本、映画、時々ねこ

好きな読書と映画、そして愛猫について記録します。

友の死

2020-09-09 11:52:51 | Weblog

早朝、その電話は掛かってきた。最初は寝ぼけていて、アラームと勘違いし、携帯をスクロールしてしまった(そうするとアラームが停止するため)。でも、画面に友人の名が出ていて、あん?間違って、電話掛けちまったか?と、自分からの間違いコールの名残かと思って、そのままスルーしていた。さて、出勤時間が近づき、用意万端整ったところで、2回目の電話。出てみると、男の人の声。うん?え?あん?でも、その時すでに頭の中で警戒音が鳴りだしていた。相手からおもむろに名乗られて、瞬時に理解してしまった。私の長年の友人が亡くなったのだ。前日の夜11時過ぎであったそうだ。実は、その日、勤務中に左腕にしていた腕時計がぶっ飛んでいったのだ。ネジが飛んだと思われるものの、ネジはそのまま付いた状態で、なんとも不思議な外れ方で、時計ごと飛んでいった。その時、私はその時計をくれた相手に何かあったのではと、内心気が気ではなかったのだ。家に帰って、相手にコンタクトを取ると、ちゃんと返信があったので、ああ、やれやれ問題ないのねと、ひと安心。でも、彼ではなく、違う人の身に起こっていたのね。それも、私の大事な友人に。電話をくれたのは、彼女の弟さんで、彼女との会話の中にいつも出てくる人なので、知らない人の気がしない。彼女は亡くなる少し前まで、会話が出来ていたようで、私にもちゃんと知らせて欲しいとのことだったそうです。通夜や葬儀への参列も是非とのことで、弟さんが彼女の依頼で、あちこち電話でお知らせをしていたようです。ありがたいことです。でも、会話中にも、悲しみが押し寄せてきて、泣くのを止められなくなりました。彼女と私の出会いは、今から26年程前のこと、ある会社に入社したときの事務員が彼女で、お互い、話すうち、自分の時間の使い方の好みが似ているということで、分かりあえる相手になりました。彼女も私もみんな一緒にご飯!というのが苦手。昼時はさっさと一人で食事を済ませ、空いた時間は一人で読書でもしていたいというタイプ。まさに私のパターンで、休憩時間を誰とも共有したくない派。というわけで、彼女と昼食に行くということすらしない。あっても、その会社に勤務していた間で、1回あるかないか。そういう尊重100%(自分勝手ともいう)の間柄。そんな偏屈な女はそうそうは居ないため、そんなことで仲良しになったとも言える。もちろん、友人で仲良しな私たちは、そこをお互いに辞めてからも、つきあいは継続し、映画も行くし、旅行も行くし、ひとりが好きな人との旅行はお互いを邪魔しないので、非常に楽。例えば、女同士の旅行で、部屋を一緒にしようなどと言い出す時点で、すでに一緒には行けないわけで、彼女との間ではそういう心配が先ずない。という大事な友人を私は昨日亡くしてしまったのだ。。。。

彼女と初めて、海外旅行に行った2015年、その年の夏、ハガキが届いて、その文面で乳癌、しかも両胸に罹患し、手術すると知った。前々から予感はあったようだが、まさか両胸とは、彼女も驚いたようだった。彼女は長女の身で、長病みの母を看取ったその数か月後、同じ年内に父までも亡くし、それぞれの看病に献身していた間に、自分の変調は先送りした結果が、それなのだった。残酷だ。そして、術後は予後があまり良くなかったようで、私も実際に会えたのは、1回のみ。あとはメールやラインでのやり取りで、無事を確認しあってきた。通院の日々と言っていたので、あまり調子がよくないのであろうと察してはいたけれど、その間にも癌は内臓のあちこちに転移をしていたのだった。

しかし、自分が死んだあと、こんな風に書かれて彼女は嬉しいだろうか。私は記憶に遺しておきたいと記録しているけれど。ここまでにしておこう。

私より少し若い友人を亡くして、私はどうしてよいかわからない。

 


