タイ語板 肆の型ぁ~  4

あれってそれってどっちが先に出来たんだっけ 372 ~ ワルシャワ条約機構とNATO

あれってそれってどっちが先に出来たんだっけ 372 ~ ワルシャワ条約機構とNATO

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  • 投稿者:李中
  • 投稿日:2022年 3月10日(木)07時36分3秒

 

あれってそれってどっちが先に出来たんだっけ 372 ~ ワルシャワ条約機構とNATO(北大西洋条約機構)

 

 

たしかNATOの方が先だったかと、、

昔、社会で習ったような気もしますが、、 (汗

 

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防衛する คุ้มกัน คุ้มครอง ปกป้อง ป้องกัน /khúmkan /khúmkhrɔɔŋ /pòkpɔ̂ŋ /pɔ̂ŋ-kan

 

 

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M; 【ワルシャワ条約機構(Warsaw Treaty Organization/Warsaw Pact Organization)とは 】

 

冷戦期の★1955年、ワルシャワ条約に基づきソビエト社会主義共和国連邦を盟主とした東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟。ポーランドのワルシャワにて設立されたために「ワルシャワ」の名を冠するが、本部はソ連のモスクワであった[1]。「友好協力相互援助条約機構」(ロシア語: Договор о дружбе, сотрудничестве и взаимной помощи)が正式名。

 

西ドイツの再軍備および北大西洋条約を批准して北大西洋条約機構(通称NATO)に加入した事態に対抗して作られた。

ロシア語での略称はОВДまたはВДと表す。英語での略称はWTOまたはWPO、WarPac。なお、ワルシャワ条約機構の解散後に創設された同じ略称の世界貿易機構 (WTO) と混同されやすいためにTreatyではなくPactを用いたWPOの略称が多く使われる。

★この同盟の第一の目的はNATOへの対抗であった。 この当時、アメリカ合衆国とソ連の間では核開発競争が盛んであった。 核ミサイルを、アメリカはトルコに、ソ連はキューバに設置し、その照準を互いの国土に向けていた。こうした緊張によって❶キューバ危機 (Cuban missile crisis) なども勃発した。 当時のソ連はアメリカを脅威と見なしており、アメリカが西欧諸国に軍事的な支援を行うことに強く反発した。よって同じ力を保つためにワルシャワ条約機構を作り上げた。 集団的自衛権の行使を理由に❷ハンガリー動乱や❸プラハの春に軍事介入するなどソ連の制限主権論を実行する役割を担った。 民主化運動を牽制する目的もあったとされるソ連史上最大の軍事演習だったザーパド81にも参加した。

 

なお、NATOでは加盟国間での弾薬に互換性を持たせ、軍事活動を円滑化させる目的で弾薬の共通規格化(いわゆるNATO弾の制定)が行われたが、ワルシャワ条約機構では★共通規格の制定は行われなかったものの、ソ連製の銃器や弾薬とそのライセンス生産品(改良点のある派生型も含めて)がデファクトスタンダードとなっていた。しかし法規的な制定がないため、チェコスロバキア製のVz 61のような、NATO加盟国製の銃器で使用されている弾薬を用いたものも公式に採用されていた。

1989年の冷戦終結に伴い東欧革命が始まり、★1991年3月に軍事機構を廃止、7月1日に正式解散、12月にはソ連が崩壊した。

 

加盟国一覧

    ソビエト社会主義共和国連邦

    ブルガリア人民共和国

    ルーマニア社会主義共和国

    ドイツ民主共和国(東ドイツ)

    ハンガリー人民共和国

    ポーランド人民共和国

    チェコスロバキア社会主義共和国

    アルバニア人民共和国(1968年脱退)

    モンゴル(オブザーバー)

    朝鮮民主主義人民共和国(オブザーバー)

※マル覚; 「東(東ドイツ)にそ(ソビエト)び(ブルガリア)える(ルーマニア)ポーランド(ポーランド)、あっちは(アルバニア・チェコスロバキア・ハンガリー)北も(北朝鮮・モンゴル)」

 

  地理的に近い東欧の★①ユーゴスラビアは、第二次大戦中 ソ連軍の力を借りずドイツに抵抗し、自力での解放を成し遂げた経緯もあり、ワルシャワ条約機構には加盟しなかった。 1953年にはギリシャやトルコとの間で軍事協定「バルカン三国同盟」を結んで北大西洋条約機構と事実上間接的な同盟国となった。

