日本の史実と世界史

日本人に大切な史実の理解。

戦時中の日本人の精神性、台湾と日本。

2020-02-04 | 日記

遡ること75年前、台湾は大日本帝国時代に我等の同胞であった。今、中共の支那武漢で
新型ウィルスによるパンデミックが発生している。終息はいつになるのか?
2020年1月30日 安倍総理は防疫の観点から、台湾のWHO参加を支持する立場を表明した。
蔡総統は感謝を表明した。

同じく同胞であった朝鮮人は、反日を国是とする文政権が国家をあげて日本を貶めている。

この違いは何か、戦後の歪曲された史実検閲のアジア世界にあって、親日的な意識の台湾
人は、日本を愛する我等に取って大切な盟友である。

当時の日本人や終戦後の帝国軍人は、台湾の戦後にも大きく関わり様々な逸話を残した。
台湾は大東亜戦争後に複雑な歴史を歩む。台湾人がなぜ親日なのかを知るために、戦中
の大日本帝国軍人・一般国民の振舞いを紐解こう。


国共内戦(国民党vs共産党)

支那大陸で熾烈な内戦が繰り広げられていた。
中華民国=国民党(蔣介石)が支那を統一するか?共産党(毛沢東)が覇を獲るか?
国民党は、米露から武器を供与された共産党軍に対して劣勢となり、大陸から一時
撤退し台湾で軍政を敷いた。ロシア共産党と米国の支援に翻弄された。



飛虎将軍廟/杉浦茂峰

杉浦茂峰兵曹長は大東亜戦争中、台湾沖航空戦を戦い戦死した。
散華当時21歳/茨城県水戸市出身。

台南の村の頭上で米軍機と交戦の末に敢無く撃墜。落下の時、機体からの脱出を
遅らせ村の民家上空を避けた。周辺の畑上空で落下傘で脱出したが敵機の機銃掃射で
息絶えた。

終戦後複数の人が夢枕に立つ英霊の夢を見た。村への墜落を避け村民を守ってくれた
兵士と知った彼らは、杉浦兵曹長の死を悼み、守護神として飛虎将軍廟に杉浦を祀った。

2016年9月21日 飛虎将軍の御神像は、72年の時を経て水戸市に里帰りした。台湾人の
手で遥々日本にやって来た。雨模様の中慰霊の祭祀が始まると不思議と雨が小降りと
なり式が滞りなく行われたと言う。今上陛下のご譲位の際、激しい雨がパタリと止み
晴れ間と共に虹が架った。神道の祭祀には不思議な出来事が起こる。



戒厳令下の圧政

国民党の戒厳令下、軍政の圧迫は38年間続いた。
日本の統治時代と、外省漢人による国民党の統治を比べて「犬去って、豚来る。」と
揶揄されている。日本人はワンワンと決まりに煩くわずらわしかったが、外省人は
満足に国家も護らず金に卑しく飽食の限りを尽くすことを本島人は嘆いたのである。

台湾は大戦後の国際政治の綱引きによって、国連への参加を許されず中国の一部と
誤解されて久しい。しかし、清朝は化外の地として台湾を統治した史実はない。
台湾は風土病が多くペスト・マラリヤ・腸チフスなどが蔓延し漢人は忌み嫌う地で
あった。




金門島の戦い/根本博 中将

根本博(支那別名:林保源) 渡台当時58歳 享年74歳

1949年10月、金門島の戦い/古寧頭戦役は、毛沢東の共産党が中華人民共和国の建
国の威勢を駆って台湾侵略に踏み込んだ戦いである。

国民党は共産党軍の侵攻に追い詰められ、窮した蒋介石は密使を日本に送り、要請を
受けた根本中将は渡台する。根本中将はなぜ蒋介石を助け軍事顧問となったのか。

1945年8月、停戦のドサクサに、ロシアが内モンゴルに攻め寄せた。内モンゴルの
司令官であった根本中将は、邦人退避を指揮するが、4万人の市民と35万人の将兵の
帰還は困難を極めた。その時の蒋介石の計らいによって、鉄道で大量の邦人避難民を
移送し本土へ帰還させられた。

1949年6月、邦人復員の時の計らいに恩義を感じていた根本は、その恩に報いるべく
釣竿一本を携えて敗戦に混乱する日本から台湾まで漁船で密航した。

国民党軍の作戦参謀に加わった根本は「林保源」と名乗り、金門島戦を指揮した。
「戦神」と恐れられた抜群の戦さ勘で、国民党軍を動かし島民の被害を最小限に抑え、
共産党軍を敗走させた。この戦いが今の台湾の領地を形作った。

GHQの占領下の日本では、帝国軍人が他国で軍事顧問をしていることは伏せられた
ようだ。根本も帰国後、戦いについての一切を語らず74歳の生涯を閉じた。



228事件/坂井徳章 弁護士

坂井徳章/湯徳章 日本人の父と台湾人の母を持つ日本国民。
徳章は、幼い頃に父が他界、女手ひとつで育てられた。

228事件とは、日本統治から離れた台湾で、蒋介石の国民党軍ら外省人によって
留用日本人/役人や台湾人エリートが謀殺虐殺された事件である。

弁護士であった徳章は、この事件で打倒国民党と血気流行る若者を諭し武器を降ろ
させた。彼は国民党の追及から若者を護る為に自らの命を銃口の前に差し出した。

日台のハーフであった徳章は、外省人から「決起の主謀者を教えろ」と、度重なる
拷問でも絶対に口を割らなかった。

銃殺の刹那も、緊縛や目隠しを自ら拒否してこう言った。

台湾語で、

「私に目隠しをする必要も、木に縛る必要もない。
なぜなら、私には大和魂の血が流れているからだ!」
「もしも誰かに罪があるならば、それは私一人で充分だ!」
と叫び。

最期に日本語で、

「台湾人バンザーイ!」と叫んだ。


そして、無辜の市民に降りかかる危機を一身に引き受けて銃弾の前に倒れた。

日台のハーフが、日本市民として生きた時代、弾圧され市民に降りかかる無実の罪を
一身に背負って命を投げ出す矜持。坂井徳章は誰よりも誉れ高き日本男児である。

彼らの奮闘は涙を堪えないと語れない。



本当の大和魂とは

若干二十歳の杉浦兵曹長が、日本国であった台湾で死力を尽くして戦ったこと、
撃墜されてもなお人を慮る心根。敗戦の混乱の中でも恩義を返すために台湾に
向かった根本中将。日台のハーフである弁護士坂井が、台湾同胞を一命を掛けて
守ったことなど、当時の日本人同胞の愛国心が如何に自己の犠牲を省みなかった
かが判る。

日本は、高度成長の果実を喰い潰し「団塊の世代」は愈々社会からリタイアし
始めている「日米安保条約」の条文も知らずに学生運動に明け暮れ、個人主義を
謳歌し、高度成長の果てにバブルに喘いだ後、長引く不況を脱せないでいる。

国益という背骨があった戦中世代は、個人の事しか考えない我等の国をどう
思うのだろう。今の我等は英霊に見放されていはしまいか。

帝国軍人の自己犠牲や同胞を愛した彼らの行動が、今の台湾人の心に残り語り
継がれている。彼らは日本を愛してくれている。しかし、その気持ちに今の我々の
行動が如何程か貢献をしているのだろうか。