2019の終わりに

2019-12-31 21:53:55 | Weblog

あれあれ、投稿をさぼっている間に、なんと大晦日だ。最終投稿が4月の終わりだと。八ケ月も一体何しとったですかね、わたくしは。ふーむ。。。今年は概ねまったりの一年であったわ。別名、つーまーらーん一年ってことね。特別に記することがなかったわけで、では、今日、何かイベントがあったかというと、残念、何もない。が、ブログを開設している以上、ちょっとは書かないとなあ。概ねのまったりの果てにダイエットするはめになり、今、トレーニング中。まだ開始したばかりなので、効果より筋肉痛との闘いの最中。なんといっても、運動後、かなり経ってから、あちこち痛み始めるため、大変な目にあっている。私ってば、かなりデブになっとったです。体重そのものは2,3kgの増加だが、体型が気にいらんの。鈍重なイメージね。優しい同僚は、人生の厚みが増したってことねんと、慰めてくれるが、て!ただの肉厚です。年とともに気にいらない所が、外見、中身ともに出来てきて、修理に忙しいわ。半日ドックの結果、肺に影ありで、CTを撮りに行ったら、先生はコレステロールの話をし出し、それも薬はやめとけ、適切な食事と適度の運動でなんとかせよときたもんだ。しょうがない、聞くだけ聞いて、実はそっちじゃなくて肺を見て頂戴と改めてお願いしたら、ドックの結果の紙を見て、CT撮っても多分なんも出んよー。それでも撮っとく?とえらく軽いのだ。先生の見立てのが合ってるんだろうけれど、万が一は何にでもあるだろうから、撮っとくうと、お願いした。で、結果はなんもなしで、めでたしめでたし。おいしい食事の1回分が肺に消えたってとこです。でも、私は元喫煙者な訳で、肺に問題が生じても文句は言えない立場ではあるので、今回の結果は真摯にありがたいと思っています。そんなわけで、来年(あと2時間ほどで)は健康維持と、ちょっと活動的に生きていこうと決めた。ひょっとして、大きな変化もあるかも。もともとがコンサバで、山は動かずくらいの尻の重たさが、ここ数年同じところに居座る結果にもなっていて、それに満足しているかというと、ただ動くのがめんどうなだけで、色々なことも目をつぶってきただけなので、ここらでちょっと自分を出してみるべきだなと、新年を控えて自分の背中をしょうがない自分で押してみているの。ああ、誰かどん!と押してくんないかしらん。大きな手、所望!まあ、平和な1年に感謝して、年越しそばをいただきます。みなさま、良いお年を。


断捨離中

2019-04-29 14:13:49 | Weblog

世間様は10連休ということで、大移動中の方も多々。私は中2日がど仕事!平成ラストの日と、改元初日に仕事入れました。今回は意図的に入れました。なので文句は言えない。連休最後の日も次の日の恐怖軽減のため、これまた意図的に入れました。ので、都合3日間は仕事に行くよ。さてね、今回の年度末はなんだかここ数年と様相が変わり、あんまりクソ忙しくなかったわー。もちろん、通常よりは忙しいんだけど、お手洗いに行けないほどでもなく、昼食を早めに切り上げることもなく、お客たまがL字型によそ様の区域にまで侵入して並ぶこともなく、ええ感じでござった。

というわけで(そこになんら関係はないのだけれど)、なんだか家の中を整理したくなり、始めましたよ、断捨離。本棚に友人からもらった断捨離のしかたの本があったので、参考にしつつ、まずは本から。前々から処分したい分を分けてあったので、それプラス今回気持ちの整理がついて捨てても後悔しないわん、という本をまとめ、買取サービスに出しました。金額は、ま、はなから期待しておりませんで、引取もただだし、送料を考えれば、あんなものではなかろうかというくらいの金額が後日、振込まれてきた。本はとりあえず完了。次は衣類。これも結構思い切って捨てた。衣装ケースがひとつ空になる程度。それから、押し入れの奥にある思い出BOX。これは何かというと、旅行に行った記録とレシート類、現地の通貨の残りや記念の絵ハガキとか、エアチケットの半券とか。スケジュール表とか、保険の証書などなど。1回の旅行につき、それらを見れば旅の行程が思い出せるというようなもの達をポケットファイルにどんどん詰めていったため、旅行は1回だけではないので、どんどんたまったんだわ、ファイルが。5冊もあったのを、なんとか3冊にした。それも薄手のファイル。ああ、すっきりいい。その隣にまだ手をつけられない写真関係のファイルがごっそり。これは最後にするけど、最後というのはフィルムスキャナーを入手してからという意味どす。なんかこう言ってても、どれくらい捨てたかピンとこないと思われるが、段ボール箱で8箱。ゴミ袋可燃ごみ用で12袋(もっぱら紙の裁断でかさが膨大になったせい)。資源ゴミ袋で6袋。卓上の飾り棚を分解してポイ。組み立て式の下駄箱を分解して、これは一般では出せないため、押し入れに待機。おかげさまで、寝室がとても簡素になり、寝ることに集中できそうだ。しっかしねえ、ひとり暮らしで、何故にこげに物があるだかね。どんだけ無駄にお金を物に換えてきたんだろ。