  ②アルバニアは中ソ対立の際に中国寄りの姿勢をとり、★1962年事実上脱退。1968年、★ワルシャワ条約機構軍のチェコスロバキア侵攻に抗議して正式に脱退した。

  ③東ドイツは1956年加盟、★1990年のドイツ再統一(より厳密には東ドイツの連邦加盟、事実上は西ドイツによる東ドイツ編入)に伴い、旧東ドイツ区域も北大西洋条約機構 (NATO) の適用領域になる。

  ④ 旧ソ連(バルト三国※を除く)以外の旧加盟国は、2009年までに全てNATOに加盟した。また、2007年までに旧ソ連(バルト三国を除く)とアルバニアを除く旧加盟国が欧州連合 (EU) に加盟した。

※バルト三国; エストニア・ラトビア・リトアニア。バルト海の東岸、フィンランドの南岸に位置し、何れもロシ

アと国境をなす(リトアニアは飛び地)。

 

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M2; 【北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization;NATO 】とは

 

ヨーロッパおよび北米の★30カ国による軍事同盟である。 ★1949年4月4日に調印された北大西洋条約の執行機関である。 北大西洋同盟とも呼ばれる。

NATOは、独立した加盟国が外部からの攻撃に対応して相互防衛に合意することで、集団防衛のシステムを構成している。加盟国は、★域内いずれかの国が攻撃された場合、集団的自衛権を行使し共同で対処することができる。 NATOの本部は★ベルギーのブリュッセルのエヴェレにあり、連合軍最高司令部はベルギーのモンス近郊にある。

 

1949年の創設時は、フランス、ベルギー、オランダ、デンマーク、ノルウェー、英国、米国、カナダ、ポルトガル、イタリア、ルクセンブルク、アイスランドの12か国が原加盟国だった。その後、

1952年にギリシャとトルコ、

1955年にドイツ(西ドイツ)、

1982年にスペイン、

1999年にチェコ、ハンガリー、ポーランド、

2004年にエストニア、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、

2009年にアルバニア、クロアチア、

2017年にモンテネグロ、

2020年には北マケドニアが加盟し、全30か国となった。

NATOは2021年12月時点でボスニア・ヘルツェゴビナ、ジョージア、★ウクライナを加盟希望国として認めている。

さらに20カ国がNATOの平和のためのパートナーシッププログラムに参加しており、その他15カ国が制度化された対話プログラムに参加している。

★NATO加盟国の軍事費の合計は、世界全体の70%以上を占めている。 加盟国は、2024年までにGDPの2%以上の国防費を目標とすることに合意している。

 

歴史としては、第二次世界大戦が終わり、東欧を影響圏に置いた共産主義のソビエト連邦との対立が激しさを増す中で、イギリスやアメリカが主体となり、★1949年4月4日締結の北大西洋条約により誕生した。 結成当初は、ソ連を中心とする共産圏(東側諸国)に対抗するための西側陣営の多国間軍事同盟であり、「アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む(反共主義と封じ込め)という、初代事務総長ヘイスティングス・イスメイの言葉が象徴するように、ヨーロッパ諸国を長年にわたって悩ませたドイツ問題に対するひとつの回答でもあった。

 

当初はアメリカなどの一部でドイツの徹底した脱工業化・非ナチ化が構想されていた(「モーゲンソー・プラン」も参照)。 また連合軍占領下ではドイツは武装解除され、小規模な国境警備隊や機雷掃海艇部隊以外の国軍を持つことは許されず、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4か国が治安に責任を担っていた。しかし、冷戦の開始とともに西ドイツ経済の復興が求められ、主権回復後の1950年には西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の再軍備検討も解禁された。西ドイツは新たな「ドイツ連邦軍」の創設とNATOへの加盟の準備を始めたが、★フランスなどはドイツ再軍備とNATO加盟に反対し、欧州防衛共同体構想で対抗した。この構想は1952年に西ドイツを含む西欧各国間で調印されたが、ド・ゴール主義者たちの反対によりフランス議会で否決され、批准に至らなかった。この結果、フランスもドイツ再軍備を認め、ドイツ連邦軍が★1955年11月12日に誕生し、西ドイツはNATOに加盟した。 一方、この事態を受けてソ連を中心とする東側8か国はワルシャワ条約を締結してワルシャワ条約機構を発足させ[注釈 4]、ヨーロッパは少数の中立国を除き、2つの軍事同盟によって東西に分割されることとなった(冷戦)。

 

