コリント人への手紙第1.15/43〜44
[卑しいもので蒔かれ、栄光あるものに甦らされ、弱いもので蒔かれ、力あるものに甦らされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだに甦らされるのです。]
エノク牧師のメッセージからの抜粋
(私たちは、いつか必ずこの肉体を脱いで、天に帰らなければなりません。しかし、それがいつであっても、[主様、備えは出来ております。私はあなたの御許に帰ります。呼び返してくださることを感謝します。]と告白できるなら、どんなに幸いなことでしょう。古代ユダ王国にヒゼキヤという王がいました。神の御心に従って、宗教改革を断行し、完全な心で神に仕えました。しかし、病気になり、預言者イザヤを通して神から死の宣告を受けた時、絶望し、神に延命を求めます。神はその願いをお聞き届けになりますが、彼が生き延びた残りの15年は、その心は神から離れ、ユダ王国を滅亡に進ませる時となったようです。天地を造られた神が[帰って来い。あなたの家を整理せよ。]と声をかけてくださる時が必ず来ます。しかし、それは絶望の宣言ではないのです。私たちを最後に輝かせてくださる時を備えておられるのです。十字架と復活によって永遠の命の道を私たちの為に開いて下さったキリストが私たちを招いてくださっています。私たちもキリストと同じように死に、同じように蘇ることができるのだと。絶望してはなりません。)
最近、よく聞く言葉があります。スピリチュアルな若者がよく使っています。(死)(亡くなる)とは言わずに、(帰って行った)と言っています。ある意味で、正確な言葉だと思ってしまいました。
POEM
母の歌(詩)
薄暗い部屋の片隅で
二つの影をおいながら
母は妙な声で歌い出しました
母にとって
歌らしきハミングは
何十年ぶりでしょうか〜
甘酒を煮詰めながら
はるか向こうに視線を移し
母は歌います
母にとって
過去を振り返る余裕が
できたのは嬉しい事だけど
子供の私にとって
その歌は〜
なぜか 涙する歌です
母の膝に抱かれていながら
母と一緒に歩んでいながら
その歌は〜
これからの人生に
奇跡を与えるものになりそうで