この断捨離のせいで、紙ダニ、もしくはチリダニあたりにやられたと思われるが、体中がかゆい!赤い小さな発疹が毎日、体のあちこちに出没いや出たままで、非常にひとつひとつが痒いのだ。医者に行きたいが、連休にてどこも休診。まいった。痒み止めの軟膏を取り合えずの対処で塗りたくっているけれど、追いつきません。これ以上掻いたら健全な皮膚がなくなりそうだわ。あーあーかーゆーい~!!

 


いわゆる年度末

2019-03-02 13:23:50 | Weblog

ねっ。社会人になっと、大体が期の初めは4月で終わりは当然、3月だから、私も今は社会人で、年度末を迎えているの。で、この3月末が大嫌いになっとお。この仕事に就いて以来、3月、4月はあまりの忙しさに身体がボロボロになるのだ。疲れがたまると色々なところが傷んでくるけれど、新規に悪いところが出なくても、過去の病いがぶり返す。人生長いので過去の病いも多数。それが、この時とばかりに勢ぞろいする。。。しなくてもええんですわ。腰痛、歯痛、腱鞘炎、首痛、エトセトラ!で、なんとだね、今回の繁忙期の入口ですでにお手手がひどいことになっとお。これまで指の腱鞘炎やバネ指は経験あるけど、このたび、初めて手首がいかれました。。。毎週のマッサージで1週間の疲れをメンテしてもらっているんですが、主治医に、手首の親指側を指して、「ここがとても痛い、これは何故じゃ?」と尋ねたら、「ハイ、親指を中にして、ハイ、握りこぶしを作ってえ、ハイ、小指側に曲げてみてえ。」「痛ったあああああああい!。。。」「ハイ!腱鞘炎ね!」はあーー。。。もう、大当たり。先生も、あまりの分かり易い症状に呆れてしまったくらいどす。今は、冷シップとテーピングをしていますが、症状はひどくなる一方で、次の通院はもっぱら腱鞘炎ターゲットだわあ。先が思いやられるです。この先、お手手からどっち方面に行くですか。生きて、5月を迎えられるかしらん。不安。。。

先回のサムソナイトの続きですが、めでたく車輪の交換が出来たぞ!なんとまあ、時間がかかったぞ!のこぎりも3回買い直したぞ!今、我が家にはのこぎりがいっぱいあるぞ!買った車輪は静音加工されているので、もう引きずってもゴロゴロ言わんぞ!かなりええぞ!ひとつだけ問題があるんだ。それは。。私の力で六角ねじを締めたわけで、ちゃんと使用に耐える強さかどうか不明だぞ!ごろごろ引いているうちに、はずれるかもしれない可能性はなーきにしーもあらーずだぞ!ま、いずれにしても出来たもんねええ。

