものを移設した」と書かれている
他にも道路整備などにより失われてしまった石仏・石碑は多数あるに違いない




道幅の狭い旧鎌倉街道に戻る



現代の石仏か?
カエル・フクロウ・サル 何の脈絡もなく置かれており解説版の様なものも無い


【9:24 3.2km 花向山長久寺(時宗)】 所沢市


お寺の宗旨と概要が書かれた看板、門前にこういうのがあると参詣に役立つ
国の重要文化財に指定されている板碑があるそうだが他の寺に預けてあるらしい


 平塚宗順常陽により安永三年(1774)江戸時代中期に建てられました。当時は観音巡礼や四国遍路にならって日本国中の社寺を廻ること(日本廻国行者)が流行しており、常陽も国中の神社仏閣を参詣し、その記念としてこの供養塔を建立しました。
 平塚宗順夫妻の和歌などが刻まれた廻国供養塔の上に、連台にのった薬師如来坐像が置かれている珍しいものです。(所沢市指定民俗文化財)---長久寺ホームページ




基礎に三猿の庚申塔、文政元年(1861)建立



公事道(くうじみち):鎌倉時代、公事所(税金を扱う役所)に通じていた道
公事(くうじ)とは日本史における用語の1つで、下記の意味で用いられている。 政務としての「公事」 - 古代・中世において、朝廷における政務及びそれに関連した儀式(朝儀)。賦課としての「公事」 『ウィキペディア(Wikipedia)』




【9:50~10:20 福寿山徳蔵寺】 東村山市

手前の黄色い建物が徳蔵寺板碑保存館


きれいな寺で、綺麗なトイレや休憩所も完備


数多くの板碑が保管されている

ここに、長久寺(時宗)所有の国指定文化財、元弘の板碑も保存されていた
時宗のものを臨済宗が預かるおおらかな仏教



門前に興味を惹かれる名前のパン屋さん

東村山名物黒焼きそばパンを購入し徳蔵寺の休憩所で食した


【10:35 5.4km 白山神社】




牛頭天王 頭に牛頭
スサノオノミコト(素戔嗚尊)と同体とされることから、
 明治の神仏分離令よって牛頭天王を祀る神社はスサノオノミコトに祭神の名前を変えた
 本地物は薬師如来



東村山市の「旧鎌倉街道」標柱は木製


東村山も春爛漫


【11:00 6.9km 境塚】


この辺りは秣場(マグサバ)であったが幕府による新田開発が進められたことで自立農民の対立が起こり境を示す塚が築かれた。頂上に昭和36年平和の像が設置された。

一体は平和公園と呼ばれているが、西武新宿線の高架工事で境塚以外は工事用地となっていた


【11:11 7.4km 八坂神社】


 祭神は素戔嗚尊(牛頭大王)とある。元々は牛頭大王であったものが明治の神仏分離で素戔嗚尊(スサノウノミコト)になったのだろうか



境内社の左端に「蚕影神社」(こかげ)がある、総本社は茨城県つくば市神郡にある
安中市に「蚕飼神」(こがい)があったがこちらは福島県会津若松市蚕養町に総本社
同じ養蚕の神様だろうが2系統あるのだろうか?



八坂小学校、本日(3月24日)はサクラの花弁が散る中の卒業式




八坂延命地蔵
昭和32年、ガード下でトレーラーにはねられ命を落した児童二人の菩提を弔ったものだという。
先の八坂小学校の児童だろうか、卒業させられなかった親御さんの無念を思う




八坂交差点は「九道の辻」と呼ばれる
九道の辻は、旧鎌倉街道のほぼ中間で、鎌倉まで十八里、高崎まで十八里の地点にあった。
江戸道・引股道・宮寺道・秩父道・御窪道・清戸道・奥州街道・大山街道・鎌倉街道の九本の道がこの地に分岐



「九道の辻」にある石橋供養塔と馬頭観音
石橋供養塔は元文5年(1740)、馬頭観音は明治34年(1901)の建立
九道の辻が東村山市と小平市の境 ここは小平市だろうか?