1949年から1954年まで、パウル・ファン・ゼーラントがベルギー政府とNATO双方の経済顧問を務めた。

第二次世界大戦から冷戦を通じて、西欧諸国はNATOの枠組みによってアメリカの強い影響下に置かれることとなったが、それは★西欧諸国の望んだことでもあった。二度の世界大戦による甚大な被害と、1960年代にかけての主要植民地の独立による帝国主義の崩壊により、それぞれの西欧諸国は大きく弱体化した。そのため各国は、アメリカの核抑止力と強大な通常兵力による実質的な庇護の下、安定した経済成長を遂げる道を持とうとした。

 

東側との直接戦争に向け、★アメリカによって核兵器搭載可能の中距離弾道ミサイルが西欧諸国に配備され、アメリカ製兵器が各国に供給された(「ニュークリア・シェアリング」)。 ★途中、フランスは米英と外交歩調がずれ、独自戦略の路線に踏み切って1966年に軍事機構から離脱、そのため、1967年にNATO本部がフランス首都パリからブリュッセルに移転した。一方、戦闘機などの航空兵器分野では、開発費増大も伴って、欧州各国が共同で開発することが増えたが、これもNATO同盟の枠組みが貢献している。★航空製造企業エアバス誕生も、NATOの枠組みによって西欧の一員となった西ドイツとフランスの蜜月関係が生んだものと言える。

西欧はアメリカの庇護を利用する事によって、ソ連をはじめとする東欧の軍事的な脅威から国を守ることに成功した。「冷戦」の名の通り、欧州を舞台とした三度目の大戦は阻止された。つまり、★NATOは冷戦期間中を通じ、実戦を経験することはなかった。

 

冷戦終結後と東方拡大

1989年のマルタ会談で冷戦が終焉し、続く東欧革命と★1991年のワルシャワ条約機構解体、ソビエト連邦の崩壊によりNATOは大きな転機を迎え、新たな存在意義を模索する必要性に迫られた。1991年に「新戦略概念」を策定し、脅威対象として周辺地域における紛争を挙げ、域外地域における紛争予防および危機管理(非5条任務)に重点を移した。また域外紛争に対応する全欧州安保協力機構 (OSCE)、東欧諸国と軍事・安全保障について協議する北大西洋協力評議会 (NACC) を発足させた。

★❶1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナにおける内戦では、初めてこの項目が適用され、1995年より軍事的な介入と国際連合による停戦監視に参加した。続いて❷1999年のコソボ紛争ではセルビアに対し、NATO初の軍事行動となった空爆を行い、アメリカ主導で行われた印象を国際社会に与えた。

 

一方で、ソ連の崩壊によりソ連の影響圏に置かれていた東欧諸国が相次いでNATOおよび欧州連合 (EU) への加盟を申請し、西欧世界の外交的勝利を誇示したが、拡大をめぐる問題も発生した。旧東側諸国の多くがソ連の支配を逃れてNATO加盟を希望する一方、★ソ連崩壊より誕生したロシア連邦は国力を回復するとともに、NATO東方拡大に警戒・反発を表明しているためである。1991年にソ連も参加して発効されたドイツ最終規定条約では西ドイツを継承する統一ドイツにNATO加盟国としての地位を認める一方で旧東ドイツ領域での外国軍部隊駐留を禁止することが規定された。1994年、「平和のためのパートナーシップ」(PfP) によって、東欧諸国との軍事協力関係が進展。1997年5月にNATOとロシアはNATO・ロシア基本文書に署名し、★NATOは新加盟国に対して外国軍部隊について大規模な部隊を恒久的配備しないとした(そのため、新加盟国ではNATO加盟国の外国軍部隊は短期間でローテーションで駐留する方法を取っている)。1999年に3カ国(ポーランド、チェコ、ハンガリー)、2004年に7カ国(スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、旧ソ連バルト三国および旧ユーゴスラビア連邦のうちスロベニア)、2009年に2か国(アルバニアと旧ユーゴスラビア連邦のクロアチア)が加盟。旧ユーゴスラビア連邦からは2017年にモンテネグロが、2020年には北マケドニアが続いた。

 

こうして旧ワルシャワ条約機構加盟国としては、バルト三国を除く旧ソ連各国(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバなど)を残し、ほかはすべてNATOに引き込まれた。

★ロシアがクリミア危機・ウクライナ東部紛争などで見られるように、東欧・北欧諸国に対して威嚇や挑発を強めているため(「新冷戦」参照)、ほかの国々にもNATO加盟を模索する動きがある。 政府がNATO加盟を希望する国としてはウクライナ、ジョージアがある。