そして、この年度末が無事済んで、生きて5月を迎えられたら、いよいよ旅行だぜい!神様、どうか、このお手手だけにしておくれ、あと、肩こりくらいなら許容範囲だわ。


32年目のサムソナイト

2019-02-02 16:30:59 | Weblog

ねー。どうよ、この物持ちの良さっちゅうか、貧乏ったらしいっちゅうか。初めての海外行の時に購入したものを、ずーっと、もうずうううっと、たとえ、ジッパーがいかれても、鍵を壊されても、都度修理をしてもらいながら、生きながらえてきちまったよ、こんにちまで。で、この度、めでたく車輪がボロボロになったのを機に買い替えをしようと、ネットで色々候補を探していて、同じサムソナイトの似たようなんを見つけて、購入!と、あとポチっとするとこまで来たんだけど、いんや、待てよ、車輪だけ交換すればええんでないかい?と、思い当たり、検索してみると、同じ考えの人は他にもいっぱいいて、自力交換動画までていねいにアップしてくれているではないか。それなら、あたくしにも出来んこたなかろというわけで、さっそく車輪セットをネットで購入。でだね、今、その動画の手順に倣ってまずはぼろぼろゴムをはがすとこまで完了。次にのこでネジ部分をカット。これがねー、時間がかかるだよ。1か所切るのにどんだけ時間かかんだか。もうすでに肩が痛いわ。ステン用のこでごりごりぎりぎりしこしこ切ってるんだけど、すぐに疲れて、すぐに飽きちゃう。それで、合間にこれ、書いてんですけどね。なんで、わざわざ車輪だけ替えてまた使おうとしているかっていうと、実はこの子のデザインが気にいってるんよ。使い勝手もよくて、ソフトケースなんで、放り投げられているうちに、あちこち傷んでいるんだけど、まだまだ丈夫で、なにしろ、ポケットがいくつもあって、結構、物がきれいに収まるですよ。最も、買うときに大層気に入って買っているわけだけで、それが使ってみてさらに気にいってしまっているわけだから、なかなか捨てられんわね。でもね、サムソナイト君に内緒だけど、私が本当に欲しいのはTUMIのソフトケース。でも、TUMIはやはりそれなりにお高いので、ちょっと勇気がいるですよ。いつかは欲しいけれど、私はきっと、買えないまま、ずっとサムソナイトで生きていく(おおげさな。。。)。物を買い替えるということで、一度だけとても後悔したことがあるの。それはまだ使える電気炊飯器を、ちょっとばかりデザインが古くなったからといって、今風のものに買い替えたものの、機能的にも全く問題なく、内釜に至っては、前のんがしっかりしていて、保温しても味が変わらず本当に良い子だったのを見捨てて、新しい男(電気釜は男性名詞か??)に心変わりし、罪悪感いっぱいだったの。古い子を捨てたとき、燃えないゴミの日に出したにも関わらず、しばらく持ってってもらえなくて、ゴミ収集場所を通るたびにそこ子がポツンといて、本当にいっそ、持って帰ろうかと思ったくらいだったの。だから、絶対に使えるものを気まぐれに買い替えるのはやめようぜ!と、心に決めたのだい。ほんと、私もそのくらいに思って扱ってもらいたいもんだわ。。。

ところでね、ようやく試験に受かった!ですよ。まあ、3年がかりでござったわ。今回、落ちてたら、諦めて違うものに挑戦しようか、それとも、もう1回だけ頑張ろうかと逡巡しておったとですよ。だいたいが、試験の出来がまったく自信がなくて、こら無理だわと思っていたけど、まあ、とりあえず、結果くらいは見ておこうかと、期待もなにもなく、合格者欄を眺めていたら、え?え!ええええ!!私の名前があるよお。あ、待って、これって落ちた人のほうを載せている?まさかねえ。ということで、これ、会社の昼時に食堂へ行く途中の階段でスマホで見ていたんだけど、丁度、同僚が通りかかったので、一緒に見てもらって確認してもらったわ。で、受かっているので間違いないとわかったですよ。いいのか、ほんとに、受かっちゃって、あんな下手な論文で。一体だれが、どんなお慈悲で合格にしてくれたんだか。本当にありがたいことです。ということで、受かったので、さらに違う資格に挑戦することに決めた!私は、勉強バカだわあ。のこぎり作業にそろそろ戻る。夜までにはなんとか目途つけたいもん。