「迷いの桜」 小平市
1333年新田義貞の鎌倉攻めの際目印に植えられたが大正年間に枯れ、昭和55年に新しく植えられた
とあるが、今は切り株しかない



今日の昼食は九道の辻近くのインドレストラン・サティーでタンドリンチキンカレー(770円)




ブリヂストン パークウェイ(ハナウタコミチ)昨年11月に完成(小平市)
既存の樹木を利用したとあるが、大木が多く整備前の様子も知りたかった





鎌倉街道


【12:55 11.8km 鎌倉橋】

玉川上水に架かる鎌倉橋、右の橋名板が隠されているのは残念


玉川上水






上鈴木稲荷神社
陸軍経理学校から昭和24年に遷社



交差点にある厳島弁財天(国分寺市)



線路で分断された鎌倉街道、向こう側に続きの道が見える


【13:33 13.9km 熊野神社】


熊野神社の創建年代等は不詳、鎌倉幕府滅亡の際に兵火に罹災して焼失、その後天正18年(1590)にも焼失、慶長2年(1597)再建



武野山東福寺(真言宗豊山派)
開山は鎌倉時代初期と伝えられ、戦国時代の享禄元年(1528年)に中興 江戸時代前期の元和七年(1621年) 享保十年(1725年)に再興された


【13:52 14.6km 姿見の池】


鎌倉街道の宿場町だったころ遊女たちが自らの姿を映したという
昭和40年代(1965)に埋め立てられたが平成10年(1998)復元された
高度経済成長時代の開発からバブル経済を経て環境保全へ





国分寺公園近くの東山道武蔵路跡
東山道武蔵路は上野国(現在の群馬県)から南下して武蔵国府に至る往還路(東山道の支路)です。発掘調査の結果、幅12mの道路跡が台地上から谷部にかけて490mの長さで確認されました。そこで計画が変更され、地下遺構を保存して、現在の道路が築造されました。国分寺市HP 


【14:20 本村八幡神社】

武蔵国分寺のハケ(国分寺崖線)の森の中の一郭にあり、創設元和年間(1615~1624)と言われているのは定かではない




国分寺薬師堂 本村八幡神社の隣にある



国分寺仁王門
仁王像は二重格子状の囲いで写真撮影困難




国分寺跡
下の解説版には埼玉県鳩山町で造られた瓦が使用されていたので復元作業でも鳩山町のものが使われたと解説
「国分寺は天平宝字年間(757~765)頃に創建されたと考えられる。新田義貞と鎌倉幕府方による分倍河原の合戦(1333)により国分寺は焼失し、建武2年(1335)には義貞により薬師堂が再建されたと伝えられている。」
東京都教育委員会
 




国分尼寺跡
ここでとうとう本降りの雨となり最寄りの北府中駅へ向かう







本日の予定は多摩川を越え多摩市の小田急永山駅まででしたが
国分寺までで雨に降られ断念
鎌倉人は多少の雨でも旅を急いだのでしょうが
暇人は時間より健康第一とばかりそそくさと引き揚げてしまいました
こんな調子では何時目的地に着くのか心配になりますが
急ぐ旅では無いので何とかなるだろうと思い
「ケ・セラ・セラ」の歌詞が頭の中を廻る今日この頃です

 ↓そんな訳で 押していただくとたすかります





 地図



次の資料を参考にしています
 鎌倉街道を歩く(保存と活用のいま)   高橋光幸著  さきたま出版会:鎌倉街道上道の案内書
 旧鎌倉街道探索の旅 Ⅰ 上道・山ノ道編 芳賀善次郎著 さきたま出版会:鎌倉街道のバイブル
  五街道の旅:五街道はじめ脇往還・歴史街道など地図付きで詳しいホームページ 
  道・鎌倉街道探索日記:埼玉県内の鎌倉街道を地図と写真で詳しく解説
 「隠居の思ひつ記」:迷道院高崎(めいどいんたかさき)さんの軽快で詳細なブログ
上野国交替実録帳を読む(千年前の県政白書) 前澤和之著  みやま文庫:群馬を知る事典みやま文庫から
『ウィキペディア(Wikipedia)』
 熊谷デジタルミュージアム


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