★スウェーデンやフィンランドでもNATO加盟を求める世論が台頭している。 両国はNATOの軍事演習に参加している。

「ノルディックバランス」も参照

 

2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件への対応については、10月2日に北大西洋条約第5条を発動し、共同組織としては行動しなかったものの、❹アフガニスタン攻撃(アフガン侵攻、イスラム武装勢力タリバンをアフガン政府から追放した作戦)やアメリカ本土防空、領空通過許可等の支援を実施している。その後の対テロ戦争には賛同しつつも、各国が自主的に参戦するに留め、新生アフガン軍の訓練にNATOの教官が参加することで協力した。

 

しかし、❺2003年のイラク戦争にはフランスとドイツが強硬に反対したために足並みは乱れ、アメリカに追従するポーランドなど東欧の新加盟国と、独仏など旧加盟国に内部分裂した。

❺2005年にはアフガニスタンでの軍事行動に関する権限の一部が、イラク戦争で疲弊したアメリカ軍からNATOに移譲され、NATO軍は初の地上軍による作戦を行うに至った。❻2006年7月にはアフガンでの権限をすべて委譲され、NATO加盟国以外を含む多国籍軍である国際治安支援部隊 (ISAF) を率いることとなった。

詳細は「国際治安支援部隊」を参照

 

米露新冷戦

2000年代後半に入り、アメリカが推進する東欧ミサイル防衛問題や、ロシアの隣国であるジョージア(グルジア)、ウクライナがNATO加盟を目指していることに対し、経済が復興してプーチン政権下で大国の復権を謳っていたロシアは強い反発を示すようになった。2008年8月にはグルジア紛争が勃発、NATO諸国とロシアの関係は険悪化し、「新冷戦」と呼ばれるようになった。★ロシアは2002年に設置されたNATOロシア理事会により準加盟国的存在であったが、2008年8月の時点ではNATOとの関係断絶も示唆していたが、2009年3月には関係を修復した。

 

ロシア-ウクライナ戦争 詳細は「クリミア危機・ウクライナ東部紛争」および「2022年ロシアのウクライナ侵攻」を参照

しかし★ロシアはウクライナ、ジョージアのNATO加盟は断固阻止する構えを見せており、ロシアのウラジーミル・プーチン首相は、もし2008年のNATO-ロシアサミットでウクライナがNATOに加盟する場合、★ロシアはウクライナ東部(ロシア人住民が多い)とクリミア半島を併合するためにウクライナと戦争をする用意があると公然と述べた。そして、プーチンの言葉通りウクライナにおいて親欧米政権が誕生したのを機に、クリミア半島およびウクライナ東部でロシアが軍事介入を行い、ウクライナ東部では紛争となった(クリミア危機・ウクライナ東部紛争)。

2017年にアメリカで大統領選挙中からNATO不要論を掲げたドナルド・トランプが大統領に就任すると、アメリカとそれ以外の軍事費負担の格差に不満を隠さなくなり、2017年7月にはトランプがNATO総長との朝食会の場で、ドイツなどに対して軍事費負担の少なさについて不満を展開。「こんな不適なことに我慢していくつもりはない」と主張するなど、アメリカの関与を縮小する意向を示している。2019年1月にはトランプがNATO離脱意向を漏らしたと報道された。

★2020年、アメリカが領空開放条約から離脱したことを受け、ロシア側も翌年に離脱した。

 

2021年12月、ロシアは新たにNATOへの加盟を求めるウクライナに対して、★ウクライナ周辺の4か所にロシア軍の部隊を集結させ最大17万5000人規模にまで増強し、★年2月24日にロシア軍がウクライナへの全面侵攻を開始した。

 

介入した紛争

NATOが介入したのは❶ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、❷コソボ紛争、❸マケドニア紛争、❹アフガニスタン紛争 (2001年-)、❺;2011年リビア内戦である。

2011年リビア内戦においては、2011年3月17日にリビア上空の飛行禁止区域を設定した国連安保理の国際連合安全保障理事会決議1973が採択されたことを受け、3月19日よりNATO軍が空爆を開始し、反体制派のリビア国民評議会を支援。 リビアが崩壊する最大の要因となった。 (Wiki)

 

 

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初版20220310 未だ夜は冷えますね、、春遠し、、

 

❷国際情勢・ウクライナ侵攻問題関連

露への人道提案 ウクライナ側は反発

ゼレンスキー首相 脱出整うもウクライナ残留 表明

④コロナ関連

東京 先週比減 > とはいえ、未だ1万人以上ですから、、

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