葬送の仕事師たち

2019-01-01 10:03:05 | Weblog

井上理津子著の葬儀業界で働く人々を題材にしたルポタージュ。ルポなんで、全く嘘のない、業界の話満載です。いやあ、正月からいきなり、死に話でなんだがな。実際問題、ひとは生まれた時からまっすぐに死に向かって一心に生きていくわけなんで、ま、いっか。そういや、医者の書く死亡診断書でも、死因が老衰の場合、その期間の基準はどこだ?老衰の始まりが生まれた時と解釈するなら、死んだ年齢そのままが期間に相当するし、病院に入院した時からを記録する医者もいるだろうし、施設への入所時を期間の最初とする医者もいるだろう。あるいは、いつから老衰なんて調べようもないから不詳とするのが正解かなあ。あ、今のは単なる興味の疑問ね。本題に戻る。この本を読んで、最初に思い出したのが、本木雅弘さんが主演した映画「おくりびと」。納棺夫の仕事を描いたお話ですが、映画化に際しては、実話と違う部分に原作者のゴーサインが得られず、あくまでノンフィクションベースのフィクションということでの映画になったものですが、それでも、これまで未知の世界だった死を取り扱う現場の人の話は超新鮮で、驚きものでしたわ。葬送にはその過程で様々な仕事師(死体に関してはエンバーマー、納棺師、葬儀では葬儀社、火葬場職員など)が関わっていくわけですが、遺族にとっては、とにかく葬儀をなんとか無事に終えなくてはならないというそれだけで必死(私も両親を早いうちに亡くしているが、覚えているのは魂の抜けきった血の気のない顔が冷たかったわあ、という程度。ああ、鼻に詰めた綿花が息苦しそうだなあとか、口がなかなかうまく閉じないなあとかね。)。儀式はなんだかローカル電車に乗っているかのように、ゆらゆら揺れているうちに終わった感じなのである。だから、裏でどれだけの人が動いてくれて(もちろん、お金を払ってプロを雇っているわけだから、つつがなく事が運んで当たり前ではあるけれど)、ちゃんと骨になるまで見送れたかを慮るゆとりもないし、大体が慌ただしくって、悲しむ暇もない。今回、なんでこの本かというと、その前に海外死体搬送のお話「エンジェル・フライト」を読む機会があって、それはそれで生々しいお話なんだけど、そこからもう少し現場の話を知りたくなって、至ったわけです。私のお見送りはすでに済んだ話なんで、これから先、誰かを見送るとか、自分もいずれお世話になる側として、それなりの知識があってもええではないかと思った次第。もちろん、自分が死んでしまえば、そのあと、どうしてくれようとくれなかろうと、知ったこっちゃないことではあるけれど、この仕事の大変さを思うと、これから葬儀の見方が少し変わるかもです。もっと敬意を払われるべき仕事ですわ。私ははっきり言って、生きている人の介護の仕事も看護も、死んだ他人に関わる仕事も、おそらく一切無理な気がする。人に触るのも触られるのもあまり好きではない私が、全くの他人のぐにゃぐにゃの生暖かい体を触るのはむずかしいし、死んでカチコチの冷たい体もやっぱり無理だわ。何より、自分が死んだら、骨ではなく骨粉にしてもらって散骨を希望している身としては、死体に構ってもらいたい希望はないのだ。これは個人の死生観に関連するので、あまり他に自分を強要する気はないので、あくまで個人的な考えね。で、自分のことはさておいても、葬送の仕事師たちのプロ仕事は尊敬するし、この先、いよいよ死者数は増える一方の超高齢社会、彼らの仕事なくしては成り立たない。特に死者の一番最後の立ち合い人は火葬場で死体を骨にしてくれる職員。彼らの献身がなければきれいに骨にならないということが本を読んでわかった。本当に大変な仕事である。私を焼くときは粉になるまでよく焼いてください。と、生前に遺しておかねば。こうしてさらっと書いてはいるけれど、どの死にまつわるエピソードもひとつひとつが重たいです。当たり前です。人の一生を文字通り燃焼させる仕事ですから。

そんなわけで、今年、まだ死なないような気がする私は、死に向かって頑張って生きねば。


2019 お正月

2019-01-01 00:59:36 | Weblog

やだわあ。ついさっき、年末最後の記事を書いたばっかだし。でも、時間がね、新年だと言ってござるわ。書初め?いや、打ち初めか、これは。そういや除夜の鐘は108個目が年明け0:00過ぎだそうで、へええ、だね。人の煩悩の数が108ということらしいが、そんなだけかい?もっとありそうだがな、人生が長くなればなるほどに。だで、生まれたての赤ん坊には煩悩はなかろ。もし、あるとすれば、人の三大欲求といえば、食欲、性欲、睡眠欲だから、そのうちの食欲と睡眠欲が煩悩っちゃあ煩悩かな。

