1945年8月15日から70年。
台湾にとっては光復70年。
台北の街を歩いていても、「抗日戦争勝利70年を紀念するイベントをやっているから来て」という宣伝を見ることができた。
ここにはあくまで中国で日本と戦った中華民国としての歴史が流れている。
その中華民国を率いて日本と戦った蒋介石の紀念堂。
敬意を持って顕彰されている。
中華民国国軍の儀仗兵による衛兵交代。
台北に一度でも訪れたことのある人なら、きっとこの衛兵交代を見ていることだろう。台北では他にも、孫文を顕彰する国府紀念館、そして中華民国建国以来の英霊を祀る忠烈祠などでも衛兵を見ることができる。いずれも、中華民国の歴史が脈々とここ台湾の島に流れていることを強調している。
従って中華民国台湾としては、抗日戦争を振り返ることは非常に大切なことである。台湾で最も厳粛な場所のひとつであるここ中正紀念堂でも、当然のように戦争を振り返る展示を行っていた。それを見学に来たのだが・・・
国民の英雄である蒋介石があまりにもプリティーになりすぎている。
ここまで可愛くなっていいものだろうか。あくまでも国民の偉大なる指導者だろうに。しかもここは中正記念堂だぞ!そのように考えつつ歩いていたら、お菓子売り場を見つけた。そのお店の名前は「中正紀念糖」。「糖」は飴のこと。しかも「堂」と発音が同じ。こんなダジャレをして喜んでいる場合か、中正紀念堂!
お、あった。「対日抗戦真相特展」。
心を引き締め、身を正して見学に・・・
沢山の絵で戦争を伝えている。
重慶爆撃!
首都南京が敵の手に落ちても、蒋介石はここ重慶に遷都し、抗戦を継続。日本軍は連日爆撃を敢行するが、ついに陥落させることはできなかった。日本にとっては海軍のゼロ戦が初めて実戦を戦った戦場でもあった。
次に見た絵は、ヒマラヤ越え(Over the Hump)!
そういえば、このヒマラヤ越えを調べていた研究者(航空自衛官)と話をさせていただいた経験がある。
彼の言葉に「ヒマラヤ越えは乱気流が激しく無謀であり危険であった。従って、非常に多くの米軍輸送機が墜落した。その残骸が航路に沿って残っていた。米軍パイロットたちはその残骸を道しるべとして重慶を目指した」とのことだった。日中戦争を戦う中国(蒋介石)を命がけでアメリカは支援したのである。
中国支援と言えば忘れてはならないビルマルート。険しい山を切り開き、日本軍から飛んでくる榴弾砲にも負けず、輸送物資が運ばれた。それにより蒋介石は抗戦を継続できた。
そのビルマ・ルートの絵を見ていると、隣の展示場案内が見えた。
よく見ると、「変形金剛」、つまりロボットのトランスフォーマーのことなんだが・・・
命を懸けて戦った抗日戦争の70周年目を記念する展示のとなりでなんでトランスフォーマーなんだ?しかも、中国と日本の血みどろの戦いの運命を決めたあのビルマルートの絵の横がその入り口とは・・
上を見ると、蒋介石の勇ましい演説の姿と日本の降伏式の写真がプリントされた「対日抗戦真相特展」と並んで変形金剛展の断幕。
なんでやねん・・・
こんなことでいいのか?中正記念堂の「対日抗戦真相特展」よ!もっと緊張感をもって戦争を語れよ、中正紀念堂!