早朝、その電話は掛かってきた。最初は寝ぼけていて、アラームと勘違いし、携帯をスクロールしてしまった(そうするとアラームが停止するため)。でも、画面に友人の名が出ていて、あん?間違って、電話掛けちまったか?と、自分からの間違いコールの名残かと思って、そのままスルーしていた。さて、出勤時間が近づき、用意万端整ったところで、2回目の電話。出てみると、男の人の声。うん?え?あん?でも、その時すでに頭の中で警戒音が鳴りだしていた。相手からおもむろに名乗られて、瞬時に理解してしまった。私の長年の友人が亡くなったのだ。前日の夜11時過ぎであったそうだ。実は、その日、勤務中に左腕にしていた腕時計がぶっ飛んでいったのだ。ネジが飛んだと思われるものの、ネジはそのまま付いた状態で、なんとも不思議な外れ方で、時計ごと飛んでいった。その時、私はその時計をくれた相手に何かあったのではと、内心気が気ではなかったのだ。家に帰って、相手にコンタクトを取ると、ちゃんと返信があったので、ああ、やれやれ問題ないのねと、ひと安心。でも、彼ではなく、違う人の身に起こっていたのね。それも、私の大事な友人に。電話をくれたのは、彼女の弟さんで、彼女との会話の中にいつも出てくる人なので、知らない人の気がしない。彼女は亡くなる少し前まで、会話が出来ていたようで、私にもちゃんと知らせて欲しいとのことだったそうです。通夜や葬儀への参列も是非とのことで、弟さんが彼女の依頼で、あちこち電話でお知らせをしていたようです。ありがたいことです。でも、会話中にも、悲しみが押し寄せてきて、泣くのを止められなくなりました。彼女と私の出会いは、今から26年程前のこと、ある会社に入社したときの事務員が彼女で、お互い、話すうち、自分の時間の使い方の好みが似ているということで、分かりあえる相手になりました。彼女も私もみんな一緒にご飯!というのが苦手。昼時はさっさと一人で食事を済ませ、空いた時間は一人で読書でもしていたいというタイプ。まさに私のパターンで、休憩時間を誰とも共有したくない派。というわけで、彼女と昼食に行くということすらしない。あっても、その会社に勤務していた間で、1回あるかないか。そういう尊重100%(自分勝手ともいう)の間柄。そんな偏屈な女はそうそうは居ないため、そんなことで仲良しになったとも言える。もちろん、友人で仲良しな私たちは、そこをお互いに辞めてからも、つきあいは継続し、映画も行くし、旅行も行くし、ひとりが好きな人との旅行はお互いを邪魔しないので、非常に楽。例えば、女同士の旅行で、部屋を一緒にしようなどと言い出す時点で、すでに一緒には行けないわけで、彼女との間ではそういう心配が先ずない。という大事な友人を私は昨日亡くしてしまったのだ。。。。
彼女と初めて、海外旅行に行った2015年、その年の夏、ハガキが届いて、その文面で乳癌、しかも両胸に罹患し、手術すると知った。前々から予感はあったようだが、まさか両胸とは、彼女も驚いたようだった。彼女は長女の身で、長病みの母を看取ったその数か月後、同じ年内に父までも亡くし、それぞれの看病に献身していた間に、自分の変調は先送りした結果が、それなのだった。残酷だ。そして、術後は予後があまり良くなかったようで、私も実際に会えたのは、1回のみ。あとはメールやラインでのやり取りで、無事を確認しあってきた。通院の日々と言っていたので、あまり調子がよくないのであろうと察してはいたけれど、その間にも癌は内臓のあちこちに転移をしていたのだった。
しかし、自分が死んだあと、こんな風に書かれて彼女は嬉しいだろうか。私は記憶に遺しておきたいと記録しているけれど。ここまでにしておこう。
私より少し若い友人を亡くして、私はどうしてよいかわからない。