今年の話はまだなーんもない(当たり前だわ)から、去年(ふふ、たった数十分前のことも去年だわあ)見た映画でうまくここに書けなかったものを挨拶代わりに紹介しとこ。「Maudie」画家:モード・ルイスを描いたしあわせの絵の具という映画(DVD)を観ましたよ。カナダの小さな港町で好きな絵を描き続けて一生を終えた女性のお話ですが、何に惹かれてこの映画を観ようと思ったかというと、プリヴューで観たモードの夫役のイーサン・ホークの演技がちょっと良さそうだったので、彼の出ているのを見るのは久しぶりだなあと思いながら、手に取ってみると、彼の演技ははずれなく良かったですが、それよりなにより、モードの描く絵が素晴らしく、最初は挿絵みたいに紙切れの裏に描いていたのが、板切れに変わり、彼女と夫の住む家のガラス窓がキャンパスになり、壁絵になりと、ありとあらゆる平面に描き放題。私が惹かれたのは牛さんの絵。同じ2頭の牛の絵で、夏の牛と冬の牛があるのだ。まるで子供が描いたような牛で、まつげも上下にばっちり描いてあって、おめめパッチリの牛さん2頭がこちらを見つめているの。冬と夏では背景が違うだけなんだけど、なんだろ、同じ牛たちが季節が変わっても、元気だよと言っているみたいで、それは毎日の景色が変わらない場所にいてこその絵。モードさんは自分の街からほとんど外に出たことがない人生を送ったということなので、日常の景色のすべてが絵になっていったと思う。その色彩のピュアさがすべてを物語っている。それは本当に人をしあわせにするんだ。私も彼女の絵を見ていると、幸せになるんだよ。

じゃ、もう寝る。Happy New Year!


Darkest Hour ウィンストン・チャーチル

2018-12-31 21:12:01 | Weblog

2017年のイギリス映画のDVDをようやく観る。この映画はチャーチル首相を演じたゲイリー・オールドマンがアカデミー賞主演男優賞を受賞したのと、彼の特殊メイクを担当した辻一弘氏が同じくアカデミー賞を受賞したというので、気になっていた映画。しかし、内容が第二次世界大戦、ナチスドイツと重たいため、元気がないとしっかり観終えることができないだろうと躊躇していたのだ。年末になって、少し心を仕事から放せるようになったため、ほな、見てみよかということで、鑑賞完賞。まったくねえ、最近までほんとにどの作品見ても中途半端で、良い作品も観る私がダメにしてしまっていたのだ。さて、この映画はチャーチルが首相に就任してからヒトラーとの徹底抗戦を選択し、議会に承認されるまでの4週間の過程を描いている。戦争については今更ここで語ることでもないので、もっぱら役者の演技とか特殊メイクについて話そう。なんといっても、あのゲイリー・オールドマンがチャーチルにくりそつ!になるには、辻一弘なくしては無理!一体、あのメイクに毎回何時間かかるのかわからんが、時間的にも技術的にも相当の苦労があるであろう。映画のメイキングで色々な人が特殊メイクに触れていたが、とにかく本物と間違うくらいの出来栄えと、ゲイリーの役作りがまた徹底しており、映画はいわゆるどんな歴史ものでも、つまるところは大衆娯楽であるが、彼はそれを芸術作品に高めることが出来る数少ない役者である。他にどんな役者が匹敵するかというとだね、ダニエル・デイ・リュイスとか、アンソニー・ホプキンスとか、ね。この映画の圧巻は、チャーチルの議会での演説に議員たちが賛同し、紙吹雪が舞う様。監督はジョー・ライト。彼の映画で記憶にあるのはジェイミー・フォックスがチェリストの役で出ていた「路上のソリスト」。この映画もとても良かった。ところでね、歴史上の人物とか有名な人を題材に映画を作るっていうのは、ベースになる伝記や小説や記述などをもとに脚色していくわけだから、平面上にあるものに命を与えて生身の人間が演ずるにあたっては、当然、史実とは違うものも織り込んでいるよね。チャーチルの映画でも、彼が地下鉄に乗って、市民の声を直かに聴く場面があったが、あれは全くの作り事だそうだ。でも、映画の方向性が間違っておらず、めざすゴールが正答であれば、問題ないということで、イギリスの人々もこの映画を概ね好意的にとらえていると、どこかに書いてあったわ。

今日は12月31日だわ。今年はなんか、いちいち水たまりにはまっていた感じで、プチストレス状態がずっと続いて抜け出せないまま来たわ。ああ、うっとおしい限り。なので、来年は鉄の心臓で生き抜きたい!ふんとに図太い私出てこい!チャーチルの名言・格言を読んでパワー充電!


