春爛漫の紅のいろ

戦前の雑誌から鳥渡素敵な写眞をピックアップ

浦邊粂子 日活映畫「五色の魂」

2018年05月04日 | 戦前の雑誌(特に映畫)
映畫と演藝 昭和2年7月號

小津安二郎「早春」で、須賀不二男に「おっかさん腰巻下がってるよ」と言われると「嫌な子だねえ」と答える、あの浦辺粂子です。
溝口監督の勧めで老け役に廻る前は、こういう役をやっていたんです。あっと驚く水着寫眞もどっかにあるので探しときます。

本誌写眞の説明は次の通りです。
浦邊粂子未だ衰へず。「清作の妻」の昔に返って素晴らしい演出振りだ。
共演者は南光明。若き伯爵と伯母の側女加奈子との數奇を極めた戀愛物語で三枝源次郎氏が監督した。

子供の頃、見聞きしたこと

2018年05月03日 | 日記
1.喫茶店を「きっちゃてん」と言った小学校の教頭先生。
 夏休み前の朝礼で「きっちゃてんとか行っちゃダメですよ」。さすがに当時でも生徒は笑ったな。
 戦前の雑誌の記事には本当に「きっちゃてん」とルビが振ってあったりします。

2.下町の繁華街で、白い服を来た傷痍軍人が寄付をを求めていた。
 アコーディオンなんか弾きながら。

3.小学校の検便の結果、保健室に呼ばれた。
 おかげで、花粉症とは無縁です。

4.バスの中で、お母さんが赤ちゃんにおっぱいをあげていた。
 今なら大騒ぎだろうけど、当時は何とも思わなかったな。

5.洗濯機の脱水はもっぱらローラー式のハンドルを回して絞っていた。
 姉ちゃんのシミーズに空気が入って、ぐるぐるやってゐるうちにパーン!となった。絵日記にこのことを書いたら、先生も笑っていた。

6.テレビ番組がカラーになり始めの頃、カラー番組は画面の隅に「カラー」とか表示されていた。
 新聞の番組欄にもカラー放送にはマークがあった。
 白黒テレビのブラウン管の前にぶら下げる色の付いたガラスのフィルターまで売っていた。我が家も当然の’ように付けていた(貧)。

7.便所の落とし紙はねずみ色だった。
 いわゆる便所紙。あれは新聞紙をリサイクルして作ったのは明白だった。時々、新聞の文字が溶けずにそのまま読めるのが残っているものを見つけると、得意げに親に見せに行った。

8.持ち物に名前を書く。
 我が家は大家族だったので、下着類には全て目立たない場所にサインペンか何かで名前を書いていた。
 何か物を買ったら直ぐそれに自分の名前を書いていたな。今はしない。