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膨らむ借金 許した先は 百年 未来への歴史 デモクラシーと戦争

 経済アナリストの森永卓郎氏の「ザイム真理教」がベストセラーになっている。財務省の公式Xあてには、「国民の敵。いつか罰しなければなりません」といった書き込みが相次ぐ。
 1995年を境に生産年齢人口が減少に転じると、日本は低成長が当たり前となった。借金が雪だるま式に膨らむのを抑えようと、歳出カットと増税を唱える財務省は、経済低迷の責任を問われ、批判の矢面に立たされた。
 (実は、)戦前も大蔵省の権威が地に落ちていたのは同じだ。財政引き締めに転じようとすると、軍部や議会から猛反発を食らい、高橋是清蔵相は二・二六事件で凶弾に倒れた。軍部による予算膨張の最後の歯止め役を失った日本は、破局の戦争への道をひた走ることになる。当時の大蔵省批判を振り返ると、その論理と財政状況はいまと酷似している。
 〝国債がたくさん増えても全部国民が消化する限り、すこしも心配はない。国債は、国家の借金だが、同時に国民が貸し手である〟。(実は、これ)1941年10月に大政翼賛会が国民に国債の購入を促すために全国の隣組に配った読本「戦費と国債」の一節。同様の主張はいまも展開される。積極財政を持論とする安倍晋三元首相のブレーンだった本田悦朗氏は、「政府の債務は国民の資産で、金額はほとんど何の意味も無い」と論じている。
 戦前は、蔵相の高橋が日本銀行による国債の引き受けを決断し、政府の借金に対する歯止めが失われた。いまもアベノミクス以降の日銀による国債の大量購入で、日銀が国の借金を事実上肩代わりするいびつな金融政策が続く。経済規模と比べた政府債務残高の大きさは、戦前もいまも右肩上がりで急上昇している。(そして、結果的には)国民総生産の2倍を超えた戦時中の借金は、戦後のハイパーインフレーションや財産税などの形で国民が代償を支払った。
 以上は、2024年12月31日付け朝日新聞の2面にわたる特集記事の一部要約である。常々、私自身が心配していることを丁寧に論じていたので、紹介した次第。さらに、この後、この論考では、防衛費予算の大幅増額、それも「禁じ手」を破る、国債発行によったことを厳しく批判する。
 1947年に施行された財政法は将来への投資目的以外の国債発行を禁じているが、その理由が財政法逐条解説にこう書かれている。「公債のないところに戦争はないと断言し得る。本条は憲法の戦争放棄の規定を裏書保証するものであるともいい得る」。
 最後に、この論考は、次の言葉で締めくくられている。
「小選挙区制の導入で、政治家が国民の耳に痛い主張を避ける傾向が一層強まると、財政規律は崩壊した。(中略)借金のつけを回される将来世代は、選挙権を持っていない。いまの世代が選んだ議員の多数決で決めた借金が、将来世代に役立つとも限らない」。是非、本文を一読されたし。
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