記憶の底から

2018-10-18 11:34:04 | Weblog

ふと、飛び出す子供の頃の記憶。今日はお気に入りの服の歴史。年食うとね、突然、記憶の底ざらえみたいにとんでもなく古く、今までただの一度だって思い出したこともないような記憶が蘇ってくるのだよ。だから、書き留めておくのさ。最初は小学校2年の時のお気に入りのスカート。ピンク系の生地に象さんの絵が裾周りにプリントされていた(と思う)。象さんが好きだったわけでもないだろうが、子供の服には動物とかは定番だから、親も絵さえついてりゃ嫌がることもなかろうと買ったことであろう(きっとね)。で、なんでそのスカートを思い出したかっていうと、それ以前に小学校4年の時のお気に入りのワンピのことが唐突に頭に降ってきて、あああ、私、あの服、すっごく好きで、毎日でも着ていたくて、自分で洗濯してアイロンも掛けて、着てたわああ!っていう伏線があってのことなの。そこでさらに辿って一番最初の記憶ってのが先の象さんだったってことを思い出したってわけ。ひとつ出てくると、あとは芋づるだからねー。

その、4年の時の好き過ぎたワンピースは、細かい縦じまの水色の綿生地で、デザインがとても気に入ってて(けっ!子供なのにデザインだと!)、あの頃にしてすでに、同じものがもう1枚あったらなあと切に思っていた。だって、とにかく毎日着るには、洗濯アイロンで本人は忙しいにも関わらず、ひと様にはまるで着た切り雀(洗濯もせず汚らしい奴)って思われてそうで、それは困るので、きっちりアイロンで皺を延ばして新品同様を保たねばならないと、そういう努力を10歳でするってのは、どうよ!でも、あんまり着たので、当然早めに劣化し、ボロになり、たいがいに諦めろと親に言われ、代替品を選べと服屋(服屋という名前の服屋です、ほんと単純過ぎ。。。)に連れていかれ、なんとなく似た感じのワンピを買わされた。。。チっ!

続いては6年生、2つあるんだぜ。私にはおしゃれな姉(働いている姉は自分の給料で色んな服を思いおもいに購入でき、うらやましいゾ)が2人いて、長姉は結構、服をくれたのだ。買ってくれるんじゃなくて、自分が着なくなったものをくれるわけで、そうありがたがる必要もない。しかしだよ、姉と私の年齢差を考えればだね、まるっと大人の服を小学6年の子供が着たばやい、想像すりゃわかるだろうが、変な子供大人ができるですよ。それで、私はもらったものだ、かまうこたあない、切っちまえ、縫っちまえと、裾を切り、ファスナー部分からズバっと切って、詰めて、ホックで止めて履ける巻きスカートにしてと、自分仕様に洋裁して、着ておりました。子供って怖いもの知らずだよね。2つのうちのひとつはそうして加工した姉からのおさがり、チェックの襞スカート。確かグリーンが基調だったわ。もうひとつは向かいのおうちのお姉さん(自分の姉ではないよ)がくれたすっごいたっぷりしたドレープのスカート。これはね、ダンスなどで回転するとき、超映えるって奴ですわ。だから、私はそのスカートを履いた日は学校の講堂にあった大鏡の前で、訳もなくクルクルクルクル回転してました(アホです。。)。花柄なのに、地味目でそこがまた良かったわー。

