碑 誌
満州第八〇五部隊は、昭和八年一二月編成以来、旧満州国の防衛を主任務とし治安粛正国境警備の遂行に精励する傍ら、支那事変勃発に際しては堤支隊として出動、張家口作戦に於ける迅速果敢なる行動により感状を授輿され、ノモンハン事変に於いて渡河侵入せるソ蒙軍を包囲殲滅する大戦果を収めるなど、武勲赫々たる伝統を有する部隊である。
大東亜戦争熾烈なるに及び、昭和十八年軍令により白城子に於いて海上機動第一旅団第三大隊に改編、日本陸軍最強兵団の先陣として中部太平洋方面に派遣され、翌十九年一月部隊は一部をマーシャル諸島クェゼリン環礁にエンチャビ島に進出。悪条件を排して最前線陣地を構築中、敵は同月末より空海陸からの猛烈な砲爆撃の支援下に逐次、大軍を以て各島に上陸、苛烈なる戦闘に突入するも、孤立無援、被我戦力の懸隔著しく、一部は二月六日に、主力は同十九日祖国の不敗を念じつつ部隊長矢野大佐を先頭に最後の切り込みを敢行、全員玉砕したるものである。
昭和五十六年十月十八日