中学になると、クソ真面目な私はお勉強とクラブと塾で人生を全うしておりましたので、セーラー服があることを幸い、ほぼ私服でのおしゃれの記憶もなければ、お気に入りの服もありません。ほんと、どこ行くにも制服!今の時代には考えられないことだわね、きっと。そんな私も高校生になって、何を思ったか、制服作ろう!と思い立ち、合いのセーラー服を自分で作って着てました。とても簡単どす。基本は夏のセーラー服で、それの長袖版を作ろうと思っただけですから、生地買ってきて、型紙取って、あと、こだわりはかぶるのはいやだから、前でファスナーで脱ぎ着出来ることってだけ。それ3年間着てました。今思えば、よーやった!です。だって今はそんな意欲も根気も動機も持てない。まあ高校時代は、私が一番女らしい、もとい女が出来たほうが良いと思われていることをした時代です。なので、裁縫しかり、料理しかり、たいていの事をやってました。でもって、飽きました。

大人になって、一時期、靴に執着した。気に入った靴は、なるべく2足買うようになったのは、小学4年の服の経験が元になってるよね。パンプスなども色違いで揃えるとかね。一番お気に入りのヒールの靴は東京に行ったときに雨の中を歩いて、皮が伸びてしまい、履き込みの浅いタイプだったので、かかとがすっぽ抜けてしまうようになり、どうやっても修復できず、止む無く捨てました。ショック。。。おかげさまで、その雨の中、私を連れまわした男とも修復不可でバイバイ!大体さあ、ヒールだっちゅうに長い距離、歩かせるか!

そのあとは、時計にフェチったこともあります。別に高級時計では全くない。父が20歳のお祝いにエドックスの青い文字盤のちょっと変わった形の腕時計を買ってくれて、それがとても好きで、そのあとデザイン重視で、海外に行くたびに空港でちょっと日本では見ないかもおという腕時計を購入。今はドイツの時計を愛用中ですが、スカーゲンのペらぺらのうっすい時計もTPOで使い分けています。これは記憶ではなく現在進行形だな。

思いだすって、必ずしも大切なことではなく、どうでもええことがひょこってびっくり箱みたいに飛び出してくるんだな。そして、その思い出にまつわる色んなことすべてが、大事なんだ、きっと。

 


1本の電話

2018-07-31 01:31:49 | Weblog

ここんとこのクソ暑さ(まあ!なんてお下品な)で、先週の終わりあたりから頭痛持ち。頭が酸欠?状態ってことかしらん。娘時代に患っていた片頭痛がぶりかえしたかと、恐怖なのだ。なにしろ、孫悟空の輪っかを嵌められたこめかみをさらにギリギリとしめつけられるような痛みの果てに、吐くというオチつき。それをリピート。一体どうやって克服したんだか、いつの間にか治っていたはずだが、この夏、やって参りましたよ。そんだでね、土日の休みはほぼ寝たきり老婆。それしかないわね。で、その間、ルーティンになっている彼とのチャットも不参加どす。そんなことやってる場合じゃないしい。なにせ、やっとの思いで食べた晩御飯を吐かないように薬飲んで寝る!次、目が覚めるのは10時過ぎじゃん。そっからなんとか風呂に入って、あれやこれや明日の準備なんぞして、日常どおりをやろうとすると、チャットやってる暇ありません。でも、彼に「静かだ。。。」とつぶやかれて、「すまん、具合がわりいのだ」と返事だけはしといたら、電話くれとった。それも出ず仕舞いでいたが、さすがにこのままでは失礼だと、今日は食後寝を止めて、彼に「来たよお」と声かけ(もとい文字送った)たら、電話がかかってきたわ。そうなんだよお、彼の声はね、いっつも私を元気にしてくれるんだよお。大したことを話す訳ではないけれど、なんだろ、声に力があるんだわ。どう説明しよう。。別に声が大きいとか、強い調子とかじゃなくてさ、包容力があんだよねん。ありがたいんだわん。ノロけてるわけじゃないよん。本当にパワーもらえるんだよお。あいつは神様かい?まあ、私にとっては神様みたいなもんかもな。もちっと分かりやすく言うと、人はさあ、自分を幸せにしてくれる人を求めるでしょ。彼はさ、自分を自分で幸せにする方法を教えてくれる人なわけ。そのために頭を使えと言うのだ。私みたいに不出来な者でも、チャレンジは大事!って。でも、失敗したからって責めるんではなくて、次探せ!って。決して諦めないんだよね、私の可能性を。あ、やっぱノロけなのか?これは。ま、いいや。頭痛いのが彼のおかげで少し治まった気がする単純なわたし。。。

でへ。